曖昧すぎて壊れやすくて
引き留める事が出来ないと分かっていても…(曖昧すぎて壊れやすくて)
どうしてだろう、そんな言葉よりも先に自分の手が彼、蓬莱寺 京一の腕を掴んでいた。無意識に彼の腕を引き、引き留められるものならば引き留めたいと…言い出したら聞かない京一が相手であってもナマエは京一の腕を離そうとはしなかった
『どうしたんだよ、ナマエ』
その問いに答えられる余裕はない。今手を離せば永遠に会えないような気がしていた。
東京を共に護る仲間、藤咲の心の拠り所である愛犬エルが何者かによって連れ去られた。聞けばエルと思われる大量の血が玄関先に残されていたと言う。
手当てが必要ならばその道具を取りに自宅に戻ると言い出した藤咲に対して真っ先に同行を申し出たのが京一であり、現在に至る
『ナマエ…どうしちゃったの』
小蒔に言われ、それにすら答えられずにナマエはただ黙って京一の腕を掴んでいた。嫌な予感がすると言ってしまえばこの場にいる仲間に不安を与える事にもなる…。
『おい、どうしちまったんだよ。お前らしくもねェ顔すんなって』
『だって…っ』
自分らしくない事はナマエ自身も承知している。いつもの自分は京一ならば大丈夫だと口にはしないが安心して送り出す事が出来るだろう。喧嘩ばかりしていた二人だが、京一の強さだけは認めている。そんな京一に何かある筈もない…そう思えるのならば問題はないのだ
茶化すように笑う京一を見つめ、言葉を紡ごうと口を開くが肝心の言葉が喉の奥に引っ掛かる。
『んな今生の別れみたいな顔すんなって。すぐまた会えんだろ』
『…わ、分かってる…』
しかし、言葉とは正反対に腕を掴む手の力は強まっていく。振り払えば呆気なく離れてしまいそうな弱々しいナマエの手…
すぐにまた会えると自信満々に言う京一の言葉を信じられるものならば信じたい。しかし、その言葉を聞いても尚、ナマエの不安は募りナマエの心を締め付ける
『分かってんなら離してくれねェと…行けねェだろうがよ』
この手を離して、もしも京一が帰って来なかったら…
普段のナマエが見せる表情は微塵もない。高校以前からも、謂わば幼馴染みの関係を長年ナマエと築いてきた京一にとってそんなナマエの表情を見るのは恐らく初めてに等しい
『お前、俺を誰だと思ってんだよ。お前がそんな顔してっと、こっちが不安になっちまう』
『…絶対、絶対に帰って来て…約束して、お願いだから…』
ゆっくり、今にも消えそうなか細い声でナマエは言葉を紡ぐ。東京を護る使命を背負い、鬼と対峙する自分達の間に約束など何よりも重いものであろう。
出来る事ならばそんな口約束に頼り京一を縛りたくはない。しかしながら、それでも京一を縛ってしまえばこの不安を消し去る事が出来るのではないか…ナマエは考えたくはない未来に口約束という形で目を背けた
『分かった分かった。じゃあ指切りな…』ふ、と京一の声のトーンが低くなる。そんな時は決まって何かを企んでいる。そう気付いた時には既に掴んでいた筈の京一の腕は腰に回り、片方の手はナマエの顎を掬う
『きょ……っん…ッ』
息を呑むより早く、京一との距離が縮まり、空に浮かんだ紅い月と同じ色をした京一の髪が揺れる。そしてそのまま瞬きをさせる間もなく唇が押し付けられるかのように一瞬重なった
『ばっ…ゆ、指切りじゃないッ』
『へへへ…これでも舌は入れなかったんだから文句言うなっての』
触れた唇を慌てて隠すように両手で覆うと怒りを顕に京一を睨むが流石は京一、全く堪える様子もなくへらへらと笑っている。周りが突然のキスに多少驚く様子を見せるも、やれやれと言った雰囲気に包まれている事にナマエだけが戸惑いを隠せずにいた
『絶対ェ帰って来てやるから、泣くんじゃねェぞ』
『な…泣く訳ない…っ』
まるで子供を宥めるようにナマエの頭を撫でる京一の仕草に苛立ちよりも心なしか不安が取り除かれた気がし、あの時思わず引き留めてしまった自分が今になって恥ずかしくなる
『帰って来たらさっきのキスの続きすっから、良い子にして待ってろよ』
ナマエの表情にいつもの色が戻った事を確認すると再びナマエの頭を撫で、京一はナマエに背を向けた
いつの間にか大きくなっていた京一の背中、昔は然程自分と変わらないぐらいに幼く小さかったその背中に京一ならば大丈夫だろうと言う言葉が漸くナマエの心に甦る
『…いってらっしゃい、京一……』
小さく呟いたその言葉が京一に届いたかは定かではないが、背を向けたまま片手を軽く振った京一をナマエは暫くの間、祈るように見つめていた…
(破られたのかも分からない今)
京一が約束破りの常習犯だって、今思い出したから…