Le ciel croche | ナノ

「なぁ、ニーナそれ食わないのか?」
「うん?」

 向かいの席から呼ばれた名前に顔を上げる。笑顔のルフィと目が合ったのは一瞬で、視線はすぐに伸びてきた腕に吸い寄せられた。
 あたしのお皿の上でぴたりと止まったそれは、なにかを掴んでぱしりと音を立てて元の長さに戻る。腕の動きに着いていくようにルフィに目を向ければ、彼はにししと笑って掴んだ“なにか”をそのまま口の中に放り込んだ。

「いっただき!」
「あっルフィてめェ!!」
「もがっ!!!!」

 ルフィがそれを口に入れたのと同じタイミングで、サンジの踵落としがルフィの頭に直撃する。ぶはっ、と盛大な音を立ててルフィの頬が小動物のように膨らむけど、両手で抑えられた口からは米粒一つ落とさない。

「何度言わせりゃ分かんだお前は!! てめェの目の前にある皿に乗ってるそれがてめェの取り分だ!!!! そんだけ山盛りしといて人のモンまで取んじゃねェ!!!!」
「ひゃっへよー、ニーナふゅっふぉふぇーふふぇふぇふぇーふぁふぁ」
「口の中片付けてから喋れ!」

 いっそ感心しつつ眺めていたら、怒られるルフィの聞き取れない弁解に混ざるあたしの名前。もちろん後に続いた言葉を理解できた訳じゃない(と思う)けど、サンジははっと我に返ってあたしを振り返った。

「あぁぁあ悪いニーナちゃんっ!! クソッ……ニーナちゃんの為に作った飯の一口分でもルフィに盗られたかと思うと……! 何やられたんだ?」
「えーっと……なんだろ? 大丈夫だよ?」

 今にも替えを持って来そうなサンジに、軽く左手を振って答える。サンジのご飯は文句なしに美味しいけど、取られたからと怒るようなことじゃない。
 ……それに、ルフィの最初の問いかけに、思い当たる節が無い訳じゃない。

「はぁぁん流石ニーナちゃん! 天使のような優しさだぜ!!」
「あはは……」
「うっせーな、本人が良いっつってんなら放っとけよ」
「あぁ? 何か言ったかコラ」

 怒ったりぐるぐる回ったり忙しいサンジは、今度はゾロの呟きに突っかかる。このままその流れで忘れてくれていいのにな、と思いつつフォークを手に取ると、その微かな金属音を捉えたサンジがくるりとこっちを向いた。

「ニーナちゃんが良くてもおれが良くねェ……クソッ何だ……? ほうれん草のキッシュ……チーズのリゾット……スープとサラダは無いとして……おいルフィてめェマジで何食いやがった!」
「分かんねェ! けどうまかった!」
「お前な……」
「………」

 この様子じゃ、笑って済ませる訳にはいかなさそうだ。ナミはにやにやしながら見てるだけだし、ウソップは自分の食料確保に忙しい。
 どうしたもんかな、と思いつつ、自分のお皿に目をやってみる。確認するつもりはなかったけど、二つあったものが、一つに減っているのに気が付いた。……やっぱこれか。
 それから視線をサンジに戻せば、顔を上げた途端に目が合った。

「ニーナちゃん?」
「うん?」
「違ってたらごめんな?」
「ん、なに?」
「……もしかして、アスパラ苦手?」

 ……ばれたか。
 一応疑問形ではあるけれど、その眼は真剣。ほぼ断定で間違いないと思われてる以上、誤魔化したって無駄だろう。視線で分かったんだとしたら、ちょっと気が緩みすぎかな。
 今更言うのも悪い気がして、やや控えめに正直な答えを返す。

「……んー、食べられるけど、好んで選びはしないかな。あの苦味が得意じゃなくて」

 あたしのお皿の上にひとつだけ残った、アスパラのベーコン巻き。出されたものを残すつもりは無かったんだけど、さくさく箸が進むメニューじゃなくて、なんとなく保留になっていた。
 ごめんね、と一言添えつつ苦笑すれば、サンジは真剣な眼差しはそのままに首を横に振る。

