「ほんとに出て行くの?」

大きなお屋敷から小さな男が一人。たいした荷物も持たずに出てきたところを出会い頭に突撃する。
その字の通り、背中に思いっきり。

「花子」

突き飛ばされた痛みからか、雁夜はいつにも増して低い声で私の名前を呼んだ。
立派なお貴族様が、ヨレヨレのスーツなんか着ちゃって。もったいない。

「もっとしゃんとしなよ、時臣さんみたいに」

軽口のつもりで従姉の婚約者を話題に出せば、彼は途端に少年のような表情をして両肩を落とす。
顔立ちだって家柄だって魔術師としてだって、雁夜は時臣さんに負けてないと私は思っている。
ただ長いこと“幼なじみ”で居続けたせいで、葵さんには異性として見られてないというか、家族のように思われてしまったというか。雁夜にもう少し積極性があったなら、今とは違う道を歩けたはずなのに。もったいない。

「押し倒すぐらいはしとけば良かったのに」

「はぁ!?するかよそんな事」

「いいお友達として別れるよりよっぽどマシじゃん」

「俺は別にっ!………誰が相手でも…こんな家に嫁がせるのは有り得ないだろ」

出たよ。出ましたよ。これだから雁夜は。これだから。

確かにマキリが有する魔術を好き好んで取り組もうなんて考える人は少ない。好きな女の身体を虫に犯されるなんて耳にしただけで身の毛がよだつ。かと言ってマキリの名を背負ってあのおじじさまに逆らうなんてのも無理な話だ。

葵さんをおじじさまの魔の手から救うべく雁夜は身を引き、さらには長男という立場を投げ売り魔術師としての立場も失った。
そんなに好きか、葵さんが。

「私なら平気なのに」

「はあ?」

「葵さんには劣るけどそれなりの素質と魔術回路はもってる。虫だってそんな嫌いじゃない」

「おま、何言って」

「バージンが虫ってのは生理的にキツいけど我慢する。何より私は葵さんがもってないものをもってる」

「花子落ち着けって」

「好き」

長いこと幼なじみでいるのは耐えられない。いいお友達でも家族でもダメ。一人の女としてみてほしかった。雁夜が私を好きじゃなくても、おじじさまの計らいでマキリの家に嫁ぐ話はまとまっていたんだ。雁夜が家を出るなんて考えなければ、私は雁夜の傍にいられたのに。

「雁夜が、好き」

今ここで私がはらはらと涙を流し抱きつくなりすれば、人の良い彼は受け入れてしまうだろう。好きでもない私と結婚し、私をマキリの家のために犠牲にする。でも私は決して雁夜を恨んだりはしない。だって私は雁夜が好きだから。雁夜さえ傍についてくれるなら、虫でも魚でも馬とでもセックスする覚悟を決めている。私には雁夜しかいないんだ。

雁夜に葵さんしかいないように。

「返事はいらない」

きっとこれが最初で最後の告白。だって目の前の彼はすごく残念そうな表情で、頭を抱えて断る準備をしているんだから。

「もうおじじさまに振り回されちゃダメだよ」

「花子」

「ばいばい」

せめてもの餞にと用意した魔術を目くらましにして、私はその場から立ち去った。




(はらはらと舞うその花がまるで彼女の涙のようで)



111117

 


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