時というものは無常に流れ行くもので。1日1日はその積み重ねでできている。代わり映えのない日々、何気のない日常。それがある時突然一気に崩れたら、人はどうなるのであろうか。予測もできない事態へ陥った時、どう対処するのか。変わらない日々なんてどこにもないのだ。当たり前だと思っていたことは、突如として驚くほど脆くあっさりと崩れ去ってしまうかもしれない。


『だからこそ、自分にとって当たり前だと思っているものを大切にしなければならない、ねえ。・・・くだらない』

僕は途中まで読みかけた本を栞を挟むことすらせずにぱたりと閉じた。何も意識していなかったのに自然とため息がでた。本当にくだらない、と僕はもう一度口にした。こういうことは今更改まって書かなくても、至極当然のものとして僕達の認識の中に存在している絶対的な事柄ではないか。それをいちいち偉そうに書いているのが気に食わない。

『はあ。辞書まで引いて読んでいたのに、時間の無駄だったね』

新しく入荷した洋書だというから期待していたのに、期待はずれもいいところだ。やっぱりあの書店の店主は使えない。
しばらく何も口にしていなかったからか、喉が渇いた。本の傍らに置かれた珈琲カップはいつのことからか空っぽになっていた。

『ねえ!珈琲持ってきて!』

こうして僕が頼めば、すぐに使用人がやってくる。物心がついたころから、僕は自分で何かをした記憶が無い。それは僕だけに限らず、きっと兄弟達全員がそうであったと思う。それが宮ノ杜家であり、ここではそうしたことが当たり前のことであった。だがしかし、こうやって使用人に何かを頼む時、誰か、と主語を付けなくなったのはいつからだっただろう。頼めばいつだってあいつがなんでもやってくれるようになったのはいつからだったか。そして、あいつ以外の使用人には何もしてほしくないなどと思うようになったのは、果たしていつから?

『雅様?お呼びになりまして?』

僕が声を発してからしばらく経った後、ぱたぱたという足音と共にドアの向こう側から聞こえてきた声は、あいつとは違う、しかし聞きなれた声だった。

『あれ、千富が来たの。入っていいよ。・・・あいつは?』
『失礼しますわ。あいつとは・・・ああ、はるのことですね。あの子なら今の時間は庭の掃き掃除をしていますが』
『ふーん、そうなんだ。じゃあ千富でいいや。珈琲入れてきてくれない?』

カップをすっと差し出すと、千富は微笑みながら両手で受け取った。外国の花の模様がしつらえてあるという陶器でできたそれは、誕生日の祝いとして正あたりからもらったものだったか。

『変わられましたね、雅様も』
『僕が?どんな風に変わったっていうの?』
『あら、ご自分ではお気づきになっていないんですか?ふふ、以前とは全然違いますよ』

笑みを浮かべながら話す千富はどこか嬉しそうであった。千富は僕が産まれた時からずっと近くで世話をしてくれている。使用人ではあるが、実質僕達兄弟達の母親代わりのようなものだ。その千富が変わったというのだから僕はきっと変わったのだろう。けれど自分自身はその変化がさっぱり分からない。

『まあ、変わってようが変わって無かろうが別に僕はどっちでもいいんだけどさ。ねえ、そんなことより珈琲はやく淹れてきてよ』
『あ、あら私ったら、ついお話を。すみません、すぐ淹れてきますわね』

千富が部屋のドアを閉めて出ていくのを確認すると、僕は窓際まで歩みを進めた。