Le ciel croche | ナノ

「……えーっと、あと一枚ね……果樹用の肥料」
「買った」
「消毒用エタノール」
「買った」
「キッチンペーパー」
「買った」
「おっけ、最後、刺繍糸」
「買った」
「……よっし、全部揃ったね」
「ったく……」

 買い出しリストに目を走らせながら細い路地裏を歩く。空き缶を跨いで、木箱を避けて、傾いて落ちかかってる看板をくぐって。一定しない歩幅で安定しない石畳を鳴らしながら我が道を行っても、ゾロの靴音はあたしのすぐ後ろから追いかけてくる。テンポの違う二重奏が不思議と調和してるのを聞き流していたら、アクセントになったのは盛大な溜息。斜め上から降ってきたそれにちょっと笑いながら、三枚に渡ったメモをポケットにしまった。

「ゾロほんと使われるのきらいだよね」
「好きこのんでパシリやる奴なんざ、あのクソコックぐらいだろ……」
「まぁでも、今回は文句も言えないしね?」
「チッ……」

 ログが二時間で溜まる小さな島じゃ、なにも全員で降りる事もない。むしろ、うちの船でそれをやったら、全員回収するのに倍以上の時間が掛かるのは間違いない。どのみち二時間は動けないし、物資補給は必要だけど、今はビビの故郷・アラバスタに向けて先を急ぐ旅の真っ最中。そんなこんなで、カードゲームの勝敗で買い出し係を決めたらこの結果だ。
 珍しく惨敗だったゾロに、皆してここぞとばかりに押し付けたは良いものの、ひとりで行かせちゃ帰って来ないってのは百も承知。というわけで、ナミとウソップに無言で肩を叩かれ背中を押され、二位だったはずのあたしが何故かナビ係。迷子防止なんて採掘屋の本領でもあるところだし、あたしもアクセサリ用の金具いくつか欲しかったから良いんだけどね。

「じゃ、買うものは買ったし、あとはあたしの金具とー……」
「酒だな」
「……うん、まあ、残金超えない程度にね」

 用事は全部片付いて、あとは気楽な帰り道。ナミから預かった予算はまだ残ってるし、使い切って良いってお許しも貰ってる。この先に酒屋と金物屋があるのはリサーチ済み。半歩後ろから響く足音が段々と機嫌良さげに聞こえてくるのは、多分気のせいじゃないはずだ。
 通路幅がじわじわと広くなってきた頃、行きに見た酒屋の看板が路地の角に顔を覗かせた。塗装の剥げかかったそれを一瞥して、ゾロがニイッと口角を上げる。

「お、試飲アリだと。なかなか気が利いてんな」
「へえ……あたし自分の買い物終わったら行くから、それまでに選んどいてね」
「うっし」

 酒屋の向かいに店を構える金物屋を指差して言えば、ゾロは聞いているのかいないのか、上機嫌で相槌を返す。きっと意識はもはや完全に店の中。前を歩いてたあたしを追い越して、吸い込まれるように酒屋に入っていく背中をしっかり見届けてから、あたしはゆるりと足を止めた。よし、これなら目を離した隙に迷子ってこともないでしょ。
 くるりと後ろを振り向けば、ポーチの中で跳ねる小銭が三連符を奏でる。預かってるお金と別にしてある自分のお小遣いの額を頭に描きつつ、金物屋の入口に向かって一歩前へ。
 と、そのとき、視界の端に映り込んだ銀色の光。気付いた時には、見えない力に引っ張られるかのように、ショーウインドウの前に吸い寄せられていた。

「わ、いいなこれ」

 店内の木棚にちょこんと置かれた革製のブレス。さりげなく留められた銀ボタンの彫刻に目が奪われる。飛び立つ鳥を模したそれはおそらく手彫り。腕の良い彫金師さんがいるんだろうな。
 次に目が行ったのは、鳥の頭上に嵌め込まれた赤い宝石。ルビーともガーネットとも違うそれは、透明度の高いアンデシン。ここらじゃ中々お目に掛かれないはずの希少な石。太陽を思わせる見事な輝きに、思わずほうっと溜息が漏れる。突如白く曇った視界に、ガラスにぴったり張り付いていたことに漸く気が付いた。
 あたしもブレスも微動だにしていないはずなのに、きらきら、きらきら、小刻みに光が揺れる。目が離せないうちに流れた空白の時間。まどろみの心地よさに似たそれからあたしを引っ張り上げたのは、不快な声と感触だった。

