Le ciel croche | ナノ

「さぁさぁ安いよ安いよー、本日仕入れたて! 現品限り!」
「グランドライン広しといえども、他の島じゃあ売ってない!!」
「オーダーメイド加工も追加料金なし! 見るだけでも損は無いよっ!」

 ちょうど今朝、うちの大喰らい船長のお陰で食糧が尽きかけたところでタイミング良く辿り着いた島。ログポースが真っ直ぐに指し示していたここは、前の島を出る前からナミが楽しみにしていた、巨大なショッピングモールが売りの島らしい。
 島のまんなかを大きく陣取るそこには、ありとあらゆるお店が立ち並んでいる。食材に武器、洋服に宝飾品、本屋に薬屋になんでも屋。法則があるのか無いのか一見分からないけれど、メインストリートから枝状に分かれる通りに向かえば、それぞれジャンル別の店が軒を連ねているという。
 向かいの店に負けてたまるかとばかりに、客引きの声が四方八方から響く中央広場。そこで辺りをぐるりと見渡して情報収集をしてから、みんなは各々お目当ての店を目指して分散していった。

「すごい活気だな……」

 集合時間は二時間後。ナミとロビンに服飾街に誘われたけど、裏町に腕の良い調律師が居ると噂を聞いて、先にそっちに向かうことにした。
 一旦サニー号にとんぼ帰りして、自分用の楽器全部と販売用の一部をまとめて。道中でブルックに会えたら教えてあげようと思ってたけど、残念ながら会えなかった。まあでも、彼は自分の楽器は自分でメンテする派だから大丈夫かな。
 中々の大荷物を抱えて教えられた路地に入れば、道の両側を埋め尽くすのは露店の群れ。元気の良いおじさんおばさんが声を張り上げ、愛想の良い笑顔で客を引く。
 この辺りは装飾品を扱う露店が多いみたいで、あっちでピカピカ、こっちでキラキラ。ちら、と目をやれば、奇麗なネックレスやらブレスレットやらが、買ってくれと言わんばかりに輝きを放っている。

「んん……やめとこ、調律でいくら掛かるか分かんないし」

 手持ちのお金が無い訳じゃないけど、予測の出来ない出費を控えているし、財布の紐はしっかり締めておく。抱えた木箱も邪魔になるから、見に来るならあとにしよう。
 そう思っていてもふいに目が逸れてしまうのは、本能とでも言えば良いのか。路地の終わりに店を構えた露店のピンブローチの輝きに目を奪われて、思わずはたと立ち止まる。人当たりの良さそうな露店主のおじさんがそんなあたしに気付いて、商売人の笑顔を見せた。

「おっ、お嬢ちゃん、その石に見惚れるとは目が高いねぇ! こりゃあ今朝仕入れたばっかでな、ここらでも中々お目に掛かれないシロモノだよ」
「や、あの……」
「ははっ、んな固くならんでも無理やり売りつけたりしねぇよ。どのみち、この品なら今日中には買い手が付くだろうしな。ま、でも見るだけ見て行ったらどうだい?」

 呼びかけに曖昧に答えれば、おじさんはあたしに買う気が無いのを察して豪快に笑った。それでも見るだけ見てけと勧めてくるあたり、余程自慢の品なんだろう。珍しい宝石と言うのは正直気になるし、帰り道で寄って無くなっていても惜しいし。少しだけ、と思って木箱を降ろした。

「奇麗、オパールですよね? こんなに水滴みたいに透明なのは初めて」
「へえ、お嬢ちゃん、やっぱり中々の目利きだな? 高品質のウォーターオパールさ。宝石言葉は希望、無邪気、潔白。どうだい、よく似合う可愛い子には安くしとくよ?」
「やだなぁ、売りつけないって言ったのに」
「はっはっは、まぁ一応な! 安くは無い品だし、無理にとは言わんよ」
「うーん……」

 差し出されたそれを手に取れば、路地に差し込む陽の光を受けて七色に輝く。小さいながらも強く、かつ柔らかい存在感を放つそれは見ていて飽きない。ト音記号を模ったすっきりしたデザイン。石周りの装飾も、シンプルながら細かいところに拘りが見てとれる。
 確かに結構、いやかなり好みなんだけど、でも、“これ”は。

(ラクリマ・マレ……じゃないな)

 無意識で目に留まった事に少し期待を持っていたけど、これはあたしの探し物では無い。
 一般的に『宝石』と呼ばれる石の中でも、あたしが求める力を持っているものと持っていないものが存在する。オパールと呼ばれる宝石全てがラクリマ・マレではない、って訳じゃなくて、今あたしの手元にある“このオパール”が違ったというだけ。
 もしこれがラクリマ・マレだったら、多少お財布に痛くても即決してただろう。でも、“ただの装飾品”として手元に迎えるにしては、ちょっと。

