小説




彼が去ってしまってから、ずっとその場所で私は座り込んでいた。
やっと、夜になってから、ポケットに入れたはずの覚えのないメモが入っている事に気が付いた。


マーサと言う名前と住所。その字はいつか読み書きを教えてくれた時に見ていた字だった。
涙なんて出ないと思っていたのにまたあふれ出してきた。あの人は最後まで優しかった。
泣いてばかりの私はきっと、うっとうしかったのに、優しくしてくれた。


メモを握り締めて、住所通りのマーサさんをたずねた。
そこには私みたいな子供がたくさんいて、メモを見せると遅い時間に尋ねたにも関わらずマーサさんはこころよく私を受け入れてくれた。


「こんな可愛い子を泣かせるなんて罪な子だね」


私の顔を見て何かを察してマーサさんは大きな胸で私を抱きしめてくれた。その腕と胸が温かくてまた私は泣き縋った。










時間の流れが酷く遅いように感じていた。あれから、私はずっと、止まっている気がする。
成長したいのに気持ちばかり、空回りしてずっと、あの時と変わらずの子供みたい。
花壇の前にしゃがみ込んで、この前みんなと植えた花開きそうな花を見下ろす。
花でさえ、水を上げれば成長するのに。


「なまえ…?」


不意に名前を呼ばれた。低い男の人の声で。ここに男の人はミシェット先生しかいない。
だけど、先生の声じゃない。振り返ると背の高かい紫色の綺麗な瞳をした人がいた。


「ジャ…ク……」


私が成長したかったのは大人になれば、受け止められると、一人で生きていけると思っていたから。
でも、私はまだまだ大人になりきれていない。





「ジャック…っ!」


二年前から変わらない、大好きだった……今でも大好きな人。
夢でも幻でもない。ずっと、もしも会えたら言おうと思っていた言葉があったのに。
ばいばいって、笑顔で、言おうと思ってたのに、なのにその言葉は中々出てこなかった。


気が付いたら私はジャックに抱きついていた。


「…なまえ」


上から困ったような声が降ってくる。それでも、私は強くジャックにしがみ付いた。
ずっと、ずっと、ジャックに会いたかった。ジャックが忘れられなかった。胸が苦しかった。
もし会えたらばいばいなんて言おうと思っていたけど、本当に会えたら……もう、胸が一杯でばいばいなんて言えないよ。





「よく泣くな…なまえは。どうしたら泣き止む……?」


私の体を受け止めながらジャックは優しく囁いた。その低い声が酷く懐かしい気がする。


「――あと、ちょっとだけ…このままがいい…っ」


もう出来るだけ泣かないようにする。あなたを困らせないように。
だから、あと、一秒でも長くこうさせて。そしたら、きっと、すぐに泣き止むから。


「会いたかった」


彼からのその言葉が何よりも嬉しかった。
泣き止んだらばいばいの代わりに大好きって一杯言うの。





Embrace
(大きくなったな…)(うん)(寂しかったか…?)(うん)(…俺もだ)
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