野寺さんは天然、高野さんは短気








丸川書店エメラルド編集部の編集は揃いも揃って美形揃いということは周知の事実。実は顔面接があるらしいという噂まであるが、それに関しては取締役も意味深気に微笑むだけでその真意は明らかではない。
俺様敏腕編集長に、落ち着いた大人の魅力のある優しい副編集長。影の黒幕と噂される笑顔を絶やさないながらも穏やかに毒付く先輩に、経験年数はあるはずなのに年齢不詳の美少年とこれまた不思議に広いラインナップ。そして最近加入したのが。キラキラ輝く瞳が眩しい、爽やか美少年。しかも実は出版業界で丸川とシェアを二分するあの小野寺出版の御曹司とか出来過ぎだと思う。
(やっぱり取締役、面接まではしてなくても書類選考くらいはしてるでしょ)
丸川は出版社という職種柄、大手企業の中では珍しく女性比率が高い。そして大手企業だと給料や福利厚生なども非常に手厚いため、内情を熟知している女性社員はこぞって社内恋愛を狙っている。
もちろん私もその一人。
契約社員として丸川に配属されて日が浅いのでコピーやお茶汲みといった簡単な仕事しかしていないけれど、結婚退職願望の強い私は丸川書店に配属されるやいなやじっくりいい男を見定めることに勢力を尽くしてきた。先日行われたパーティーでエメ編のことを知り、今まさに首ったけ状態なのだ。

エメ編ってネオロマンスゲームみたいじゃないとは同期のオタク仲間の弁。まったくもってその通り。いろんなジャンルの色男たちが集う少女マンガ編集部なんて美味しすぎでしょう、そう思いながら私はゲームのスイッチを入れた。
腰掛のつもりだけど与えられた仕事はちゃんとする。でも自宅では引きこもり。マンガやゲームに興じている。画面向こうの大好きなキャラクターに萌えながら、もしエメ編に配属されたらという妄想を膨らませた。

例えば重い荷物を持って編集部の扉を開けようとして、
『なにやってる』『羽鳥さん』
『ちょっとかせ、女の子に重いものは持たせられない』そう言って羽鳥さんなら軽々と荷物を持ち上げてくれるだろう。
木佐さんの隣のデスクをあてがわれて、至近距離で見つめられながら、『いつもメイクとか髪のお手入れ欠かさないよね。すっごい可愛い』なんて言われたら鼻血ものだ。
クールな謎キャラの美濃さんも気になる存在だ。普段はうっすらとしか開けてない瞳が、『僕は君のこと好きなんだけど、君はどう思ってるの?』とその瞬間だけカッと見開かれたりしたら禿萌える…!
男らしい魅力で言ったら編集長も捨てがたい。綺麗な顔立ちに8等身というスタイルの良さ。時折見える影のある表情にきゅんきゅんと胸が締め付けられる。しかしそれは彼が静かに黙っていたらの話。
高野編集長と言えば、思い出す姿は新人編集に定規を投げつけたり、木佐さんにデコピンしたり、羽鳥さんを羽交い締めにしてハハハと高笑いしている姿、そして誰かを怒鳴りつけている姿ばかり。

「――やっぱ高野さんは違う、かな」
早々に高野さんは諦めることにした。俺様ドSはどうも私向きじゃない。

最後はやっぱり噂の新人編集小野寺さんだろう。エメラルド色の瞳に天使の輪がキラキラと輝く栗色の細い髪。睫毛は影が出来そうなくらい長くて、まるでアイドルと言っても過言ではない。街を歩いていてスカウトされたという噂まである。容姿もさることながら、彼の何よりいいところというのが仕事に対してとても前向きだということだ。夜遅くまで残ってネームを直しているところを何度も見かけた。まだ新人なんでと本人は謙遜するけれど、あの横澤氏が企画書を褒めるなんてよっぽど良い企画をあげるんだろう。あまりに一生懸命すぎるのかむきになって編集長相手に真っ赤になって叫んでいる姿を見かけることもあるけれど、あの編集長が影でこっそり微笑んでいるところをみるとそんな様子さえ微笑ましいくらい彼を認めているのだろう。契約社員といっても、小野寺出版の御曹司なら将来的にも安泰だということは言うまでもない。
そして何より、小野寺さんの顔は非常に好みの顔立ちなのだ。
私はにんまりと微笑んだ。



そして翌日、肉食女子として果敢にも獲物の捕獲に向かうことにした。今までミスキャンパスの名前を欲しいままにしてきた私に言い寄ってきた男は数知れない。何度も繰り返し告白してくるやつらを振るのは非常に骨が折れたものだ。自慢じゃないが私が言い寄って落ちなかった男はいない。男を惚れさせるにはある程度の手練手管が必要だがそれらを使いこなして世の男共をはべらせてきたのだ。25,6の自分の年に近い年代の男の子なんて落とすのは容易いハズ。

