Le ciel croche | ナノ
空の天辺からじりじりと照りつける真夏の日差し。凪いだ海上に浮かぶ船には、僅かな微風すら届かない。
夏島気候のど真ん中に入ってしまった今、甲板は熱帯と化している。ふっと顔を上げて諸悪の根源を仰げば、頬を伝う汗がぽたりと床に染みを付けた。
「あっついなぁ……」
「だなー……」
「休憩中ー……?」
「おー……」
僅かな日陰に腰を下ろせば、先客のペンギンがダラダラと答える。
のろのろと首を動かし甲板を見渡せば、普段せっせと働いているクルー達も動きが鈍い。ヘタしたら熱中症で何人か倒れても可笑しくない暑さだ、流石に今日はキャプテンもそんなには怒らないだろう……たぶん。
そんな中、ばたりと音を立てて船内に続く扉が開く。ふらりふらりと覚束ない足取りで出てきたのは、ウチでも一際目立つ白い巨体。
「ニーナ〜〜〜……」
「ベポ! だいじょぶ?」
「だいじょぶ、じゃ、ない……船、どこ行ってもあづい……」
「あーあー……」
「多少マシな船内より、甲板のニーナを選んだか。賢明な選択だな」
どさりと力無くマストの影に倒れこんだ彼は、見紛う事なき立派なシロクマ。身体を投げ出し仰向けに伸びるベポは、この暑さに完全に参ってしまっているらしい。
ペンギンがちらりとあたしを見て苦笑しつつ、持っていた団扇でベポを扇ぐ。彼の言葉の意味するところを察してもう一度甲板を見渡せば、仕事を終えたクルー達は、あたしの傍の僅かな日陰に身を寄せ合って集合していた。
……なんか、逆に暑そうに見えるんだけどなぁ。
「……ねぇ、あたしは自分じゃ分かんないんだけどさ、あーやって密集してでも、あたしの傍って涼しいの?」
「うん、ちょっとひんやりするよ……」
「能力のお陰だろ?」
「ふーん……?」
言われて見れば、ベポの顔色も他のクルーの顔色も、さっきよりはマシなような気もする。もはや体質と言った方が近いような能力のお陰とは言っても、なんだかちょっと嬉しい。
――よしっ、それなら今日は奮発して、もーちょっと頑張ってみますかね。
「シャチー、今周りに海賊とか海軍とか居ないよねー?」
「おー、船影どころか、島の影一つ見えねェよ!」
見張り台に向かって上げた声に、双眼鏡片手にシャチが答える。よしよし、これなら大丈夫。羽まで可視化する程のチカラを使う気はないけど、警戒しとくに越した事は無い。
フルートを手に立ち上がったあたしを、ベポは期待に輝く眼差しで見上げた。
「ニーナ、“あれ”やってくれるの!? やった!」
「うん、たまには使わなきゃ鈍っちゃうもんね」
「へェ、おれ知らねぇぞー」
ニヤニヤ笑うペンギンは放っといて、フルートの口に青のラクリマ・マレを嵌めた。この子の宝石としての名前はターコイズ。
一度閉じた瞼の下で、あたしの瞳がそれと同じ色を放ち始める。この甲板だけ涼しくするなら、能力開放度はこのへんで十分だ。
「おっ、ニーナ、やるのか!」
「よっしゃ!」
「ふいー、これで涼しくなるぜ……」
「あ、風吹いてきた!」
ざわめき始めた甲板から、身体の中心へと意識を集中させる。ゆっくりと瞼を上げてきゅっとフルートを握り締めて、すうっと一つ深呼吸。喚び寄せた風をひとつに纏めるイメージを描きつつ、頭上に掲げたフルートをバトンのように構えた。
「“アクア・アウラ”」
小さく唱えつつスッと一振りすれば、爽やかな水気を帯びた涼風が甲板を駆け抜ける。フルート一振り毎に上がる男所帯にしては柔らかい歓声。船上の温度がすとんと下がったのが、今度はあたしにもはっきり分かる。
「お〜、生き返る……!」
「うわぁ、ありがとうニーナ!」
「えへ、どういたしまして」
漸くむくりと起き上がったベポが、うーんと大きく伸びをした。べとべとだった毛皮が、あたしの大好きなふわふわもこもこに戻っている。現金にもちゃっかり涼んでるペンギンも、日陰に蹲っていたクルー達も活気付いてきたのを見れば、こんなのお安い御用だ。使えるチカラは有効活用しないとね!
