善悪の足音
2015.3.5




※「Stealth #0065」の佐藤すずき様著。
誕生日のお祝いに恐れ多くも狂喜乱舞なプレゼントとして頂戴いたしました!!ヾ(。>w<。)ノ゙



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<概略>
リヴァエレ/リヴァイ班壊滅後/不眠で幻覚を見るエレン/
甘々(?)を目指した結果、撃沈しかろうじて切甘っぽくなりました(アレ?切甘ってどういうものでしたっけ……)。






善悪の足音

   

 非常に困ったことに、エレンはあれから──あの悪夢より凄惨な悪夢のような日から、どうにも苦境に陥っていた。具体的に謂えば、誠なる現し世に眠れぬ宵々が続いているのだ。完全に一切まるきり、ほんの一睡足りとも出来ないと云うわけでは流石に無いが、何れ程躰を酷使し疲労していようともまったく寝付きは良くならず、なのに義務付けられている起床時間である朝が来るよりも、随分はやく、はっきりと目が醒めてしまう。夢は見ない。否、見ているのだろうか? それすら実感を失っている。人間は、1晩のうちに大抵、5〜6個以上、夢を見ていると謂う。けれどそのうち覚えていられる夢は限られており、脳が流している筈の夢は記憶の整理であるのだと、幼少の折いつだったかアルミンから、そう教わったことがあった。シガンシナが陥落する前のことだ。あの頃より既にアルミンは、エレンの頭なぞでは理解出来ない程、聡明で弁も立つ子供であった。
 調査兵団に入団を赦されてからエレンに与えられている部屋は、旧本部の古城、地下にあるので当たり前に窓が無い。ただ、巨人化能力の解明や巨人討伐での有効利用以前に、先に黴にやられて肺でも患えば元も子もあるまいと、突貫的にではあったがリヴァイとエルヴィンの取り計らいによって、態々取り付けて貰えた小さな換気口がひとつきり、1階と地下を繋ぐ扉にあるだけで、それは羽根も無く、だから別段、煩くは無いのだが、しかして靜けさも齎さない。その暗い穴を通る空気が時々、まるで誰かの、声にならない悲鳴のように、ひゅうひゅうと、か細く哭くだけだ。そしてそれは窓の無い地下室特有の黴臭さを根刮ぎ失くしたり、爽やかにしてくれたことは残念なことに1度も無い。そんなことより今エレンにとって重要なのは、ここが紛れもなく地下に有る、と云うことで、つまり地下室の壁の向こう側は絶対に土のなかなのである。それなのにあの悪夢の日からずっと、この部屋の壁の向こう側は夜になる度に土では無くなって、絶対に有る筈の無い『外の景色』をエレンに見せている。見せている、と云うかいっそ、見せ付けている、と呼ぶべきな程に。壁越しに、有る筈の無い、緑色の景色を。そこに存在する筈が無いと理解しながら存在する、数えきれない程の幾人もの影──ヒト、だった。元々部屋の余っていた古城だ。初めて来た頃から広かった。理解っている。こんなものはすべて、エレン自身の心の、脆弱さの問題だ。
 毎朝、起床後に、まだ目の下に隈は出来ていないことを、逐一手鏡で確認しては、女々しくも安堵する。巨人化に纏わる能力だろうと思われる、異様な治癒の速度やタフネスさなどをこんなことで感謝することになるとは思わなかった。だが、それでもこのままではこれから徐々に色を濃くしていくだろうと云うことくらいエレンとて知っていて、例えば解決出来るのなら1日でも速く、今すぐにでも、エレンは自分自身の力で解決したいと考えている。当前だ。こんなことは、出来れば誰にも知られたくない。けれどもこれは如何に考え、何れ程何かを試してみようとも、それらをすべて嘲笑うかの如く解決策がちっとも浮かんでこない。ので、とても厄介だった。心配はかけたくない、迷惑はかけたくない。しかしそれよりも、失望されてしまうかも知れない。頭に浮かぶ唯一の彼の人の、溜息混じりの呆れ果てた顔が脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消え、エレンは自分の情けなさに泣きたくなる。ただでさえ自分は未だ、経験の足りぬ新兵で、特筆に値する不可思議な巨人化能力も上手くコントロール出来ない、足手纒い以外の何者でも無いのだから。未熟で愚鈍で、更にはその上睡眠さえもろくに自身の思うように取れていないだなぞ、兵士失格だとすら自覚している。毎晩地下の寒々しさに肌をねぶられる度に思う、今日こそは確り熟睡してやると。大袈裟にそう決意しては少しだけ躊躇し、エレンは固いベッドへと潜り込む。あとはただ、ひとり、目を閉じて、じっと朝を待つだけだ。夜が明日へと去って往くまで────。


「エレン」

 びくり、と──エレンは、完璧に、僅かな気配も感じさせること無く名を呼ばれ飛び起きた。こちらにかすかな物音ばかりか、呼吸音の欠片すら聞かさずに、いったいいつ侵入してどのくらい前からその瞳でエレンを伺っていたのか。とても心臓に悪い。

「……あ…、……へっ…兵長……すみません! あの…何か、ありましたか…? お、俺、…あ、あの……ええと俺、丁度寝てしまうところで、っ…気付かず申し訳ありませ…」
「あァ? 違えだろクソガキ。…毎晩毎晩、施錠時に狸寝入りしてんじゃねえよ。俺が何も気付いちゃいねえとでも思ってやがったのか? おい、エレンよ」

 言い掛けた子供の言い訳も、誤魔化しも、何ひとつとして、リヴァイには通用しない。リヴァイは世辞にも、良いとは言えない鋭利な目付きを眉間に深い皺を刻むことで殊更厳しいものにして、だがいつも通りの声音で、責める様子も無く、慌てベッドから半身を起こしたエレンをじいと見下ろしていた。