早朝からエメ編に行きたい同期数人と争ってどうにかこうにか荷物運びの仕事を得た。月が始まったばかりのこの次期はエメ編が落ち着いているのは既に調査済みだ。あと1週間も過ぎれば資料を持ってくる者に挨拶をする余裕さえなくなる。この時期が最も時間にも精神的にも余裕がある。そしてネームの締め切りが近付く少しばかりの緊張感が吊り橋効果にもなる。大学で学んだ心理学がここで有用に利用されていようとはよもや先生たちも思うまい。
「おはようございます、頼まれていた資料を持ってきました」
シンプルながらも華麗さを忘れないリボンタイ付きのシルクのブラウスに黒のスカート。胸元を意識させるためにネックレスは極々小さな上質なダイヤのネックレスを。髪はコテでリバース巻きにした。バレーシューズは背を低く見せて庇護心を煽るだろう。1時間かけて作り上げたメイクはナチュラルに見せながらも細部に手をかけている。なんせ相手はあの小野寺さんなのだ。化粧なんかしていないくせに透き通るような美しい肌と薔薇色の頬を持つ相手にこちとらファンデーションとチークなしじゃ勝ち目がない。睫毛エクステにマスカラを何度も重ね付けして、付け睫毛を付けてようやく小野寺さん並みのバサバサ睫毛を作り込んだ。
「ありがとうごさいます」
小野寺さんが微笑みながら手を伸ばす。私はにっこり微笑んで資料を渡し、指の下に回しておいた資料を床にぶちまけた。
「ああっごめんなさい!」
座り込んで資料を拾い始めると、慌てて小野寺さんも資料を拾い始める。
「大丈夫ですか」と問いかけた小野寺さんに私は耳に落ちた髪をかけ上げて上目遣いで微笑み返した。こういう仕草に弱いのだ男って。超単純。目があった小野寺さんが私に微笑んだのも見て、イケると確信した。集め終わった資料を小野寺さんに手渡す瞬間、彼の手に故意に触れた。こうすれば大抵の男は私の手を握りこんでくる。ところが小野寺さんは平然としてありがとうございます、気を付けてくださいねと背を翻し去っていく。
(え、ちょっとまって)
私のテクニックで落ちない男はいなかったのに――小野寺律…侮れない!
私の心の中で闘志の炎がメラメラと燃え上がった。



それから小野寺律攻略大作戦を次々と決行するにも関わらず敗戦続きだった。敗戦というと語弊がある、不戦敗、これが正しい。
夜も残ってエメ編でネームを直す小野寺さんにコーヒーの差し入れをしたり(もうひとり残っていた高野編集長が凄い目付きで睨まれた)、食堂で昼食をとる彼の隣に座ったり(向かい側の高野編集長がまたすごい目付きで見ていたけど気にしない)、小野寺さんの仕事終わりを待ち伏せてみたり(これまた一緒にいた高野編集長から『アンタ何したいの?』と言われ、凍えるような目付きで凄まれたけど無視した!)したけれどまったくさっぱり反応は乏しかった。もし嫌がるとか拒否的な素振りが少しでもあれば早々に撤退するのだが、そういう感じではない。差し入れに対しては思いっきり眩しいくらいの笑顔で感謝してくれたし、待ち伏せして帰りが一緒になるようにはかっているのも本当に偶然だと思っているようなのだ…なんとも困った。まず同じ土俵に立てていない。小野寺さんはもしかしたらとてもとても鈍感なのではないだろうか、巷でよくいう草食男子なのかもしれない。それならば彼がまったく私の好意に気付かずに笑顔で返してくるのも説明が付く。



