小説




『マスタァ、もう朝ですよ。早く起きないと学校に遅れちゃいますよ。起きないと首筋にがぶりと噛み付いちゃいますよ』


頭から、被る布団の隙間から、薄っすらとした光が差し込む。
うとうと、まどろんでいる私の耳に入る不愉快な猫なで声。それで一気に眠気が吹っ飛んだ。





『無視って事は…僕の好きにしても――いいんですよね』





「いい加減にしないと本体、破くわよ」


布団の上から、奴の指が私の体のラインを軽くなぞり、その指が布団に掛けられる気配を感じた。
枕元に置いておいたカードを引っつかんで、剥ぎ取られる前に自分から、布団を"奴"の顔面目掛け、投げつけた。





『おぉ、怖い』


"奴"はヒラリと無駄に優雅に布団をかわし、布団だけがバフッと無様な音を立てて、床に落ちていった。


白で統一されたこの部屋に佇む"奴"は酷く場違いで浮いている。夜色のマントを纏った男。
色素の薄い髪から、覗く切れ長の目。病的なまでに白い肌。それに非常に残念な事にかなり整った顔をしている。





「ヴァンパイア・ロードのくせに生意気なのよ」


『マスター。僕の事は親しみを込めてロードとお呼び下さいと言ったはずですよ』


覚えていないんですか?
噛み付く様に言う私にヴァンパイア・ロードは私に恭しく膝を付いて、頭を下げる。
顔が良いだけに奴は何をしても様になる。奴の目的を知っている私にはそれが、気に入らない。





「だから、私の事をマスターなんて呼ばないで。あなたの事はこれから、カードショップにでも売り払って、金輪際関わらないつもりなんだから」


『ふふ、無駄な事ですね。マスターが僕を何度、手放そうと……僕は必ず、マスターの元に戻ってきますよ』


それが運命なんです。赤い糸で結ばれているんです。
離れる事なんて、許されないんです。だから、諦めて受け入れて下さい。僕を。


「戻って来なくていいの」


何が運命だ。ふざけるな。
私の目の前で訳の分からない事を力説するヴァンパイア・ロード。立ち上がると薄っすらと透け、幽霊みたいに部屋を漂う。





この前、偶然にも拾ってしまったカードが、突如実体化し、自分はカードの精霊だのぬかしやがりました。
私に言わせれば、こいつは精霊じゃなくて悪霊か、悪魔の類だと思う。
ヴァンパイア・ロードはカードのくせに隙あらば私の首を噛もうとしてくる。
透けているはずなのに私に触れる事が出来る。こんなの卑怯だわ。
私は奴に触れる事が出来ないのに、噛まれると痛いし。


こんな危ないカードを持っていたら、どんな災難が降りかかるか、分かったもんじゃない。
交番に届けても、家に着くと奴が、笑顔でお出迎えしてくれた。ちゃんと保管しておまわりさん。





『何考えてるんですか』


「あなたをどうやったら、祓えるか考えてるの」


『無駄だと言っているのに。祓うもなにも、僕はユウレイじゃないんですから。
僕を消したいのなら…そうですね、一番手っ取り早くて、簡単で確実な方法は僕の本体を破り捨てればいいんですよ』


私の手元でヴァンパイア・ロードのカードがキラリと、光った。
こいつは…変態のくせに無駄にレア使用になっている。


『僕を破くなんて…貧乏性のマスターには到底出来ないでしょ』


う…っと言葉を詰まらせると奴がクスリと、笑った。確かに奴の言う通り。
出会(拾)って日がそんなに経っていないのに奴は私の性格を見事に見抜いてしまった。
レアカードって売ったら、結構なお金になるし。それを破くなんて、月のお小遣いが二千円の私には到底出来ない。










買い物帰り、道端にキラリと光る物をを見つけた。それはデュエルモンスターズのカードだった。
デュエルモンスターズとは今世間では凄く流行っており、やった事の無い私でも知っている。
キラキラ光って、レアカードだと言うのはすぐに分かった。落とし主がきっと、探しているはずだ。
「早く届けなくては」呟いて、交番に向おうとする私の目の前にふわりと何かが現れ、目を疑った。


その何かとは私が、手に持っているヴァンパイア・ロードのカードだったのだから。





『ねぇ、お嬢さん。このまま僕を攫ってはくれませんか』





何が起こっているのか、理解出来なかった。瞬きを繰り返しても、ヴァンパイア・ロードの幻は消えない。なおも私の周りを漂って声を掛けてくる。
一瞬、自分がおかしくなってしまったのかと思い首を大きく振った。私はおかしくなんてない。今日まで道徳を守った人生を送ってきたはずだ。


怖くなってカードを放り投げ、私は家まで全力で走った。怖くて怖くて。後ろなんか、振り返る余裕も無かった。
ガチガチに固まって上手く動かない手を必死に動かし、玄関の扉を開け家の中へ飛び込んだ。
急いで鍵を掛けて、床に座り込む私の目の端に――夜色のマントが見えた。


『足速いですね。先回りするのがやっとでした』


もう、疲れて悲鳴を上げる気力もなかった。顔を上げるとヴァンパイア・ロードが、端整な顔に笑みを貼り付けていた。
その表情がゾッとする程に綺麗で、それと同時に怖かった。


悪霊が私に取り憑いた。











「教会か、お寺でお祓いしてもらうわ!」


『僕は悪霊や悪魔ではないので、無駄ですよ』


そんな色気の無い用事で教会や寺を訪ねなくても、"結婚式"に連れて行ってあげますよ。
負けじと言う私にヴァンパイア・ロードがやれやれと肩を竦めた。





『それよりも、マスター』


私はあなたの持ち主でもマスターでもない。ただの被害者よ!
頑なに返事をしない私を少し見つめてヴァンパイア・ロードは面白そうに目を細めた。
多分、あれは絶対に何か企んでいる目だ。


『…なまえさん』


「何よ…!言っとくけど血なんか、絶対にあげないんだからね」


渋々、返事をするとそっと擦り寄ってくるヴァンパイア・ロード。
警戒して身構え釘を打っておく。これ以上血を持っていかれたら、私が死んでしまう。


『なまえさん』


腕をぐいっと掴まれて、振り払う暇もなく引き寄せられた。しまった。咬まれる!
奴は咬む時は思いっきり咬んでくる。痛みを覚悟して固く目を瞑った。


























鈍い痛みではなく甘い囁きが耳元に降ってきた。





『だから、血を「離してちょうだいッ!!」


お、折る!!私は本気よ!
慌てて、手にしているヴァンパイア・ロードのカードを軽く曲げた。





それは悪魔みたいなものだよ
(好きでもないくせにそれは平気な顔をして、嘘を吐く)
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