「最低限の睡眠も取れずに自己管理もまままならねえで、その馬鹿な頭ンなかに独り抱え込んだまま、解決策が浮かぶとでも思ってんのか」
「な、んの、お話でしょうか」

 この期に及んで反射的にシラを切ろうとしてしまったエレンに、勘の良い上官たるリヴァイは舌を打った。

「なァおい、エレン。おまえのなかじゃあ、俺は相談するにも値しない程、クソ頼りねえ上官か」

 舐めやがって、と苛立たしげに立つ姿に、あァもう、とエレンは少しだけ俯いた。だから。だからこの兵士長は心臓に悪い。ほんとうに心臓に悪い。
 リヴァイは手にしていたランプをベッドヘッドに置く。そしてそのままエレンの顎を掴んで、強引にそちらへと向けさせた。橙色が揺れている。部屋のなかをぼんやりと照らすその灯火に浮かぶ色が眩しくて、自然、目を細めれば愈愈エレンは平静を保つことが難しくなっていく。

「まったくてめえはどこまで頑固なんだ。クソガキ」

 如何にも呆れ返っていると云わんばかり、しかしまるでエレンの何もかもすべてを見透かしているような、その鋭く見据えるネイビーブルーの双眸と2度めの舌打ちに、エレンが最後の力を振り絞る悪足掻きで逃れようとしてみせると、額にデコピンを食らった。とても痛い。

「うぅ…へいちょう……」

 人類最強兵士長直々のそれによる痛みでエレンの目頭には薄らと涙が浮かぶ。リヴァイは溜め息をつきながら、エレンのすぐ傍に座った。

「意固地も大概にしろ。どうにもならねえことくらい、誰にだってある。恥じるな。自分だけじゃあどうにも出来ねえんならさっさと頼れ、愚図野郎。時間の無駄だろ」
「っ……」

 いい加減切り替えて確りしろ、とか、てめえそれでも兵士かよ、とか、そういった台詞を投げ付けられようとも仕方が無いと思っていたエレンには、予想だにしていなかった台詞だった。それに対し呆気に取られ目を丸く見開き、エレンはリヴァイをまじまじと見た。ら、何だよその間抜け面は、と、また少し不機嫌そうに言い放ったリヴァイが優しくて、エレンは苦笑せざるを得なかった。

「聞いてんのか、エレン」
「すみません。聞いています。でも……だって、」
「あ?」
「だって、兵長が優しくて、」

 すみません、不謹慎だけれど嬉しいです。たったそれだけの言の葉を口に出せずに、エレンはまた黙った。黙ると胸の痛みが増して、リヴァイよりずっと幼い指先は仄か震えたが、彼はそれを嗤わなかった。代わりに、今から話すことは全部俺の独り言だから気にするなよ、とエレンに告げる。

「あいつらはほんとうに優秀だった。兵士として、人間として。俺とは随分違って、俺には出来ねえことを出来る奴らだった。そうだな…おまえの知らねえあいつらは、例えば、グンタは顔に似合わず優しい男でな、時々、晩酌をしている俺のところへ来ては、訓練中のことや業務報告とは別に、今日はどうだっただとか、よくおまえの話を俺にした。歳の離れた弟のことでも話すみてえにな。今日もまた転んでましたよ、だとか言ってはそれを支えてやれたんだと、嬉しそうに話すんだ。俺はそれを聞きながら、そんな鈍臭いガキが可愛くてしょうがねえんだなと思ったもんだ。エルドもそうだった。グンタとは違って、あいつは、褒め言葉を並べるんだが。自主的に、全員分の馬の世話をしていたらしいガキのことを、そりゃ褒め過ぎだろう、ってくらいに、良い後輩だと繰り返す。そのあたりはペトラもそうか。何か手伝えることは無いかと厨房でうろちょろするガキに料理を教えて、クソ不味い紅茶ばかり煎れやがるそいつが少しでも、俺の気に入る味を出せるよう指南していた。互いきつかったろうな。何せガキは覚えが悪いガキで、ペトラはあれで実は1番のスパルタだ。オルオは口だけだが。あれでいて細かなことに気のつくところがあった。ここに換気口を取り付けませんか、なんぞと初めに提言したのはあいつだった。ガキの前じゃあヒヨッコヒヨッコと格好つけちゃいたが意外と繊細な奴だった。だから俺はあいつらに、何かを教えたことがねえ。実際俺は何でも我流だからな、他人に何かを教えて育てるってことが出来ねえ性質だ。あいつらが居てくれたお陰で、うっかり、やり過ぎて折角の新兵を殺しちまうってことも無く、壁外調査へ行けたようなもんだった」
「……でも、そんな方々を、殺したの、は、」

 と、一通りリヴァイの話を聞いて、反論しようとしたらなぜこの場面だ。エレンの腹の虫がクウと鳴いた。ちょ、空気読めよ! 我ながら呆れと恥が鬩ぎ合うと同時、どこかで気が緩んだのであろう己にエレンは気が付く。正直なところ、眠れぬ夜から如実に食欲もほぼ失われていたのだ。充分な睡眠を取っていなければ他の機能も損なわれる。ましてやあのあとのことだった。兎に角自分のことは自分で解決したくて回復を優先せねばと無理に通常通りを装い続けてはきたが、そうしようとすればする程自分の無力さに打ちのめされ、必死になって堪える涙の代わりに嘔吐していた。それゆえに、きっと、リヴァイが業を煮やしついぞ乗り込んでくるまでに、随分と時間がかかってしまったこともまた、事実であった。それでも、エレンがエレンを赦さないのだ。決して。決して赦そうとしないのだ。こうして結果的に、リヴァイ曰く『独り言』によって助けて貰えたとしてもだ。だからあの日もそれ以降もあれ程馬鹿のように泣いたのに、未だに思い出せば涙は果てず、こんな今に至る羽目になった。