「なんだぁ嬢ちゃん、熱心に見てんな。買ってやろうかァ?」
「っ!?」

 ねっとりと耳に絡みつくような掠れ気味の低音。酒臭い生温い吐息。じっとりとした熱を持ったごつい手に左の二の腕を掴まれて、びくりと背筋に寒気が走る。
 ――次の瞬間、振り返りざまに強引に腕を払いつつ、咄嗟に出してしまったのは、短刀を仕込んであるピッコロ。

「がっつ!!!?」
(あ、やば……)

 刃を出すのは直前で止められたけど、がすり、ごつり、嫌な鈍い音がふたつ路地裏に響く。反射で殴り飛ばしてしまったそのひとは、見る限り酔っ払いの一般人。こういう時に限って悪い癖が出たのか、結構重たい一撃を喰らわせてしまったらしい。能力使った覚えはないけど、吹っ飛んだ距離は軽く見積っても2メートル。
 掴まれるまで気付かなかった自分に思わず歯噛みする。まあでも、やっちゃったモンは仕方ない。とりあえず相手の出方を窺えば、痛みと驚きに目を見開く男は動く気配がない。
 静寂を破ったのは、彼の後ろから現れた新たな人影。

「ぎゃっはっは、だっせえ! なーにやってんだお前!」
「なんだなんだ、可愛い顔して凶暴だな」
「ちいっと躾が必要か? 手ェ貸すぜ?」
(うっわ……)

 ぞろぞろと裏路地から姿を見せたのは、絵に描いたようなチンピラ集団。あたしが吹っ飛ばした男と同様、みんなして昼間っから真っ赤な顔して足取りも怪しい。
 とはいえ、そういう相手こそ面倒くさいってのは経験上学習済み。下手に刺激するのも厄介だし、お店に逃げ込んで騒ぎを大きくするのも嫌だし、何より迷子常習犯を置いて一人で逃げるわけにもいかないし。ログが溜まるまでの時間は、確か残り15分少々のはず。どうしたもんかな、と思いつつ、ピッコロは右手に構えたまま、密かに静かに一歩後退。
 そんな中、ゆらり、最初の男が音も無く立ち上がった。……あれ、まずいな、意外と面倒な相手かもしれない。

「っつー……おい嬢ちゃん、中々効いたぜ……」
「………」

 ひたり、ひたり、ブレない足取りであたしに一歩ずつ近付くその男。仲間と思しき他の三人は、動くでもなくあたしたちの様子をニヤニヤと見つめる。もう一歩足を後ろに引けば、こつり、障害物にぶつかった。横目で振り返れば、通路を塞ぐのは大きな酒樽。道々にばらばらと点在するそれを確認したあと、視線を前に戻す。

(……ごめんゾロ、撒いて戻って来るから店から出ないでよね)

 ちょっと時間オーバーしちゃうかもしれないけど、今取れる最善手はおそらくそれ。
 内心で呟きつつ隙を窺えば、あと1メートルはあったはずの距離が、瞬間的に縮まった。

「……物騒なモン持ってんじゃねェか」
「っ」

 掴まれたのは右手首。今度はぴくりとも動かせないそこに、じわりと嫌な熱が籠る。だめだ、ばれてる。町のチンピラにしてはやるじゃない。正直、侮っていた事は認めざるを得ない。
(……仕方ないな)

 こうなったら、多少能力使ってでも振り払って逃げるが勝ちだ。
 慎重に左手を引きつつ、アームカバーの下に隠したバングルに嵌まる赤いラクリマ・マレに意識を集中する。普段はフルート使ってすっ飛ばす“イグニス・フロー”。手元で起こせばあたしも結構痛いんだけど、緊急時だから仕方ない。左手首がじわじわと熱を持ち始めたのを確認してから、ゆっくりとピッコロを握る右手を緩める。
 からん、空ろな音が転がると、男はニヤリと笑ってあたしの右手首を開放した。……よし、かかった。武器を奪おうと相手が屈んだそのタイミングで、首筋目掛けて左手を振り下ろす。

