小説




「こっち見て先輩?」


視線を泳がせる私の頬に手を添えて、真月君は優しい声で言う。
そう、声と手つきは優しいけれど…雰囲気というのか、何というのか、逆らえない様なものがあった。


「あの、真月君…」


「はい?」


何です?と聞き返す真月君をおずおずと見つめて、名前を呼ぶと彼は嬉しそうに目を細める。
何ですって、この状況が何ですって私が聞きたいのだけど。
今、真月君は私を逃がさない様に誰もいない教室の壁際に追い詰めて、私の顔の横に手を着いて、間近に迫っている。
少し開いている私の足の間に真月君の足が挟まれて、本当に身動きが取れない状態で内心冷や汗が止まらない。





「そろそろ…あの授業が、「始まっちゃいますね」


私が言い終える前に、その続きを妙に呑気に言う。チャイムが鳴るまで後五分。


最近、真月君は――とても積極的だ。
甘い声を出して、子供みたいな可愛い顔しているが、二人きりになると、やる事が子供のする事じゃなくなる。
スキンシップくらいなら、前からあったけれど、キスをされてから、とんでもなく密度が跳ね上がったので、最近二人きりになるのを避けていた。
そうしたら、休み時間にいつも通り真月君が三年生の教室に来て、どうしてだか、こんな事になってしまっている。
どういう経緯でここに来たのか、数分前の事なのに全く覚えが無い。





ここは部活動や委員会等でたまに使われる事がある多目的室で、ここ数年で急激に倉庫化しており、人通りは無いに等しい。


「なまえせんぱい。どうしたんです、急に震えて」


ここはちょっと、寒いですか?もしかしたら、風邪引いちゃったかもしれませんね。
身の危険を感じる私に心配する言葉を吐きながらも、真月君は私を放してくれる気もここから出る気もなさそう。


「ぁ、…っ」


小鳥のさえずりみたいな小さなリップ音を立てて、唇を啄まれる。この前みたいに息苦しくて口を開いたりは絶対しない。
ちょっと、どころじゃない。真月君は凄く強引になってしまった。豹変してしまった。





いい加減、息をするのが苦しくなってきた。ここでこの前みたいに酸素を求めて唇を開く訳にはいかない。
あぁでもこのままでは気を失ってしまう。本当にもう限界と、足から、体から力が抜けていく。
それを見計らっていたみたいに真月君の唇は途端、離れた。


「けふ…ぅ、は…?」


少しむせながら、安心していいんだろうかと、彼を見返す。
息苦しさにもうろうとして、私はいつの間にか真月君にそれはもうべったりと縋り付くような恰好になっていた。


「せんぱいの胸、すごくドキドキ鳴ってる」


「どんな気持ちですか、今」


「……や…言いたくないよ、そんな」


にこやかに何て事を聞くの。叫びそうになるのを押さえて、言う。
男の子って女の子の恥ずかしがる様な、そんな事を聞きたいの。どうして。





「駄目ですよ」





耳元でも、大きな声で言われたわけでもないのに、その声が頭の中にいやにはっきりと聞こえ、私は凍りついた。
真月君は私が言いたくないと言ったのが気に食わなかったのだろうか、けれど、別に怒っていると言う様子でもない。だって、笑っているんだもの。
とうとう鳴ってしまった授業開始のチャイムをどこか遠くで聞きながら、私は嫌に緊張して腹がキリキリとしていた。


「ちゃんと教えてください、なまえせんぱい」


真月君は私に乱暴な事をしているわけでもない。
ただ、二人きりになって、大人みたいなキスをして…私がどんな気持ちなのか知りたいと言っているだけだ。
ただ、行動と手段があれなだけで。それなのにどういうわけか震えが止まらない。
こんな風に迫られて普通なら、ときめいてどうにかなってしまいそうなはずなのだけど、私は恐怖でどうにかなってしまいそうだった。





「(怖い、怖い)」


彼の得体の知れない雰囲気に呑まれて、真月君に逆らえない。
喉を絞められているみたいに息が苦しくて、声がうまく出ない。
それでも彼は私が口を開いているので、急かさずにゆっくりどうぞという構えで。


「………いま、こわくて、とっても、なきそうな、の」


真月君は同じ、子供じゃない。


「それじゃあ、怖いのがなくなるまで、僕がずっと先輩を抱きしめていますね!」


可愛そうに、怖いの怖いの飛んで行けとでも言う様に、私をぎゅうっと抱きしめて、真月君は楽しげに耳元で笑う。





秘密なんて許せません
(怯えないで)(優しく問い質しますから)
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