「馬鹿か。おまえが、あいつらを殺したと言うんなら、まずは俺がおまえに謝罪し、おまえに断罪されるべきだった」

 咎められるどころか真っ直ぐに見詰めつつ真摯にそう言われ、肩から全身へと力を入れていたエレンは、またも予想外に間の抜けた顔を曝す。その頭の上に、リヴァイの無骨な手が乗せられる。ぞんざいに。けれどひどく優しかった。

「眠れねえんだろ。飯も喉を通らねえくらいに」
「…そ、れは…そう、です、けど……」
「だから。それらは何もかも、俺のせいだと言っている。あいつらの死も、おまえの不調も、おまえのせいじゃねえ。俺のせいだ」
「っ…兵長!」

 堪らず声を荒らげたエレンに、しかしリヴァイはただただ冷静だった。

「あいつらに、エレンを護れと命じたのは俺だ。そしてあいつらはその任をまっとうしただけだ」
「そ、っう! だとしても! そうだとしてもあのとき、俺が正しい選択をしていれば…」
「ならそれを新兵のおまえに委ねたのは誰だ? おまえの独断だったか? 違うだろ」
「けれど、だけど──ですから、結果は誰にもわからない、って、」
「そうだ。誰にもわからない。つまり今のおまえの状態も、俺にはわかってやれねえし、俺じゃあ、どうにもしてやれんと言ってんだよ」
「……」

 確かに、エレンが自分ではどうにも出来ない状態にまでなっているのでリヴァイが今ここに居るのだ。エレンは内心叫びたい程に焦った、その焦りが声となって出てくる。だが、リヴァイによって謝罪されることも、リヴァイを断罪することも、エレンには出来得ない。知っているからだ。だって知っているのだ。この男ならば何とかしてくれると、この男ならいつしか必ずや巨人を根絶やしにしてくれるのだと、意識的、無意識的に調査兵団内のみならず、誰もがそう思っているのだと。人類最強と云う冠は、それだけ重いものであるのだと。そんな重圧をずっと一身に背負い続けているリヴァイが、自分でもどうにもしてやれぬと簡単に言ってのけたのである。

「毎年、決まって幾人かの兵士が同じような状態になる。時には戦友の後を追う者も、発狂し使いものにならなくなるばかりか元に戻らなくなる者も、存在する。まァ、厄介と言えば厄介だ」
「俺、は、別に……眠ること自体は、寝付きが悪くとも、出来るんです。でも問題は、それじゃあ、無い」
「誰か──いや、何かと呼ぶべきか。そういうものが存在するんだろう? ドアの向こうか、この部屋の壁の向こうか」
「はい…ここは地下なのに、そこの壁の向こう側、それらは日に日に近付いてきています。昨夜は、部屋まで入り込んで……この、ベッドに手が届きそうな距離に、突っ立っていました。最初のうちはただの夢だと思ってた。…ですが、」
「違ったんだな? おまえは確りと覚醒していた。そうだろう」
「…………は、い」

 あやふやな口調ではあるが事実的記憶を辿り辿り、話を進め始めたエレンに対し、リヴァイのネイビーブルーの目は、ただ無表情にエレンの蜂蜜色を見詰めるばかりで、別段、考えている素振りを見せ付けなかった。それに焦れ、理不尽さと不安が尚更煽られてはエレンのなかから湧いてくる。

「はっきりしていることは、それが夢であって夢じゃあねえってことだ」
「…なら、何なんですか……?」
「おまえはどう思ってんだ? エレンよ」

 いつだってリヴァイは簡単に正解を教えてはくれぬ。それは知ってはいても。理解しづらい、見落としがちなヒントだけを与え、エレン自身がエレン自身の解答を納得の上で見い出すまで、サポートはしてもそれだけで、それがエレンの知識になり、力となって、自らの生命も、そして大事なものをも、奪われぬための、確固たる知恵と力になるのなら、と普段であればそう信じて答え探しをするエレンであるも、今は、このときは焦っていた。もしかしたら今夜は、昨日よりもっと、うんと近付いてきてしまう可能性が高いからだ。

「どう……とは?」

 寝不足でまわらない頭で必死に考える。わからない。蜂蜜色の双眸で訴えかけつつ思い詰めた顔をする、エレンを見て、リヴァイは溜め息では無く小さく息を吐き出した。

「今夜は俺もここでも寝よう。それなら、何が来ようが安心だろ」
「……駄目ですよ。何を仰ってるんですか」

 情けない。尚も正当が理解らないエレンはつい可愛くない態度をとってしまい、だがリヴァイはやはり何も気にしたふうでは無い。眠いんです兵長。そう呟けば、口の端を上げて笑われる、いつからだろう、エレンはリヴァイの感情の機微を、気配で感じ取れるようになった。

