江戸川乱歩著『芋虫』から派生した私の妄想。
2015.9.21



※このお話は原作中にある時子さんの「いつもとは少し早すぎるようだ」という一文から懐妊していたのではないか、と志麻が妄想した結果の産物です。




私の母は寝起きが悪い。
もぞりと起き上がって、きらきらと部屋中に差し込む朝日を睨む。
そして暫くはむっつりとものも言わず朝餉の支度をする。なので私は母と朝の挨拶を交わした事がない。
もしや母は起きる事が不快なのではなくて、日光が不快なのではないか。けれど、そうしているのは朝のほんのひと時だけで、日中などは疎む素振りもなく、夕暮れ時には率先して外へ出て夕焼けを眺めるほどだったので、私の予想は全く的外れであった。

陽も傾き、誰かが帰ると言ったのを合図に、子供達は散り散りとなり、私も例外ではなく我が家へと駆けた。
小川の側を通り段々畑の急な坂を登る。
先にある畑の中に人影を見つけたが夕日が邪魔をして誰かとまでは判別出来ずにいると、逆光の中のその人が私へと手を振る。
どうやら母のようだった。

「母さま」

駆け寄ると母はにこりと微笑んで、その視線を畑へと戻した。
視線を追うと、そこには一匹の青虫が性急に葉を食んでいる。
その青虫を、母はいつもの様にじぃと見つめていた。
あまりに見つめるので、母さまは芋虫がお好きなのですか、と聞いてみた事がある。
その時の、母の複雑な顔は忘れられない。暫くして、えぇそうよ、好きなの、と言った。泣いている様な声だった。

ふと青虫へと伸ばした手を、母の柔い手に阻まれる。
強く握られて、あぅ、と声をあげても、離してもらえなかった。

「触ってはだめ」

静かに、けれど厳しい声音に身が竦む。
常は悪さをしようものなら尻をパチリと叩く母が、他人の様に私を睨んだ。
私が声もなく唇を震わせていると、母はふいと顔を背けて、夕餉にしましょうと私の手を引いた。

芋虫を見た日の夜は、母は寝物語に偉大で在ったらしい父を語る。
うっとりと惚けた瞳をして、甘い声で語る。
居間に飾ってある勲章の英雄譚は幼心に憧れを抱かせるには十分で、それは幼馴染達とのままごと遊びの中にも現れ、どうにも我慢出来ずに一度だけこっそりと持ち出した事があったけれど、気付いた母にそれはそれは激しく叱られ、一晩押入れから出してもらえなかった。

「母さま、私は父さまのように成ります」

そして私の勲章をこの胸に飾るのだ。
私を寝かしつけようと添い寝する母へそう告げると、きっと喜んでくれるだろうという期待は裏切られ、困ったように微笑んだ。

「あら、坊やは母さまをひとり置いて戦地へ行ってしまうの?」

そう言って泣き真似をする母に私は慌てた。

「いいえ、いいえ私は諸外国へ行ったりはしません」

慌てる私を母はくすくすと笑い、もぅ眠りなさいと頭を撫でる。
とろとろと誘われる途中、ぼんやりと見えた母は虚ろな瞳で部屋の隅を見ていた。
その視線の先には誰が書いたかも知れない落書きが在る。

「あなたの子は日に々々貴方に近付くようです。野心さえも宿して。いずれあの頃の貴方を写すでしょう。貴方の居ない朝を幾度も迎えて、そうして私は漸く貴方と共に在れます」

その言葉のほとんどは理解できないものであった。
けれど私の幼い胸は何かにぎゅうと締め付けられて、どうにも苦しく、たまらず母の手を強く握った。
 



江戸川乱歩著『芋虫』から派生した私の妄想その弐。
2015.12.12


私の父の墓は住家よりほど近い所に在る。
集落墓地ではなく、だだ広い野原の真中に、黒光りする良石の墓がただ一つ、ぽつりと建っている。
生前の父の偉業を讃えられ、少将殿の采配で建立されたその墓は、その下に井戸があるのだという。よく見れば墓の下に井戸の淵らしきものがある。
母は週に一度程度、その井戸の淵までを丹念に清掃する。周囲の雑草を刈り、石を磨く。時折井戸の淵をじぃと見つめている。そして私を見ては儚げに微笑む。いつの頃からか私は、父を想っては憂う母の手をとるようになり、そして今では私より小さくなった母を、この胸に抱きたいと思っている。
私は母のその細い肩に、母親ではなく女性を感じ始めていた。