「ごめんなさい。他に買い物の予定があるし、それ考えると手持ちが厳しくて」
「そうかい、残念だねぇ。ま、もし終わって余裕があったらまたおいで!」
「あはは、見せてくれてありがとう。それじゃ」

 ブローチを手渡しながら侘びの言葉を告げると、おじさんは本当に残念そうな表情を見せつつ受け取った。
 降ろしていた木箱を抱え直して、また路地の終わりを見据えて歩き出す。曲がり角を曲がって露店街の喧騒が聞こえなくなった頃、小さく溜息をひとつ。

「美の象徴、には縁が無かったか……」

 商売上手なおじさんが挙げなかった宝石言葉は、十代の小娘にはまだ早いもの。だから仕方ないと言わんばかりに、振り切るように少し足早に歩みを進めた。

 *

 あのト音記号の形は良かったな、自分でも作れたりしないかな。そんな事を思っている間に、噂の楽器店に辿り着いた。噂の調律師さんにも会えて、頼むついでに色々話していたら意気投合。お店一押しの商品に細工を施す代わりにお代をかなり安くしてくれて、買取やってるお店も教えてくれて、紹介状まで書いてくれた。
 お陰で、買取してくれた楽器店を出た時には、財布の収支はむしろプラスの方に傾いていた。

「んん……どうしよ……」

 買わない理由がひとつ無くなってしまえば、欲しい気持ちが増してしまうのは仕方ない。おじさんの口ぶりから考えれば残っている期待はできないかもしれないけど、見るだけ見に行ってみようと露店街へと足を向ける。
 最初はいつも通りの歩調で、あの露店が見えて来た頃には、こころなしか早足で。

「おじさん、あのブローチ、まだ残ってます?」
「あれ、さっきのお嬢ちゃん」

 抱えていた木箱が無くなった分、視界は先程よりもかなり良い。すぐに目が合ったおじさんは、ぱっと目を丸くして、すぐに表情を陰らせる。
 答えを聞くより先にざっと商品を眺めてみたけど、予想していた結果は変わらなかった。

「あー、やっぱり売れちゃったかー……」
「悪いねぇ……。俺も気にはなってたんだが、ついさっきな。もう一足早けりゃなぁ」
「ううん。残念だけど、やっぱり縁が無かったってことですかね」

 苦笑を浮かべるあたしを見て、おじさんは代わりとばかりに他の商品を薦めてくれた。店先に出ているお薦めから、隠し在庫の一級品まで。どれもすごく良い品なんだけど、あれほどピンと来るモノが無い。ラクリマ・マレの方も収穫なし。
 逃がした魚は大きいって言うけど、他を見つける気も無くなったし、ナミたちと約束した時間も近づいてきたし、潔く諦めて露店街を後にすることにした。

 *

「――って訳で、調律と買取は大収穫だったよ」
「……はー、もう、あんたばかじゃないの」
「うん?」

 ナミとロビンと合流して、別行動中のことを話し終わったら、ずっと口を挟まず聞いていたナミが拳骨と共に口を開いた。
 軽く小突かれた程度の頭に痛みは感じないけど、これはお説教を頂く予感。長引きそうなやつだと思ってロビンを見上げるけど、頼みの彼女は困ったように微笑むだけ。人選を間違えた。というか、ウチの船にナミに敵う相手は居ないんだけど。
 そんなあたしの内心を知ってか知らずか、ナミは容赦なく言葉を続ける。

「一流の宝石店ならともかく露店だったんでしょ? んなモン値切らず買うバカがいますか!!」
「あの商品であの値段なら普通っていうか安いくらいだったよ? 他で買ったら倍ちょい手前ってとこかな」
「普通は普通、露店は露店! それぞれの適正価格ってモンがあんの!」
「んん、それはそうだけど……」
「はぁ……珍しく音楽と道工具以外の物にお金遣う気になったかと思えば……素直に見た値段だけ見て諦めるなんて」
「あはは……」
「笑って誤魔化さない! とにかく! 買い物するときはまずは値切ってみるのが基本って! 二年前からずっと言ってるでしょ!?」
「それは何ていうか、ほら、ナミだからこそ……」

 できる技だってば。最後まで言いきる前に、ナミのひと睨みであたしの弱々しい反論は一蹴される。
 彼女に対しては普段から皆してなかなか敵わないけど、お金が絡むとそりゃもう誰一人として逆らえない。これはもう謝るしかないと察して、半ば反射的にごめんなさいと言っておく。
 そしたらナミは毒気を抜かれたような顔をして、大きな大きな溜息をひとつ吐いた。