翌日、私はエメ編へ足を向けた。特に頼まれた用事があった訳ではない。ただ小野寺さんに意識させるためには皆の前で彼を誘ったほうが効果的だと考えたからだ。皆に可愛がられる新人編集が女性に誘われれば、周囲がお膳立てしてくれる、そんなもんだ。特に鈍感な子は周囲の協力なくしては意識さえしない可能性が高い。
(見てろよ、小野寺律。絶対私のものにしてやるんだから)
小野寺さんの机は一番廊下に近いところにある。新人は接客対応なども積極的に行わなければならないからだ。小野寺さんに話しかけようと思ったが、彼は編集長の席にいた。こちらに背を向けて高野編集長と話をしている。彼の服の襟あたりに何か模様がついているのが見える。視力2.0の目を凝らすと、どうやらそれは服のタグのようだった。やっぱり彼はよっぽど天然らしい。今日はこれをネタにして彼をからかってやろう。そして彼に今夜一緒に食事に行こうと皆の前で誘いをかける。そうすればあとはうまくいくはず。
編集長との話を終えて自分のデスクに戻ろうとする小野寺さんが私に気付き、こちらに近寄ってくる。私が小さく手を振るとニコニコしながら彼はこちらにやってきた。
「どうしました?」
「お疲れ様です。早く仕事が終わったんで寄ってみました。小野寺さん、首にタグついてますよ」
「え、あー…!」
くすくすと笑いながら私が微笑むと、彼は背部に手を回し届かないタグにあたふたしながら真っ赤になる。いやなにこれ、やっぱり小野寺さん可愛すぎる!!
「取りましょうか」
「いいよ、大丈夫だから」
小野寺さんが身をひねりながらタグに苦戦する後ろから、高野編集長がどすどすと早歩きでこちらに近付いてくるのが見えた。
「あ、高野さ…」
小野寺さんがそう呟いた瞬間、高野さんは大きな手で彼の腰を引いて軽々と抱え上げた。そして高野さんの顔が小野寺くんの首元に近付いたかと思ったら、タグを歯で噛み締めて、力任せに噛みちぎった…!
首を振ってタグを投げ捨て、鼻を鳴らしてた高野さんは
「うちの律になにか御用ですか?」と最上のしたり顔で私に微笑んだ。

「あーあとうとうやっちゃった…」
「若い女の子に本気で威嚇するとは」
「だって高野さんだから仕方ないよ」
小野寺さんと高野さんの背後からエメ編メンバーの声がうっすらと聞こえてくる。

(ちょ、ちょっとなんなの!なんなのー!!)
呆然としすぎて動けない…っていうか腰が抜けそうなんですけど。
小野寺さんはというと、私が揶揄っていたとき以上に真っ赤な顔をして、何か言葉を発したいけれどあ、とかおとかそんな言葉にならない言葉しか発することができない。
「…い、いえ、なんでm、ありません、お、お、おじゃましま、したー」
腰が抜ける前にここを逃げ出さなければ。その一心で私は息も絶え絶えになりながら廊下の手すりを攫んでなんとかトイレに逃げ込んだ。あの瞬間苦しいほど胸が締め付けられて、それから動悸が止まらない。ドクドクと高鳴る鼓動に息苦しさを感じて、胸を押さえて座り込む。
あの二人はデキているのだろうか? 男同士なのに?
でもエメ編のスタッフの言葉から推測するに同僚にも知られている事実であり、周囲も認めている様子だった。
完璧に失恋じゃないか。それなら仕方がないと思う。問題なのは、失恋したなら気持ちが落ち込んでもおかしくないはずなのに、私の動悸は悪化する一方だということ。
タグを噛みちぎる時の高野さんの色気ありすぎな流し目とか、高野さんに抱きかかえられた時に一瞬だけ見せた官能小説も真っ青の小野寺さんのイイ顔とか頭の中でぐるぐる駆け回って消え失せてくれない。それどころかそれらを思い出す度に胸の鼓動が高まり、それに合わせて指の先まで拍動を感じる。真っ赤な顔が、にやついた顔が抑えきれない。
洗面台に向かい荒い息をこぼしていると
「大丈夫?」
「あ、ありがとうございます…」
伸ばされた優しい手に感謝を述べながらその相手の顔を見上げた。彼女は私でも知っている文芸の辣腕編集。
「見させてもらったわよ、今の様子。これどーぞ」
にっこり微笑む彼女が差し出したのは一枚の名刺。
「秘密裏に活動している部だから普段は教えないんだけど、あなたがまさにハートを撃ち抜かれた瞬間見ちゃったから勧誘しちゃった」
じゃあねと彼女は手をひらひらさせて立ち去った。彼女から渡された1枚の名刺だけが手に残る。裏返すと長いホームページアドレスと共に記されていたのは、
「『高律ら部』…」




数日後、彼女は『高律ら部』の扉を叩くことになる。
それはまた別のお話。





彼女と彼の小野寺律攻略大作戦(仮)












みゆさまのリクエストで
律に惚れた女性社員が全力アピール&高野さんが嫉妬するお話。
完全にネタです。
首のタグ噛みちぎるネタは私が好きなアノ作品から頂きました。
最後は宣伝かよって感じですが、高野に惚れるか腐女子になるか二つにひとつしかなくて、後者を選んだらああいうラストしか思いつかなかった(汗)
タイトルがどうも浮かばず、もしかしたら後ほど変えるかもしれません。
ああ、ちゃんとリクエストにかなってますでしょうか?
いつもとは毛色の違う作品だけにだいぶドキドキしています。
リクエスト、ありがとうございました。