「生憎、俺は子守唄のひとつも知らねえもんでな」

 身を寄せて体温を感じるところでリヴァイは、咄嗟に、目を伏せたエレンの耳元へと、流し入れるかの如く吐息と共に言葉を吹きかける。以前のエレンであれば、それだけでもう顔を真っ赤にして布団のなかへ篭城し、自らはなかなか出て来ない、と云うあからさまな過剰反応を見せたことであろうが、今は何も返されず、リヴァイのほうが子供相手に躍起になり積極的にならざるを得ない状態なのだ。面白くないが仕方が無い。何せエレンは今、心身共にまるで万全では無かった。そっと、あくまで真綿でくるむように、そうっと、リヴァイはエレンを抱き締め、その身をベッドへと押し倒した。少しでも、眠れるうちは眠るべきなのだ。そんなことは互い、理解している。それでも眠れと言って眠れるのなら誰も苦労はしない。寝苦しそうな声で靜か、唸るように、エレンの喉がうん、と鳴る。幾度も寝返りをうち、駄々を捏ねる幼子のような仕草でつらそうにする。大声でなぞ無いのに、唸る己の声がひどく邪魔で、地下室の静寂をゆるりと裂いて、それはエレンの躰の内側、見えぬところで大きく反響し、ますます眠りを妨げる。無理に瞑っていた瞼もやがては瞑っていられなくなり、またかよ、とエレンはうんざりと舌打ちをしたい気持ちを味わうが、今、ここでこれは、夢現に覚醒し、安易に舌打ちすることも、もう、つい先程のように寝返ることも出来なくなって、不利な立場にいるのだと実感する。朧げな意識のなか、エレンは今は独りでは無い。リヴァイの腕が肩を押さえ、すぐ隣に在る『生きた体温』。これ程頼もしくも安堵する要素が、他に有るだろうか。無い。それなのに、目だけが爛々と冴え、吸い寄せられる視界はリヴァイの肩の向こうに在る、揺らいだ陰を真昼の外庭を鮮々しくも捉えているから恐怖に支配されてしまう。このような幻覚、慣れてしまえれば良いのだと、しかし幾ら心で毒づいてみようとも、この恐怖には慣れる筈が無いのだ。なぜならそれがエレンの恐怖の正体であるからだ。実態が有ればまだ良い。言葉を発し、あれらがエレンに害を成すものであるならば。だとすればエレンは巨人化などしなくとも闘える。しかしあれらには悪意を孕んだ気配も無い。そこに居る──ただそれだけなのだ。何がしたいのかもよくわからない。恐怖心だけをひたひたと、こちらに植え付けていく。とても厄介なそれらは冷たい地下室の石壁の向こう側、から、ゆっくりと、エレンを追い詰めるようにまた移動する。ゆらり、ゆらりと、左へ揺れ、右へ揺れ、そしてエレンの視界のなか、立ち止まるのだ。 団服を着ている者も着ていない者も居る、老若男女、大人から子供まで、分け隔て無く──背骨が逆側に折れている者、首が無い者、脚がもがれ斜めに立つ者、腕ごと半身を失い内臓を零している者。挙げだせばきりが無い。あれらはヒトだ。巨人に喰われ、無意味に吐き出された、人間の骸だ。こぞって一様に変わらないのは、皆が皆、無表情に、恨めしげも無くただ、エレンをじっとりとねぶる視線で眺めていることだ。もういやだ。恨み言を吐き捨てられるほうがまだましだとさえ思える。揺れ動く無数の死者たちの、おかしな方向に向いた躰がずるずると足音を立て、消化しない巨人の腹のなか、そこに沈んだ粘ついた液体を腐った胃液のように落として引き摺るそれらが罪悪感を掻き立てるけれど、その影に怯えて目を瞑ってしまったら、瞼の裏側に広がる闇をエレンは見ることとなる。これは幻覚であるのだと、現実はもう過ぎてしまったことであるのだと、考えぬよう、考えぬよう、無数の死人を考えぬように、意識を逸らそうと努めても、拭えぬ恐怖は脳裏にこびりつき続けてはエレンを一途に蝕んだ。心臓が震え立つ。
 入って──きた。
 昨夜と同じく。石壁を擦り抜けて。どこに手があって、どこに頭があるのかすらわからない程に、ヒトとしての原型をとどめていない者さえも。即下。脳内が恐怖でいっぱいになるその速さをエレンは感じた。自分の恐怖の形によって自分が恐怖するなぞ何と滑稽なことか。けれども恐怖に侵食される心は、連動し脳内に様々な情報を叩き付けていく。ベッドの下から覗く見開かれた目玉。下半身の無い女。すぐ傍で、エレンのすぐ目前にぐちゃぐちゃに潰れている顔を寄せる子供たち。突っ立ったままベッドへと伸ばす無数の人々の手。どれもこれも死した人間の形をした脅威に、エレンの精神は瞬く間に恐怖で支配されてはその恐ろしさに自己嫌悪する。途端。ぞわ、と背後で何かが背筋を撫でたかのような感覚を味わって、あァもう心臓が煩い。止まってしまいそうな程に。目前にて、あと少しでエレンにふれそうな至近距離。突っ立っている緩慢な動きから目が離せなかった。心なしか、影で見えない部分をも薄らと見えてくる。はっきりしていることは皆が皆『生きていない』と云うそれだけのことだ。ふれるかふれぬかの位置に在る手はそこから微動だにしない。なぜ動かない。なぜ声を発しない。なぜ、感情を、現さない。そんな歯痒い恐怖と圧倒的な生理的不快さが混じり合い吐き気を催す。突如ひと刹那、弾かれたようにギギギと大きく鳴る程の稀有稀有しさで首らしきものが動いた気配がした。

「ヒッ…っぁ!」

 それ以外は声にならなかった。ひゅうひゅうと、か細く哭く喉がやっと絞り出した悲鳴は換気口のそれに似て、エレンは上手く呼吸が出来なくなり、ついに過呼吸を起こすその1秒手前、エレンの口許を無骨な手のひらが覆う。

「動くな、エレン」

 恐怖と不快さでいっぱいっぱいだった未熟な心が強制的に揺らされ弛む。エレンの耳元で囁くようなリヴァイの、だが力強い声に鼓膜が震え、心が泣きだしたのが理解った。情けないのはそれに反動を起こした涙腺が大破しそうなことだ。リヴァイの傍で、この人の目の前で、子供のように泣いて溜まるか。それっぽっちの意地ですっかり恐怖よりも矜持を優先してしまうエレンの視界に、リヴァイの靜かな顔が映しだされる。

「兵、長…ッ」
「何だ」
「いま、今ここ、には、奴ら、が」
「そりゃあどいつの話だ?」

 自分以外の人間が──リヴァイがふれれば消えるかも知れぬと根拠も無く思っていたそれらは皆、未だ不気味な風貌でエレンを窺っている。今にも再び動きだしエレンの手首を掴み取りそうな勢いだ。