何故集落墓地ではなく井戸の上に寂しく在るのか、私は母に尋ねる事が出来ずに、結果少将殿に尋ねた。忘れもしない十五の、手足の悴む冬の日に、私は父を知った。
母には少将殿からお話をいただいた事を告げずにいた。
否、告げられなかった。
母の語る父と、少将殿の語る父はどちらも本物であるのだと解っていた。ただ母の語る父は、母によって削がれた父であったというだけで。

十七の秋の終わりに、収穫作業も終わろうか、としていたときの事だった。
干した稲を纏める作業をしていた時、私は過って小指を切り落としてしまった。
ズクズクとする痛みに眠れない日々が続いた。たった1寸、失った指に私は当時大層気落ちして、しかし冬支度を母1人に任せるのも忍びなく、もう痛まないからと左手を庇いながら家業に勤しんだ。
危ぶまれた感染症には幸運にも罹らずふた月が経ち、そろそろ包帯を外そうかとしていた頃だった。

母は。

包帯を取って見せてくれと言った。

私は。
首筋がザワザワとしていた。
一瞬躊躇ったのは私が母の語らない父を知っていた、からだろう。
そして。私は、傷口の具合を見せるというただそれだけで、高揚していた。母の赤らんだ目元に、どうしようもなく高揚し、着物の合わせから覗く白い肌をじぃと見た。
母は私の指を見ていた。偶然にも両親の夜伽を見てしまった少女の様だった。
私が指を落としてしまった時、治療済の包帯を巻いた左手を見て母は、傷口をなぞった。まさか傷口に触られると思っていなかった私は驚き呻いた。その声にはっとした母が私を見た時、母はみるみる頬を染めて、口唇を噛み、そして。
母の濡れた口唇に私は確かに性欲を掻き立てられた。
その時はただどきどきとして、逃げたくなってしまって、私はもう寝ると言って慌てて階段を上った。私の中の常識が、私をそうさせた。
けれど今の私は、気落ちしているのだ。
気落ちしていて、何かに、この指の先を埋めて欲しいと思っている。
なので私は応と頷き、そして母はそろそろと硝子を扱うように私の手を取った。
するすると解けてゆく包帯を見て、母はゆっくりと息を吐く。

「あっ……」

露わとなった指先に、母は小さく声を上げた。
狼狽したように視線が泳ぎそして私を見て、母と私は目合ってしまった。
少し弛んだ頬も、目尻の細い皺も、母の中の少女を隠すことは出来なかった。

(恥ずかしい)

まるで生娘のように紅くなり、汗ばんで、煽情的であったので、私は今は無い小指でそぅっと母の唇を撫でた。






目を覚ますと母は寝所にはおらず、不安を掻き立てられた私は急ぎ夜衣を羽織って付近を捜した。
太く点した洋灯の照らす範囲はけれども狭く、苛立ちが募る中、私の鼻腔を微かに刺激した鉄の香り。辿ればそこには父の墓標と、縋るように倒れこんだ母の姿が在った。
洋灯に照らした母は晴着姿で、その首筋から湧き出す赤いものさえなければ感嘆していたであろう艶姿であった。
薄く目を開け私を見る。
色を宿した瞳からは大粒の涙が零れて、母は、幽かにしゃくりあげた。
そんなことだから、母は母ではなくなってしまったのだ。
いつまでも恋をしている。己の劣情やら愉悦やらを恥らいながら、それでも父に恋焦がれて、昇華されることの無い想いはいつまでも母を少女たらしめている。

恥ずかしいと言いながらも私が幼少であった時に見せてくれた見合い写真の頃の母が重なる。会った事も無いのに、在った事も無いのに、柔軟に蠢くその面影は、私をざわつかせて落ち着かない。

泣いている理由は解っていた。

「母様、私もどうかご一緒に」



現世の器を棄てて、天世の魂となって、そうして私は漸く貴女と共に在る。


 

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