最後のオマケに、可視化はしないまま羽を具現化。ばさりと大きく羽ばたけば、一際大きな歓声が上がる。
……で、最後の最後にもう一回、と、調子に乗ったのが悪かったのか。
「ラストいっきまーす!」
「「「おぉぉぉお!!!!」」」
甲板を隅々まで一撫でする風を起こすつもりで思いっきり羽ばたいたところで、あたしの悪い癖が出た。力加減をミスって予想外に大きくなったそれは、ぶわりと小さな竜巻を起こす。みんなの悲鳴交じりの大歓声に導かれるかのように、頭のバンダナが風に攫われた。毛先だけ水色がちらつく薄茶の髪が舞い上がって、あたしの視界を塞ぐ。
やば、と思ったのと、船室へと続く扉が開いたのとは、ほぼ同じタイミング。
「……おい」
――さっきあたしがやったより余程効果的に、甲板の温度が数度下がった。
「キャ、キャプテン……」
「………」
つかつかと長い足を動かして真っ直ぐにあたしに向かってくる、我等が船長トラファルガー・ロー。眼の下に浮かぶクマはいつもと同じなのに、不機嫌度合いが倍増してるように見えるのは気のせいだと思いたい。
キャプテンが右手に握るのはあたしのバンダナ。有難うかごめんなさいかどっちを先に言うか考えてる間に、彼はあたしの正面にやってきた。
あたしと隣で縮こまってるベポとを見比べて、キャプテンは先にベポの方を見やる。
「ベポ」
「すいません……」
ずーんと凹むベポは外見に反してけっこう打たれ弱い。それを分かってか、それとも今回のお怒り対象としては彼の占める割合が小さいからか、キャプテンはすぐにあたしの方に向き直る。
……彼が左手に握る小さなモノを見て、謝罪もお礼も吹っ飛んだ。
「ニーナ……」
「は、はいぃっ!!」
「分かってンなら力の加減訓練しろ、馬鹿」
ぴっ、とあたしの眼前に突き出されたのは一枚の白い羽根。一見何の変哲も無いそれだけど、見る人が見れば分かる――“エルフィン”の羽根。
可視化したつもりは無かったんだけどな、なんて、口に出そうモンなら即座に雷が落ちるのは目に見えてる。悪くすれば、皆の身体のパーツがあっち行ったりこっち行ったり大変だ。……ひとはそれを八つ当たりと言う。
「こんなウッカリ外でやってみろ、どうなるか……分かってンな?」
「ご、ごめん、なさい……」
「おれの船のクルーである以上、自分の価値を髪一本まで弁えろ」
「はぁい……」
――価値、か。
一般の人とか海軍や政府のお偉方が言うような、そんな意味で言ってるんじゃない、って分かっちゃいるけど、その言葉はやっぱり今でもあたしの胸を抉る。あたしは自分の能力は好きだけど、だからと言ってこの稀有な力の所為で受けた仕打ちは割り切れない。これは最早反射だ。
そう、でも、世間じゃ冷酷無慈悲で通ってる“死の外科医”サマは、それでも一度懐に入れたひとたちには意外と温かい。反射で凹んでたらキャプテンに失礼だ。ベポの気遣うような視線には、苦笑いひとつ返しておく。
一度落としてしまった視線をおずおずと上げれば、見上げたキャプテンは呆れ顔。盛大な溜息と同時に頭に置かれた大きな手には、飛ばしてしまったあたしのバンダナ。
「あ、りがとう、キャプテン……ごめんなさい……」
「一回言えば分かる。……ま、涼しくなったのは事実だしな」
被りなおしたバンダナの上から、ぽんぽんと伝わるぶっきらぼうな振動。もう怒ってない、の印を感じて内心安堵の溜息をひとつ。様子を伺っていたクルー達の間を流れる空気も、漸く下がりすぎたそれから快適なものへと変わる。
ふぅ、と肩の力を抜いてベポと眼を合わせてちょっと笑って、相変わらずあたしの目の前で立ちんぼうなキャプテンへと視線を戻す。彼の瞳にあたしが写ったそのとき、機嫌を直したはずのキャプテンの眼が、すうっと細められた。
……え、あたし、まだ何かした?
「……おいニーナ」
「ひゃぁっ!? ななななにキャプテン、痛い!」
「おれァ、宝石なんぞに興味は無ェが……」
ぐいっと強引に掴まれた顎と、後ろ頭に回された手で引っ張られる髪の毛。
あたしの眼を覗き込むように少し屈んだキャプテンは、なにやら剣呑な空気を纏って本気の眼をしている。この至近距離でその眼は、たとえ仲間でも平のクルーなら泡吹いて倒れるよ!
キャプテンはあたしの瞳から視線を1ミリたりとも逸らさないまま、一段低い声で宣言した。
「“その”ターコイズはおれのモンだ。仲間と言えど気安く見せんじゃねェよ」
――にやり、と笑ったキャプテンは、確かに世間様の言う通りの悪人面でした。
スカイストーンの太陽
「そうだな……眼の色変えないまま能力開放する練習でもやっとけ。次の島に着くまでの課題だ」
「え、えぇぇぇええ!?」
「ニーナ、返事は」
「……ア、アイアイ、キャプテン」
(――でもどうしてかな、気分は悪くない)
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