「あいつらです! ここに! 俺のすぐ目前に居るでしょう!? 部屋中に、数え切れない程の…っ!」

 腹の底から激情が湧き上がった。安心し心が和らいだ瞬間に湧き上がるそんな子供染みたものを制御出来ずに、エレンは真夜中であることも忘れ震える声を絞るより外に術を持たない。

「動くな、と俺は言った筈だ」
「…だ…って、……へいちょう」
「俺から目を逸らすな」

 言って、リヴァイはエレンの両頬を乱暴に掴み、無理矢理己のほうへ向かせ続ける。紡いだ言葉も、声も、エレンにとっては物騒そのもので、死体へいだくものとは違う意味でエレンは萎縮してしまった。ばく、ばくと、心臓が小刻みに爆発した音が躰の内側から響く。互いの鼻先がくっついてもおかしくない程も間近に寄せられ底光りするネイビーブルーが、つよい引力を帯びて、エレンの視界から幻影を消し去った。跡形も失くなった人々、跡形も失くなった恐怖の正体、けれども未だにエレンの心臓は大きく速い速度で脈打ち、残った恐怖の残骸が肌に突き刺さるようで痛い。こんなにも恐ろしいリヴァイを見るのは初めてかも知れなかった。疲れきった表情で、エレンは漸く落ち着いた呼吸をひとつ、出来た。理解っている。あれは恐怖の形でしか無いのだと。リヴァイの右手がエレンの額に優しく添えられる。そんな状況に、エレンは一瞬、場違いなことを思ってしまっていた。

「エレンよ。おまえは“金縛り”にあったこと、或いはその知識はあるか?」

 いつに無くゆったりとした口調でリヴァイは問う。まずはそこから、話を折らせない進め方をしてくれているのだと知る、なのでエレンは素直に首を僅か横に振った。

「正しくは、“脳内痙攣”と呼ぶものらしい。疲れが溜まり過ぎているときなんかに出やすい症状だ。躰はぐっすり眠ったままなのにも拘わらず、脳内だけが覚醒しちまう」

 夢現も脳内痙攣の1種だ、と続けリヴァイはエレンの額に浮かんでいた異常なまでの汗を確かめながら、変わらず見透かす。

「夜中に目覚めて躰が動かねえ、ついでに声も出せねえ。これを“金縛り”だと大抵の奴らは言う。が、おまえはそれだけじゃあねえんだろう?」
「…はい」

 恐る恐る答えてみれば拭われた汗をタオルで拭いて、そのあとで、まったく、と言い放された。

「その“脳内痙攣”ってやつはな、躰の自由もきかず声も出せねえ、と、脳が“勘違い”するんだとよ」
「…………“勘違い”…?」

 咀嚼しきれず小首を傾げるエレンの姿は年相応で、つい、リヴァイは小さく笑った。

「そうだ。動かない、と勘違いする。だから動けねえ。声も出せねえ。…でも、実際は微動しているし、声も唸り声くらいは出る。何かしらの“恐怖の形”を見ながら、エレンおまえは夢現に見ていた。まさにそれだ。脳は覚醒しているとは言っても、酸素が足りてねえ状態だから朧げだ。そこで酸欠の脳は再度“勘違い”しやがる。“これは金縛りなんだ”とな。よって、初めに、俺にもどうこう出来るもんじゃねえと言ったんだ。おまえだけにしか見えんものを俺にはどうにもしてやれねえ。それはおまえだけの恐怖だからだ」

 最早ふたりきりの地下室内で──否、初めから今夜はふたりきりであったのだ──リヴァイは淡々と話を進めた。あたかも刷り込むような程立て続けに“勘違い”であるのだと繰り返して。ただ単純にエレンの脳が起こす、“痙攣”と“勘違い”。エレンは考え込む。

「…待って、待ってください。兵長。あれらが一切合切何もかもすべて、その、勘違いが起こした現象だったなら…なぜ奴らは毎夜、動いて、俺に近寄って来たんですか……? 何で。どう、して…」

 疲れ果てた頭で考える子供の答えを待ちつつ、リヴァイは口を噤んでは、疾うにぬるくなっている水差しに口をつけている。漸漸近しい正当に辿り着いたような訝しげさでエレンが言葉を探していれば、そのうちひとつ息を吐く、リヴァイはエレンの柔肌を撫ぜた。子供は頬ですらやわくあたたかい。

「理解は出来たか?」
「多少。……でも、あれらが動いて、蠢いて、俺を捕らえようと手まで伸ばしたその意味が、理解らない」
「簡単じゃねえか。それはおまえが望んだからだ、エレン」
「のっ…望んでませんよ!」
「いいや、望んだんだよ。おまえの頭ンなかが。だからこそ、恐怖の形がつくられた」

 指摘された的確な言葉にエレンは思わずグ、と息を呑み込んで、下唇を噛む。そういう仕草をすればまったくもって実年齢より子供っぽい、と云うか子供そのものであるが、エレンがエレンを傷つけることは頂けない。リヴァイはエレンの唇を指先で優しくなぞり、噛むなと宥めるように咎めた。

「突然目が覚めた時分、刻は丑三つ時だかわからねえ。朝陽がいつ昇るのかさえ目視出来ねえ真っ暗な地下室で、何が何だかわからなくもなるだろうよ。体も動かず声も出ねえ。そうなったときに想像するのは、恐ろしい記憶や、または単なる情報だ。まして調査兵団に身を置けば情報源なんざ無限に広がっているから取り入れたくなくとも無意識の内に目にし、耳にしちまう、そのひと欠片の恐怖が瞬く間に膨れ上がっていく。1番恐ろしいものはヒトの想像力だとはよく言ったもんだ。脳に描かれた恐ろしい何かを、ヒトってやつは簡単に目前につくれる。悪魔だ魔物だ化け物だと呼ばれた類いも殆ど全部はヒトの想像力や隠蔽したい歴史なんかがつくり出したもんだ。まァおまえは本物の化け物なわけだが。それら恐怖の形を魔物と呼ぶか、はたまた幽霊と呼ぶか、怪異と呼ぶのかは興味がねえからよく知らんがな、兎に角、要するに個々の恐怖程厄介なものはねえってことだ」

