あくまで取材旅行としたり顔で彼は言う

--京都を旅する高野と律のお話--

「長い長いトンネルを抜けるとそこは、」
「雪国じゃありません」
「お前、もう少しユーモア持てよ。『そうだ、京都に行こう』ってアレ、いつ見ても秀逸だよな」
「いーじゃないですか、根が真面目なんです。そのキャッチフレーズが秀逸なことには強く同意しますけど」
 東京から新幹線に乗ること数時間、俺たちは近代的な京都駅の改札前に立っていた。先日の流星観察時に告げられた京都出張は武藤先生の原稿が予定以上に進まなかったため頓挫するかと思われたのだが。先生に両手を合わせられ資料だけでも撮ってきて…!と必死のお願いされたら折れるしかなかった。単独での京都行きを承諾すると、さも最初から決まっていたようにこの編集長はしたり顔で自分の関西出張と重ねてきた。ああ言われた段階で分かっていたけれどあからさますぎだろう。
 行ってらっしゃいとエメ編メンバーだけでなく他部署の女性たちにギラギラした視線で見つめられながら見送られた。なのにこの困った編集長は「おう、土産話期待してろ」とかぬかして手を振るから、背後から女性の嬌声が幾つも上がったことはもう思い出したくもない。
(土産話とかありえないだろ…)
 一体世の女性たちは俺たちに何を期待しているのかさっぱりわからない。そんなことをぐるぐる考えながら思考の飛躍が著しい高野さんとどうでもいい小競り合いをしているうちに新幹線は京都駅に滑り込み、俺たちは正に京都の地に足を下ろしたのだった。温暖化の著しい東京と違って盆地の京都は夏暑く冬は凍えるように寒いという。その言葉の通り建物から出るとひんやりとした空気に包まれて体がぶるぶると震えた。京都駅の大階段の上で輝くクリスマスツリーを横目に見ながら俺は首もとのマフラーをいつものように後ろで結んだ。




「で、なんでビジネスホテルとかじゃなくて、宿泊先が旅館なんですかね…」
 タクシーに乗り込み高野さんが運転手に告げた宿泊先の名はどう考えたってビジネスホテルの名称ではなかった。慌てて隣に座る男の顔を見たが彼はさも平然としている。
「いーんじゃねーの、出張費用ちょろまかしてるわけじゃなし」
「俺はビジネスホテル代しかもらってませんけど」
「ホテルのキャンセルも旅館の予約も全て俺が手続き済。これで納得か」
 ――だからチケットを渡してくれた女性スタッフがニヤニヤしていたのか。一度叩いたところで神様だって怒りはしないだろう。十分にそれくらいの出来事ではある。それでも実際にそうしないのははやり惚れた弱みなんだろう。したり顔で見下ろしてくるこの上司の顔をみて言葉も出ず悔しがったところでもう遅い。一瞬この困った編集長を上司に突き出してやろうかと思ったが、思い浮かんだ上司が井坂さんで、あの人なら『けしからん、もっとやれ!』と言いかねない。
(高野さんも井坂さんもなんとなく同じ匂いがするんだよな…)
 自分気ままに振舞うところとかわがままが通ると思ってるところとか、それを技術とか才能とか自らの手腕で押し通してしまうところとか。あんたは馬鹿ですか!と怒鳴り返すこともあるけれど、時折その中に優しさだったり愛情が垣間見えるから俺は何も言えなくなってしまうのだ。


 京都駅から車で走ること約20分。京都大学の時計台を横目に学生が犇めく今出川通りを走り抜けて細い道路に入り、吉田山の麓の立派な門構えの前で車が止まった。タクシーから降りるとまず広い庭に驚いた。寒さで鮮やかに色付いた葉が建物や地面の上で美しい模様を作り出している。予想していない状況にかなり焦り慌ててスマートフォンで看板に掛かっていた旅館名を探すとその名がすぐに現われた。この建物は天皇の兄弟が京都大学に通う際作られた別邸らしい。だからこれほどに作りが良いのか…建物は総桧作りで重厚な存在感に溢れ、ところどころにはめ込まれたステンドグラスや玄関に掛かるランプに洋の雰囲気が入り交じる。まさに和洋折衷といったところだ。それがとてもお洒落で品良く、嫌味がない。この人のハズレのないチョイスに口をあんぐりさせられることしばしばだったけれど、今回もまたしても同様の状況に陥っている。
 高野さんのセンスの良さは重鎮作家らと酒を酌み交わし食を共にする井坂さんからも折り紙つきだ。俺だって本物をよく知る重鎮作家との付き合いとか、両親に連れられて行った名店だったりとかそれなりに良いものに触れる機会はあった。だがそれはどれも他者に連れていってもらっただけの話で俺にその選択が出来るかと問われれば、答えはNoだ。ただ今まで触れてきたから何となく良いものはわかる。そんな似非の自分と違って高野さんは本物だ。彼は名前や名声だけでものを選ばず、実際に見て聞いて試して本当に良いと思うものを自らの手で選ぶ。星がいくつとか本で紹介されたとかそんな言葉には全く興味を持たず自分の評価だけを拠に選ぶのだが、それがどう考えたってどうしてここがもっと注目されないのだろうと思わんばかりの隠れた名店ばかりなのだ。特に食べ物に関してはことさらだった。なんせ彼の料理の手腕は天下一品なのだ、自分の腕前以上と思った店でなければ行かない彼が選ぶ今夜の夕食は期待出来る。乗りかかった船だ、今から引き返すことは出来ないしどうやったって彼に引きずり込まれることは目に見えている。いっそのこと飛び込んでしまったほうが楽しいに決まっている。そう思うと少し気が楽になった。しかしまったく天から俺たちを見下ろす存在は特定の気に入った人物にのみ二物も三物も惜しみなく与えるらしい。世の中不公平極まりない。
 建物から女将が現れて笑顔で一礼すると庭園から横に伸びる径を案内された。石畳の上を歩くと小さな鄙びた門を抜けて目の前にこじんまりとした建物が見える。どうやら離れのようだ。
「離れか…」
 小さく呟いた俺を高野さんが両目で見下ろしている。こころなしか顔がニヤついているのは気のせいだろうか。彼は唇を俺の耳元に近付け、そしてひとこと言った。
「だってお前声大きいから」
「なっ…!」
 一瞬で顔から火が出るかと思った。頬が熱を持っていくのがわかる。そしてそんな俺を見るのが楽しいのだろう彼は口角を片方だけ釣り上げた。
(この人最悪だ…。)
 鼻歌でも聞こえてきそうなくらい楽しそうな高野さんをよそに俺はぐうの音も出ず立ち止まり、先ゆく大きな背中をじっと見た。この目からレーザーでも出て今にも飛び跳ねそうなあの背中をじりじり焼いてしまえたらいいのに。そんな気持ちを感じ取ったのか高野さんも立ち止まりこちらを見る。
「さあ楽しい旅行の始まりだ」
 唇を片方だけ上げて涼しい顔をしているこの人は、仕事が出来て優しくてセンスが良くて。そして最高に変態だ。
 俺は真っ赤に染まった頬を手で冷やすように覆って大きくため息をひとつついた。そして肩を落としてゆっくりとその建物に足を踏み入れた。








カヤノねーさまからのリクエスト『京都を旅する高野と律(微糖)』より。
もう少し続きます。

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