「いや……。そうだ、ちょっと待っててくれよ」
「?」

 くるりと踵を返したサンジが去り際に見せたのは、どこか自信を含んだ笑み。そんな彼を見送っていると、視界の端に、残ったベーコン巻きに伸びてくる手がちらりと過ぎる。
 それよりも気になるのは、キッチンから聞こえてくる軽快な音。リズミカルに切られていく食材がフライパンに移されて、じゅうじゅうと食欲をそそるメロディを奏でる。見えないのに目に浮かぶ光景に、むくむく膨らむのは期待感。
 それから五分と経たないうちに、扉から漏れてきた芳ばしい香り。

「なんだこれ! すっげ〜んまほー!」
「ほんと! バターかしら?」
「今まさに食ってるっつーのに、更に腹減る匂いだなこれ……」

 あたしのベーコン巻きを奇麗に平らげて、更に元々の取り分を堪能していたルフィがぱっと顔を上げる。ナミとウソップが視線をやった扉が開くと同時に、ふわりと香りの波が押し寄せた。

「……うっし! お待たせニーナちゃん!」

 優雅にテーブルに差し出されたお皿が、ことりと小さな音を立てる。白と緑が鮮やかに主張するそこには、帆立とアスパラが絶妙なバランスで盛り付けられていた。
 湯気と共に鼻先を擽る香りに、思わずわあっと声が漏れる。後ろに控えるサンジを振り返れば、彼はにいっと口角を上げた。

「ニーナちゃん好みの味付けにしてみたんだ。騙されたと思って食べてみてくれよ」

 メリー号で六人揃ってココヤシ村を出てから数日。サンジのご飯を頂いたのは、まだぎりぎり両手で数えられる程度。それでも、その言葉には妙に説得力があって、なにより目の前のアスパラは今まで見た事ないくらい美味しそうで、自然と緑色にフォークが伸びた。
 しゃくっ。小気味よい音を立てて噛み切れるそれは程好い固さ。咀嚼しているうちに出てくるのは、覚えのある苦味じゃなくて、バターと醤油と上手く混ざった爽やかな酸味。
 ぽろりと零れた感想は、自分の耳に届く前に心に落ちた。

「……わ、おいしい」
「だろ?」

 自信満々の相槌に反して、くしゃっと笑ったその顔に浮かぶのは安堵の色。

「むほ! んめー!!」
「へー、バター醤油と……レモン? 意外と合うのね!」
「酒のつまみに良さそうだな……」
「うおお、帆立うっめ〜! サンジ、まだあんのかこれ!」
「んん! おかわり!」
「まだあるからガツガツすんじゃねーよ! キッチン行って自分で取ってこい!」
「「うっひょー!」」

 あたしのお皿と一緒に出されていた大皿は、四人分の手が伸びて一気に空になっていた。ルフィとウソップに答える横顔はどこか嬉しそう。
 そんなサンジを眺めながら、今度は帆立と一緒にもう一口。噛む度に口の中に広がる旨味に、思わず目許も頬も緩む。そんなあたしの顔を見て、サンジは軽く息を吐いてゆるりと肩の力を抜いた。

「……いやぁ、良い顔で食ってくれて良かったよ。アスパラも美味いもんだろ?」
「うん。これ食べちゃうと、さっきのベーコン巻き食べなかったのも、勿体なかったかなって思うなぁ」
「ご心配なく。ご希望とあらば、いつでも何でも作ってあげるよニーナちゅわん! ほらァだから一緒に旅しようよ〜!」
「あはは」

 彼の中で一区切りついたのか、さっきまでの真剣な眼差しとはうって変わって、女性の前で見せるいつものとろけた表情でデレデレと笑う。一味加入の話にちくりと反応する心を苦笑で誤魔化しつつ、出してもらったバター炒めを完食した。

「ご馳走様でした。ありがとう、サンジ」
「いえいえ。さて、食後の紅茶でも淹れようか」

 空いたお皿を手際よくまとめて、サンジは再びするりと食卓を離れる。砂糖の数もミルクの有無も聞かなくても、もう五人分の好みをすっかり覚えてしまっている。そこも含めて一流なんだろうな、と思いながら、キッチンに戻っていく背中を見送った。

(……乗りたい理由、また増えちゃったなぁ)

 嬉しいような名残惜しいような、複雑な心境に小さくため息をひとつ。ナミがちらりとこちらに視線をやった気がしたけど、気付かなかったふりして軽く瞼を下ろした。

 ――ローグタウンに辿り着くまでの時間は、もうそんなに長くはない。





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