 即ちそれは、幾ら叡智に長け、屈強な心身と底知れぬ力を持った者であろうとて、自らの想像で生み出された脅威を滅することは不可能に近いと云う話なのだ。信じたくない事実ではあるが、信じざるを得ない事実であった。想像力で衰弱していくエレンを、如何にリヴァイが人類最強であれどもどうにもしてやれぬと断じたのも。更にリヴァイは追い討ちをかける。

「まだ腑に落ちきっちゃいねえって面だな」
「……そりゃあ、」
「だったらもっと考えてみろ。仮におまえの見るそれらが、所謂霊的なものだったとして──ならばなぜ、そこにあいつらが出て来ない? 俺はあいつらにエレンを護衛しろと命じた。そしてあいつらは命令をたがえる奴らじゃねえ。兵士としても、人間としてもだ。死んでようとも、エレン、おまえを尚、助けに駆け付ける筈だろうが。おまえの金縛りに、あいつらは居たか? 恨めしそうに、おまえを、責めようとしたか」
「いいえ。……いいえ、兵長」

 答えた途端、恐怖を耐え続けた涙腺が滔々決壊した。ぼろぼろと流れる涙に、夢より想像より、現実が最も哀しい。その上で、枯渇しない涙に不思議と笑みさえ零れる。1度換気口に目を遣り、天井を見上げて唇をへの字に曲げるエレンを見ながら、リヴァイはふうと態とらしく溜め息をつき橙の灯火に揺れるふたつの影を一瞥した。例え凍土に額を擦り付けても、食べたものをすべて吐いても。還元で償える筈も無い。何かが有益に芽吹くことも無い。それは黴だ。心を巣食うもの。心に巣食い続けていくもの。エレンの瞳が映し出していた天井にリヴァイが覆いかぶさる形で映り、視界いっぱいにまた、深いネイビーブルーが反映される。少し、面白くなさそうに眉をあげてみせたリヴァイは地下の夜影を背にしながら無言で、こっちを見ろと言っただろうが、とエレンに命ずる。つくづく夜の似合うヒトだとエレンは思った。厭味を呑み下しエレンも目前にあるその目玉を見詰め返した。罪達し、棺にも入れられず絶命は持ち越され、て。それらがエレンの脆弱さゆえだと云うのであれば簡単なことだ。もっと強くなれば良い。それだけのことだった。
 まだ理解らねえか、簡単なことだろう。リヴァイの声がそう囁く。

「あの…兵長……」

 重いです。リヴァイに馬乗りになられエレンは困った顔をした。

「気が乗らねえか?」
「……ええと」
「いつもなら耳を甘噛むだけで、臍を辿るだけで、乳首を摘むだけで一気に勃たせるようなマセガキが」
「な、っ……そうしたのは、兵長でしょう?」
「当然だ。俺以外の男相手に盗られるくらいなら、今頃疾うに殺している」
「相手をですか」
「いや、おまえをだ」
「…………何だか理不尽を感じます」

 エレンの眉間に寄る皺にリヴァイの指が沿うた。ふ、と、小さく、エレンを小馬鹿にするときにのみ見られる笑みは、悔しいがリヴァイによく似合う。そうして見詰め合う互いのまなこの奥がぎらつけば、磁石のように自然、けれど強烈な引き合いに気付けば唇が重なり合った。

「っ…ン、ふ……っんん!」

 子供の口内を思いきり貪りながらリヴァイは夜着をたくし上げ、まだ幼い胸の突起へその指先を這わせた。深いネイビーブルーはエレンの金色を捉えたまま、指先で器用に摘んでは押し、摘んでは撫でての繰り返しを施す。両の乳首を上手い具合に刺激され、て、エレンの眉は顰められ痩身のラインはびくびくと奮えた。それでも頑なにその強気な双眸は、流されてなぞいないのだと無言でリヴァイへと告げているので面白い。挑発されれば挑発される程、我慢されれば我慢される程、男の情欲に火が点くのだと今まで幾度もリヴァイが教えてきたのにエレンは性質の悪い無垢さを見せ付ける。のでついリヴァイは、度を越した抱き方をしてしまうのだ。いい加減学習すれば良いのに。と思う裏腹、こうだからこそエレン・イェーガーはエレン・イェーガーであるのだとリヴァイの支配欲を満たしていく。くに、柔らかいだけで無く薄桃色をした乳首が僅かに硬度を帯び、むくりと勃ち上がるのが指の腹でわかって、それを頑なに納得せぬ金色が恨めしそうにリヴァイを睨みあげる。が、それは確実に情欲の色を、濁る光を、混ぜ合わせ始めていく。それがほんとうに堪らない。リヴァイは思わず心のなかで、舌舐めずりでもしてしまいそうな程度には無意識に欲を煽る子供が愛しく何より小憎らしい。こんな、舌先の使い方さえままならぬガキに、とすら思う。けれど指先で弄るだけの擽ったさから徐々に愛撫のそれへと変化してゆく都度エレンの呼吸は少しずつだが乱れ始める。合わさった視線は意地悪くも互い雄臭く視界を塞いでしまうので目を逸らすことすら出来ない。寧ろ、逸らせば負けだと、負けず嫌いの闘争心が、生まれた羞恥心をいつも上回るのだ。少しの痛みとそれを凌駕する甘い愛撫に意固地な子供が蕩けてしまうのをリヴァイは大分満足しては態々と赤い耳元に呟く。

