メルヒェン+エリーゼ
薄明るい光がカーテンの隙間から差し込んできた。ようやく長い夜が終わり、また新しい朝が巡ってきたのを告げられる。日の出と共に目を覚ましたエリーゼは未だ夢の住人であろう同居人、メルヒェンを起こさないように再び目を閉じる。
1度目を覚ましたら眠れなくなるエリーゼは眠っているふりをする。すぐに寝不足になるメルヒェンの睡眠時間を確保するためでもあり、何よりエリーゼはこの時間が好きだった。温かな布団の中で次第に明るくなる世界を眺め、穏やかな表情で眠るメルヒェンを眺め。何でもないこの時間が彼女にとって1番の贅沢であった。
「今は5時ね…普通ならメルが起きるまであと2時間近くあるわ」
誰にも届かないようにエリーゼは呟く。数分後、隣で布が擦れる音がした。寝返りを打って細く目を開けば、まだ眠っていてもいい筈のメルヒェンが起き上がるところだった。眠そうに目を擦り、大きく伸びをしている。思い思いの方向に跳ねる髪を手櫛で梳き、覚束ない足取りで寝室を出て行った。
「また今日もこんな時間に起きて…全くどうしたのかしら。今日で1週間よ。これは何か秘密があるに違いないわ」
この1週間、朝に弱いメルヒェンが早起きなことをエリーゼは不思議に思っていた。空腹で何かを食べに起きているのか、または誰かに会いに行っているのか。何にせよエリーゼに知られてはならないことをしている、と考えられた。四六時中共にいるエリーゼに隠れて行動しているのだから怪しまざるを得ない。
快適な布団と別れ、床に足を付ける。冷たさで一気に目が覚めたエリーゼはクローゼットから適当な羽織りを出して袖を通す。音を立てずに扉を開けば、左の角を曲がろうとしているメルヒェンが視界に入った。
つい見つからないように隠れながらメルヒェンをつけて行く。彼が向かう先には食べ物の入った戸棚も、キッチンも、そして玄関もない。
「この方向に部屋なんてあったかしら?」
疑問を抱きながらエリーゼは物陰に隠れる。メルヒェンは壁に立て掛けられている箒を手に取り、天井を突いている。数回突けば、箒の先端は何かに掛かったようで、誇りを散らしながら家が軋む音がした。箒の先には薄汚れた階段があった。
「まさか、屋根裏…?そこに何があるのかしら。いい予感が全然しないわよ」
もう1度メルヒェンに意識を戻したときには彼の上半身は暗闇に溶けてしまっていた。光の無い屋根裏は何かを捕らえておくには充分すぎる場所に思えた。もしかしたらあの暗闇の中には誰かが閉じ込められているのかもしれない、とエリーゼは思う。彼の性格でそれはない、と思う反面、屋根裏の暗さは不安を掻き立てる。
何分経ってもメルヒェンが屋根裏から降りてくる気配はない。いよいよエリーゼは彼を疑わずにはいられなくなった。暗闇の向こうに何が待っていようが真実を知りたいという気持ちが彼女の歩みを進める。
「…解らない。こんなにも僕は君に真剣に向き合っているのに。どうして君は僕に応えてくれないの?」
余裕のないメルヒェンの声が屋根裏に響く。白熱灯の出す光が奥にいるメルヒェンを照らしていた。壁に映るシルエットの彼は頭を抱え、うなだれている。
「まさか本当に誰か閉じ込められていたなんて…どうしましょう。私に見られたとしれたらメルはきっと私を殺すわ」
足がすくむ。逃げなくてはいけないと頭ではわかっていても体が動いてくれなかった。焦りだけが募り、エリーゼはどうしようも出来ない。瞳はシルエットを捕らえたまま逸らすことすら出来なかった。
「そうじゃないよね。僕が頑張らないからいけないんだ。しっかり向き合わないと理解なんて出来ない。君の持つ素晴らしい音を僕が引き出せるようにしないと駄目だね。よし、もう1回最初から頑張ってみよう」
メルヒェンの言葉が途切れると同時に新たな音が屋根裏の空気を揺らす。透き通るようなEの音、続くのはDのシャープ。2回繰り返したと思ったらBに下がり、またDへと上がる。
「この旋律は…」
聞き覚えはあるがどうもエリーゼは思い出せない。ただメルヒェンが何か罪を犯している訳ではない、と知り安心する。拙いピアノの音色に耳を傾ければすぐに平静を取り戻した。
「何の曲かはよく解らないけど、メルが私に隠れて練習してるんだから聴かない方が良さそうね」
我が子の成長を見守る母親のような眼差しを残してエリーゼは階段を降りる。その小さいながらも屋根裏には異質の音はメルヒェンの耳にしっかりと届いていた。
「あぁ、もうばれちゃったか。でも良かった。まだ曲の形も見えてないから何の曲かは解らなかったみたいだし」
小さな足音を見送って、メルヒェンは再び楽譜に向き直る。数えきれない音符に目を回しそうになりながらも、このタイトルに相応しいメッセージをこめられるようにまたEの音を鳴らした。
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