 ――ぱしり、思わぬ方向から止められたあたしの腕は、一瞬でその熱を冷ましてしまった。

「……なにやってんだお前」
「!」

 強い力で引っぱられてバランスを崩す。ぽすり、頭がぶつかったのは固い肩口。
 第三者の登場に驚いて、男はピッコロを拾う事なく顔を上げた。

「なんだてめぇ、邪魔すんじゃねぇよ!」
「あぁ?」

 やっすい啖呵を不機嫌全開の悪人面で一蹴されれば、男はびくりと肩を震わせる。声音に込められたのは殺気と呼ぶには相当温いけど、彼にはそれでも十分すぎたらしい。
 後ろで固まった取り巻きの男たちには一瞥もくれず、ゾロは左手でピッコロを拾うと、右手で掴んだままのあたしの左腕を強めに引いた。

「時間の無駄だろ。行くぞ」
「えっ、ちょっ、」

 呆けているのか、身の危険を感じたのか。追ってくる様子が皆無の男四人を置いて、ゾロはあたしを半ば引き摺りながら、すたすたとその場を後にした。








「……あーあ。あのブレス、欲しかったのにな」

 多少速足だったことに気付いたのは、その歩みが幾分か緩まってからで。大股のゾロを追いかけるあたしの小走りが速歩きくらいに緩まった頃、買い逃したアンデシンの輝きが脳裏をよぎった。騒ぎの場を離れて初めて口を開いたあたしに、ゾロが呆れ気味に言葉を返す。

「お前、あいつら全員伸すつもりだっただろ」
「……やっぱだめ?」
「良いワケあるか! 面倒起こすんじゃねェよ!」
「それゾロが言う?」
「ああ?」

 大の男四人が縮み上がったのと同じ返しだけど、ちっとも怖くないそれに小さく笑う。そんなあたしに更に呆れたのか、ゾロは盛大な溜息を吐きつつがしがしと右手で頭を掻いた。
 ふわり、微かな熱が引いた左腕の、袖口とアームカバーの間を、ひゅうっと海風が撫でていく。それを感じて、真横で揺れるゾロの右腕を見て、初めて気付いた事がひとつ。

(あれ……そういや、あれから今までずっと?)

 温度が同化するくらいに時間が経っていた事よりも、拘束が無くなっても歩くテンポが変わらない事よりも、驚くべきは別のところ。相変わらずやや不機嫌に見える顔をちらりと見上げて、視線を前に戻した。
 街並みの向こうに見えてきた海岸線を眺めながら、思い出したくもない十数分前のあの感触を敢えて思い出す。ぞぞっと背中に走るのは、やっぱり冷たい嫌悪感。指先の一本一本が這う感触までリアルに浮かんで、思わず自分で左腕を押さえた。

 ――それとこれとが違いすぎて、同じ行為とは思えなくて。

(……まあ、でも、そうだよね。当たり前か)

 比べるだけ失礼なことに思い至っていた自分にちょっと呆れる。当たり前じゃない。なにをいまさら。ああでも、そういえば、最初の最初にルフィと一緒に海上を跳んだ時も平気だったな。あの時はホントに緊急事態だったし咄嗟だったけど、払おうと思えば払えない事は無かったんだから。危機感が足りなかったんじゃなくて、その時から無意識で“なにか”を感じてたんだ、って、そういう事にしておこう。

 そんな事を考えてるうちに、メリー号の姿が見えてきた。まだちょっと距離はあるけど、走り回ってる影はルフィとカルーで、見張り台に登ってるのがウソップとチョッパーだろう。もうちょっと近付いたらナミの遅いわよって声が飛んできて、ビビがおかえりなさいって気丈に笑って、サンジがおやつの準備万端で出迎えてくれるんだよね。
 船上の光景が目に浮かんで、また歩くのがちょっぴり速足になる。そろそろ到着からきっかり二時間、あたしたちが戻ったらすぐ出航だろう。
 垣間見える船上の様子を眺めながら、そこにあたしたち二人も加えて、いつも通りの航海の様子を思い描く。ああ、戻ったら何しよっかな。買い損ねた革のブレス、やっぱり悔しいから似せて作っちゃおうかな。ゾロは……そうだな、一杯やってからそのまま昼寝コースかな。そんなに呑気にしてられる状況でもないのは分かってるけど、誰あろうビビが笑ってるんだもん、気は抜けるところで抜いとかなきゃね。

 ……と、そこまで考えて気付いた。
 さっきあたしが驚いた些細なことよりも、もっとずっと驚くべきこと。

「あれ? お酒買ってなくない?」
「………」

 ――この重大な事実に関してノーコメントを貫いたゾロには、良く分からないけど、深く突っ込まない方が良いのかもしれない。










水平線のつくりかた




あとがき
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