「勃ってきたな」
「んなのっ…言わなくて良いです、よっ……もうっ」

 掠れた声、夜伽だけのエレンの声。リヴァイ以外は誰も知らぬその声。は、リヴァイの鼓膜を突き破るかの如く入り込み無意識に胸が奮えた。クソガキが。心では思えどもここまで来てしまえばやめてやれぬと理解っている。し、疾うに乾いたエレンの涙の跡を舌先で辿れば、身を捩る子供はリヴァイを睨みその瞳につよく光を宿す。上手い具合に乗せられ流されているような、慣れた情事が嫌なのだろう。エレンは何れ程抗おうともリヴァイの指先ひとつで簡単に翻弄されてしまうのだ。そんなふうにされた自身の躰
が嫌だと、リヴァイの舌へと噛み付こうとする。それが可笑しくてリヴァイが肩を揺らすと、何も言わないとでも決め込んだのか、引き結んだ唇を見て、少しだけ苦笑し、閉ざされたエレンの唇へとリヴァイは小さく軽いキスを贈って、から、心音の聴こえる子供の胸へと頭を下ろした。ぱさり、落ちたリヴァイの髪がエレンのシルクスキンを刺しては擽り、焦れったさを産み付けると知っていた。柔肌にふれた毛先と、乳首へと口付けた冷たい唇、そして、赤く熱い舌。

「は、……っぁ」

 整わぬ息を吐いて、エレンはもう1度天井を見上げる。夜の影が蔓延り、べたり、ひっついているだけの天井には影が蠢かない。

「一丁前に我慢してんじゃねえよ。声出せ。そのほうが楽だろう?」
「ん、ぁ…我慢、している俺を、見る、の、お好きでしょう…っ?」
「理解ってんじゃねえか。こういうことだけは覚えが早え」
「……兵長の…変態野郎…………」
「おまえもな、エロガキ」

 不名誉な名称にも開き直りで返す。普段はニコリともしないのに、こんなときだけ笑みを見せる卑怯な大人のあざとさに、エレンは舌打ちしたくなる。どこをどう刺激すれば良いのか、本人以上に知り尽くすリヴァイの手は、唇は、舌先は最終的にエレンを追い詰めて目茶苦茶にするのだ。頭のなかも心のなかも、未成熟な躰も隅々まで、全部全部がリヴァイで埋め尽くされるこの行為に慣れる日などきっと来ないに違いない。慣れたいとも思えない。のに、エレンの腕は本人の意思を無視して勝手にリヴァイの首へと巻き付く。意識せずとも偏頗なことに、リヴァイに縋り付く。離れないで欲しいと、物言わぬ腕が伝えるエレンの訴えにリヴァイは気付いているのか、気付いていながらにして知らぬ存ぜぬ振りをしているのか、はたまたまったく気付いていないのか、真実はどうだって良いけれど、しかし果然リヴァイのことだ。気付いていて素知らぬ振りをしているに相違ない。考えれば悲しくなる気がして、だから何も思わないようにしている子供はク、と奥歯を噛み締めこれから湧き上がるであろう濁流的な快楽に身を寄せて、巻き込まれていく全神経が押し流される。


 聴こえていますか。
 貴方に壊されてゆく俺の音が。
 聴こえているのなら、跡形も遺さず木端微塵に破壊して。きっとそうしてください。
 脆く挫けそうな、この生まれたての心を。


 胸を圧迫されて、息が出来ない。のしかかってくる狡い大人の躰を押し退けようとエレンが腕に力を込めようとも太刀打ち出来得る筈も無い。リヴァイが再び上体を倒してくるのにエレンは首を捻ったが、リヴァイの狙いはキスなぞでは無く、腹の下に押し付けられた下半身に、当たっている、と実感する──当たっている。何が? なんて考えるまでも無い。

「あ、あ、あ、あ、……っぅん、く、」

 我慢をさせることが好きなリヴァイに反抗するつもりで、エレンは殊更声を上げるに終始した。態とらしく求める声音に、

「今日は随分素直じゃねえか」
「んっあ、あぁっあ、ひ」

 訝しげに問われて、だが嬌声以外で応えない。エレンの孔に指が3本入るようになった頃には、リヴァイに上半身のあちこちを撫でまわされてエレンは完全に勃起していた。無論リヴァイのペニスもずっと勃ち上がったままで先走りを溢している。
 そろそろ良いかと判断して、エレンはリヴァイの肩を押し合図を送る。その腹の上に跨っていたリヴァイは体勢を調整し、エレンのペニスを掴んで、ほぐれた孔に尖端を宛てがった。頭のなかは真っ白に染まり、視界はまるで水のなか、溺れるように包まれている。エレンはリヴァイの、抽挿する度、跳ねる黒檀を暫し視界の端に入れては、彼のネイビーブルーと見詰め合っていたので、頭と胸懐を支配していた恐怖の影はどこかへ消え去っていた。残されたふたりきり、今まさに呪い合っている。

「ひぅう…ううーっ……ぁ、あー……──」
「どうせ鳴くなら、もう少し可愛く鳴けよ」
「や、…ぁ、」

 やがて嘘はすべてほんとうになる。怒っても病んでもかけがえのないものに。なる。口にしないでこの肌に綴って、そうしたら映すべきものが見えてくるだろう。命と云うやつは死ぬまでは生きているのだ。でも、怖がるものでは無い。3度交わった末にはエレンのほうがへばってしまっていた。元々万全では無かったのだから、当たり前だ。激しく孔の奥を掻き回され意識が朦朧とする、エレンの頭のなかを精巣同様空っぽにさせていた。もう無理だとも口走り、はしたない淫語を何度も吐き出した。それなのに達しても達しても終わらぬ責苦ときつく束縛する指に扱かれて、最早精を吐き出せない状態でイかされ泣いて泣いて泣いて、目を赤くしついでに声も酷いことになっている。息苦しさに咳き込めば呼吸を整えている途中の声で、よく鳴くネコだな、だなんぞと悠々と言ってのける大人をエレンは睨み上げる。

