短編集

50000打記念

 犬くさい。光は、鼻を覆って抱えた温もりに顔を埋めた。近くから聞こえる息遣いと時折混じる嬌声が耳について離れない。喉で唸ると子犬が暴れた。生暖かい空気が吹きかけられ、ついで犬らしい甘えた声が聞こえた。場の空気を読んでるのか小さく囁くように光へ呼びかける。飼い主の顔をしきりに気にする彼女のために力を緩めると子犬は光へ飛びついた。獣臭さとともに頬を濡れたものが走る。何度も行き来するそれは、まるで光を勇気づけるかのようだ。

「ッ…サ、サブ…くすぐったい…」

 わふ。元気よく返事をした子犬を慌てて抱え込んで周囲を見渡す。人の気配はない。しかし、外へ意識を向けたせいか、嬌声だけでなく濡れた音も拾ってしまった。耳が熱くなり鼓動が早くなる。腰あたりが少しだけ重い気がして、さらに泣きたくなった。生き物として正常な反応ではある。それでも、思春期真っ盛りの光にとってこれは歓迎したくないものだった。

「梓さん、まだかな…」
「え、いるけど」

 思わず悲鳴を上げかけて暖かい何かに口を塞がれる。落ち着いて、大声出したら今までの努力がぱーになるよ。聞き取りやすくいつも通りの彼の声。平気なんだろうなと少し気まずく思いつつ、梓に手を離すように促した。




 梓に連れてこられた場所から独特の空気を感じ取った光は、自然と頬が緩んだ。それに気付いたらしい梓がくすと微笑む。

「…な、なんですか」
「別に。青春だねー」
「梓さん、その発言は枯れた人ですよ」

 そう言えば、項垂れたような動き。二十代だから大丈夫、この前大学卒業したなどと言い訳がましい言葉を並べている梓を置いて、奥にいる人に呼びかけた。

「大河さん、いらっしゃいますか」
「あ、ごめーん。今、仮眠室」

 近づいてくる副委員長の声が響き、少し体温の低い彼の手が光の頭を撫でる。ごく自然な動作で光をソファに導き、給湯室から持ってきたらしいカフェオレを淹れた。ついでに休憩でもとるようで、塚本も向かい側に座る。

「でさぁ、光ちゃん何しにきたの?」

 今日は休日だ。寮生は部活に励むか室内で勉強するかである。特に光は部活に所属していない上に、外を積極的に歩くことがまだ出来ないでいた。それを指摘した塚本は、にっこりと追及の手を緩めない構えでいる。光自身は、ただ単にサブロウの散歩をしていたため、それを言えばいいのだが、道中遭った出来事が頭を過り一気に顔が熱くなった。どうしようとぐるぐるする考えを落ち着かせようとカフェオレに意味もなく息を吹きかけてみる。視線は外れない。

「校内でヤッてる馬鹿を見かけて動くに動けなかったのを俺が引っ張ってきた」

 後ろから聞こえた声。彼の分も用意してあったらしく、少し高い位置から陶器が擦れる音を拾う。光の頬はさらに熱くなった。恨みをこめた視線を梓がいるだろう高さへ送る。察した梓は、取り締まりするのに必要でしょうがと呆れた様子で理由を話した。

「そうだよぉ、光ちゃん。一方的なのはもちろんだけど、合意でも野外はダメなんだよぉ」

 それもそうか。そもそも普通の開放的な学校なら、学校で淫行が頻発すること自体あり得ないだろう。そもそも未成年が性行為をすること自体、好ましくない。

「ま、やりたい盛りのやつらを無闇に押さえつけるのも得策じゃないから、たまに見逃すけどね」
「そういや、光ちゃんたちってそこんとこどーなのさぁ」

 それ、俺も興味あるわ。唐突に振ってきた話題と思いがけず同意した教員に口にしていたカフェオレを吹き出しかける。しばらくして落ち着いてきたところで、二人から視線を送られる。至極楽しそうな塚本に対して、梓はやたら子供の成長を見守る親の視線だ。なんだろう、余計に恥ずかしい。

「その、…まだ、です」
「ええ!? 手ぇ出してないの馬鹿じゃないの大河のやつ!」

 塚本の大きな声が、風紀室中に響き渡った。慌てて塚本の名前を呼ぶと、意図を理解した彼は軽く謝罪する。幸いにも見回りらしく誰かに聞かれることはなかった。

「…もう半年、だっけ。それぐらい経つよねぇ。今までだったらもう手を出してるはずだけどぉ」

 呟く音が少しずつ小さくなっていく。断片的に聞き取れるのは、他の知り合いたちの性行為遍歴や大河の恋愛についてだ。とはいえ、単語のみで想像をするのはよくない。そう言い聞かせながらも、光は自身の貧相な顔立ちと身体を頭に思い浮かべる。男相手で、平凡で。やっぱりしたくないのかな。

 先ほど聞こえてきたもののような声は出せそうにもない。いや、出せたとしてもあまりいいものとは思えない。

「光くん。そんな考え方はよくないと思う」
「で、でも…」
「一応、未成年の性行為はだめなんだよ。それに、そんなネガティブな理由かどうかは本人に聞いてみれば?」

 光の考えをお見通しだったらしい。どこでそんなことを知ったのかというよりも、指し示された先の人物に息を飲む。

「…光。今日は、俺の部屋に来てくれ」

 寝起きらしく普段よりも暖かな指先が、頬を覆った。
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