「……ニーナ、あんた折角可愛いんだから、その容姿最大限に使って原価ギリまで粘んなさいよ。目利きも出来るんだし、底値見極めるくらい朝飯前でしょ。……それにね」

 ふいに言葉を切ったナミは、ほんの少しだけ屈んであたしと視線を合わせる。彼女はさっきこつりと叩いたところに、今度はぽんと優しくと手を乗せた。

「今なら誕生日プレゼント、ってことで、そのくらい買ってあげたのに」
「ナミ……」

 ――あたしは先日、船上で誕生日を迎えた。一度一味がバラバラになってしまって、再集結してから、初めての誕生日。
 シャボンディ諸島に魚人島、パンクハザードにドレスローザ。二年間の空白期間を取り戻さんばかりの目まぐるしいドタバタは、“帰って来た感”があって凄く楽しかった。そんな中でいつの間にか通り過ぎてしまったその日を、ひと足遅れても盛大な宴で祝ってくれただけで十分だったのに。
 うりうりと頭を撫で始めたナミの掌が温かくて、されるがままになっていたら、ロビンがふっと通りの向こうに視線をやった。

「ねぇニーナ、良いニュースがあるわ」

 ロビンは口角を緩めて、あたしと目を合わせて微笑む。良いニュース、の中身を尋ねるより前に、先程彼女が眺めていた方向から、耳慣れた声が聞こえてきた。

「ニーナちゃん! 探したぜ!! っておおっ、んナぁミすわぁんとロビンちゅわんまで!! 両手どころか辺り一面に華だなこりゃおほほほほ!!!!」

 いつもの調子で周囲に花とハートを撒き散らしながら駆けて来たのは、我が船の一流コック・サンジ。黙っていれば二枚目な顔を惜しげもなく崩してナミやロビンにめろめろしてるのは相変わらずだけど、珍しいことがひとつ。
 ――今回彼が探してたのは、『あたしたち』では無いらしい。

「サンジ、あたしに用事?」
「そうさ、プリンセス・ニーナ。……いや、違うな」
「うん……?」

 サンジの長い足が動く度に、足元からこつこつという軽い音が跳ね返ってくる。
 それがぱたりと止んだ時、あたしの目の前に到着したサンジは、ふわりと柔らかく一礼した。

「ひとつ年を重ねた貴女はもう、可愛らしいだけのお姫様じゃない――失礼しました、麗しきレディ?」
「……!?」

 歌うように滑らかに紡がれるのは、耳馴染みのある美辞麗句。だけど、これが真正面からあたしに向けられるのは珍しい。
 徹底したフェミニストのサンジは、女性の意見は可能な限り尊重する。その証拠に、二年と少し前のあの日以来、彼はあたしに対しては必要以上の女性扱いは程々にしてくれている。
 そんな遠慮を取っ払って、久しぶりに本領発揮とばかりに全力で向けられたそれ。彼の意図するところを捉えあぐねていると、ナミがくすくすと笑いを漏らした。

「めっずらしいわね、ニーナがこんなに隙だらけでフリーズするなんて」
「ふふ」

 右にはにやにやと緩む口角を隠さないナミ、左にはニコニコと優しい笑みを絶やさないロビン。そして正面には、悪戯に微笑むサンジ。
 隙だらけ、と言われてもなお頭の処理が追いつかなくてぽかんとサンジを見上げていると、ショッピングモールの中央、広場の時計台が正午の鐘を鳴らし始めた。

「……おっ、丁度いい。お伽噺のお約束、変身の時間、ってとこかな」
「え……?」

 一歩距離を詰めたサンジが、ふわりと両手をこちらに差し出した。一瞬目の前を過ぎった淡くやわらかい波。右手がくるりと一周、あたしの頭の周りを通過したら、仕上げとばかりに首の少し下のあたりで小さく動く。
 流れるような動作を終えたサンジは、目をぱちくりさせてフリーズしたままのあたしに、手鏡を掲げて笑って見せた。

「さ、どうぞ?」
「え、これ……」

 ふわふわの感覚の正体は、軽くて上質な薄いストール。それこそお伽噺の羽衣のようなそれは、緑と水色と白を巧く混ぜたような上品な色。
 首回りに巻かれたそれが落ちないように、ひっそりと留め具の役割を果たしていたものは、とても見覚えのあるものだった。

「この透明感といい、天使の石って異名といい、モチーフといい、ピッタリだと思ったんだ」
「え、すごい、これさっき見かけて買うか迷ってたんだよ」
「お、そりゃ良かった。ちょっと遅くなっちまったけど……誕生日おめでとう、ニーナちゃん」

 鏡に映ったあたしは、自分で言うのもなんだけど、このストール一枚で一気に印象が変わっている。縁が無かったと諦めたはずの“美の象徴”は、当然のような顔をしてそこに収まっていた。
 右手で軽く触れてみると、光を受ける角度を変えたオパールは、その美しい遊色効果を存分に発揮する。そこに先程は全く感じられなかった“力”を仄かに感じて、思わずぱっとサンジを見上げる。
 彼はあたしの反応に満足げに笑うと、最後のひと押しとばかりにウインクをひとつ。

「君は確かに可愛らしいプリンセスだけど、美しく魅惑的なレディでもあるんだぜ?」

 ――相変わらず、むず痒くなるような甘ったるい台詞。だけど、今日くらいは、素直に返事をしてみようか。









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