「そんな目で見られてもな」
「……目? ですか?」
「蕩けて、熱した蜂蜜みてえになってやがる」

 睨み上げる子供の瞳は未だ悦楽の渦色に染まっていて眺めるだけで甘ったるい。いつかそのうちこの色で胸焼けを起こしてしまうのではと、リヴァイが危惧するくらいには。その甘ったるい蜂蜜色をべろりと舐めて、リヴァイはエレンの脚から手を離した。額に張り付いて鬱陶しい前髪を掻き上げる。久しぶりにがっついちまった、思いながら窺えば案の定、蕩けきった瞳でリヴァイを睨み上げたままの子供の目とかち合い、腹から出口のない嗤いが込み上げて来た。リヴァイは再度エレンに覆い被さり、その母親似だと謂う顔の左右にを手をついて、自重を支えながら、離した右手でエレンのやわらかな猫っ毛へと指を這わせる。しっとりと濡れて熱くなった頬にふれて髪を梳き、真っ赤に染まった目尻を舐めて涙の跡をなぞった。普段のエレンならば決して言わないであろう台詞を言わせた唇にもふれてみる。死んじゃう、とか。おっきくて気持ちい、とか。もうイきたくない、とか。そういうなかなかに可愛らしいことを言われたが、1番悦かったのは形振り構わず涙を零しながら告げられた言葉──たったひと言の『おかしくなる』だった。そのたったひと言、ひどく枯れた声で泣き声混じりに告げられた微かな音がリヴァイの心臓を年甲斐なぞ無く爆ぜさせた。うっかり、自分はこの化け物の子供によって殺されてしまうのではあるまいかと思考が狂う程の打撃を食らった。もっともっとおかしくなっちまえ、やや乱暴に思いながらも腰を押し進めて泣かせ続けた。心がリヴァイでいっぱいいっぱいになり、躰もいっぱいいっぱいになってしまったエレンが吐き出した、それがきっとほんとうの嘘で、本音だった。おかしくなってしまう、貴方でいっぱいで、おかしくなってしまう。既に個々の恐怖は拭われ、エレンの脳内はリヴァイで埋め尽くされていた。その証拠が言葉として、形として、リヴァイの目にもはっきりと見えるものとして残ったことが、紛れなき事実であるのだ。まだ老いを知らぬ滑らかな頬を悪戯に撫でるリヴァイの指先はあたたかく、それでいてエレンの瞳を見詰めるネイビーブルーは冷たい。先程まで愛撫を施していた唇はエレンに愛など囁かない。ばかりかエレンにとってまだ善からぬ何かを考えているのだろうと知る。

「あの、」
「何だ」
「…そろそろ、抜いて頂けませんか。兵長」

 挿れられっ放しは痛いです。エレンは自身の言うことを聞かない腕に鞭打って、そっと、リヴァイの唇に触れてみた。相変らず冷たい唇は、にやと嗤って冷たい指先が絡まり、あっと言う間に捕らわれてしまった。引き寄せられる躰。距離はすぐに縮まり、目前には冷えたネイビーブルーと唇。その唇が告げるのだ。

「俺はまだ3回しか達してねえ」
「俺はこんなに憔悴しているのに……兵長は、俺を殺す気ですか」

 未だ呼吸が整っていないエレンとは正反対な余裕面に、子供は無意識に膨れてみせる。

「殺されそうなのは俺のほうだろクソガキめ」

 まだ理解らないのか。簡単なことだろう。泣いて泣いて泣けば良いのだ。

「…? な、ん、」
「生きろって言ったんだ。なァほら、もう怖くなんぞねえだろう? 何にも」

 いつも通りの低い声で囁かれ、言葉が、エレンの胸に深く突き刺さる。もう何にも怖くなんか無い? 馬鹿を言われた。エレンは眉間に皺を寄せ、歪めた唇をリヴァイの耳元へと寄せて呟いた。

「腹ンなか、貴方でいっぱいで痙攣していて、本気で俺は貴方が怖い」

 呟いたと同時にまたクと笑われたので、エレンには、やはりリヴァイが1番恐ろしかった。そんなものと寝るのだ。惨憺たる殺戮の世の何たる浅薄さよ。おそらく世界一安全であろう腕のなか、その胸にエレンは身を預けて、おちおち晏然ともしていられない。
 いつでも手の届くところに死が在ると知っていて、『生きている』ことを悔悛するのは愛するよりも恐ろしく容易く目的を妨げようとする。生きるために物を食う、生きるために寝る。時折果てるまで泣き濡れて、それが『生きろ』と云うことだ。『生きた体温』はここに在る。ずるりとペニスが抜け出る感触に、互い、首筋が粟立った。つまりエレンは、リヴァイの『生きた体温』に、善悪も無く、一縷の杞憂さえ無しに幸せに生きることは優し過ぎて恐ろし過ぎてつらい、と言ったのだった。目を閉じる。遥か彼方、遠くで、尊き4人の足音がカツ、聴こえた気がした。






・・・Thanks for reading.




冒頭にも書きましたがこのお話は「Stealth #0065」の佐藤すずき様より、誕生日のお祝いに恐れ多くも狂喜乱舞なプレゼントとして頂戴いたしました!!ヾ(。>w<。)ノ゙
ヒトは本当に感動した時、語彙が少なくなるというけれど、私の中にこの作品と佐藤すずき様を賛美するに値する言葉が見つからない…!!そして幸せすぎて言葉が出ない…!!
佐藤さま、沢山の愛を、本当に有難うございました(。。*)
 

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