メルヒェン+エリーゼ



 天気は雨。つまり森へは出られない。窓ガラスに雨粒が当たり、磨りガラスのようになっている。揺れるガラス越しでは外はよく見えそうもない。

 頬杖をつきながら、1人つまらなさそうにメルヒェンは外を見つめる。彼の瞳は雨を湛えて揺れ動く。絵にはなる風景なのだが、3時間もこの状態では流石にエリーゼは策を取らざるを得なかった。

 エリーゼはメルヒェンの背後に回り肩を叩く。その白磁の人差し指は伸ばされており、振り向いたメルヒェンの頬を付いた。少し眉を寄せるものの、彼は一言も発っさずに再び窓の外へ視線を移してしまう。

 「メルー?」

 「…何だい、エリーゼ?」

 少々の間の後にメルヒェンは答える。しかしまだ外を向いたままでエリーゼには彼の白い瞳は少しも見えない。

 「暇なんでしょ?雨で外へ行けないから」

 「雨は嫌いじゃない。世界の喧騒を掻き消してくれるからね」

 「でも暇なんでしょ?やることが無くて」

 「…うん」

 素直に答えたメルヒェンにエリーゼは飛びついた。座っている椅子ごと倒れそうになり手をばたつかせる。その様子がエリーゼには面白くてたまらない。勢いのまま椅子とメルヒェンは床に倒れ、その衝撃で体が跳ねる。

 「エリーゼ、遊ぶならもう少し大人しく遊ぼうか。お菓子を作るとか童話を読むとか」

 「メルは料理苦手でしょ?前もキッチンで小麦粉全部ぶちまけたじゃない。結局片付けもほとんど私がやってあげたのを忘れた、なんて言わないでね」

 「…ごめんなさい。でも雨の日って何やったらいいかとか思いつかなくって。1人でならいくつか思いつくんだけど、エリーゼと2人となるとね」

 困ったような顔をしてメルヒェンは言う。指をぴくぴく動かしながら考える姿がエリーゼは好きだった。

 「…でもお腹空いたかも」

 「じゃあメル、ゲームをしましょ」

 いつの間にかエリーゼの手には美味しそうな焼き菓子があった。狐色に焼けたチェリーパイはメルヒェンの鼻をくすぐる。

 「それって僕が好きなチェリーパイ…」

 「メルが窓の外を眺めているうちに作ったの。気がつかなかったってことは相当ぼーっとしてたのね。いつもなら焼いている時の香りに釣られてキッチンにいるもの」

 エリーゼの声など聞こえていないようで、メルヒェンはチェリーパイへ手を伸ばす。艶やかなパイを一切れ掴もうとした瞬間、彼の白い腕は払いのけられた。真っ白な瞳をくるくるさせながらメルヒェンは指を踊らせる。

 「駄目よ、メル。手で食べ物を掴んだら不衛生だし、周りが汚れてしまうわ」

 「じゃあちゃんとフォークで食べるよ」

 それでもエリーゼはメルにパイを渡そうとはしない。背はメルヒェンよりも低いのに、巧みにパイを逃がす。

 頑張ったところでパイにありつけそうもない、そう思ったメルヒェンは大人しく再びソファに腰を下ろす。そっと目の前にパイが置かれるが、手を伸ばしても掴めないのは解りきっているために動けない。切れ目から除くワイン色のさくらんぼが目に痛い。

 「言ったでしょ、ゲームをしましょって。このパイはその賞品よ」

 嬉しそうにエリーゼは言う。言葉は残酷なものなのに、その咲き誇る笑みに掻き消されていた。

 「絶対負けないからね。パイは僕のものだから」

 「ちなみに負けたらパイはお預け。外に捨ててくるからそのつもりでね」

 「…そんな!!何て勿体ないことをするんだ!!」

 「だって私は物を食べられないし、メルに普通にあげるなんてゲームの意味がないでしょ?心配しなくてもメルが勝てばパイは食べられるわ」

 半泣きで叫ぶメルヒェンにエリーゼは決して甘さを見せない。頬を軽く叩いてメルヒェンはソファに座り直す。その目は爛々としている。

 「そうそう。頑張ってね。じゃあ第1問!今から私がいう言葉を良く聴くのよ。頼まれたって1回しか言わないからそのつもりでね。…『イドへ至る森へ至るイドへ至る森永へ至るイドに至る森へ至るイドの中にいるメルメル』!!さて、今メルは何回森へ至ったでしょうか?」

 「待ってよ難しすぎるよ!!ええと…イド至る森へ至るる森永に至る森のメルメルが…」

 「ほらほら、早く言わないと雨の中に投げるわよ?」

 気がつけばエリーゼは金古美の窓の鍵に手をかけていた。もちろんその手にはパイの乗せられた皿がある。

 「ちょっと捨てないでよ答えは…3回!!」

 パイが助けを求めている、そう感じたメルヒェンは咄嗟に叫んでいた。最初の早口言葉も聞き取れていなかったため、完全にあてずっぽうである。しかし、何もせずにパイが捨てられるのを見ていられなかった。

 先程に劣らない微笑みをエリーゼは見せる。これは自分の負けだ、とメルヒェンは確信し、心を沈ませる。一切れとはいえエリーゼのチェリーパイを無駄にした自分が嫌になる。

 「はい、どうぞ」

 窓の外へ投げられたかと思われたパイが紅茶を伴ってテーブルに置かれている。立ち上る紅茶の香りに気を取られて、事態を把握しきれずに、メルヒェンはきょとんとする。

 「あれ、もしかして正解なの?」

 「メルは多く見積もりすぎよ。答えは0。だってメルはイドの中にいる、って言ったでしょ?」

 「あまりに難しくて解らなかったからあてずっぽうだったんだ。でも何で?僕はエリーゼに負けたのにパイを食べられるの?」

 エリーゼは不思議がるメルヒェンの頭に手をやり、髪を乱す。その手から伝わってくるのは紛れも無い優しさである。

 「メルは暇だった。暇だったからゲームをした。ゲームの勝敗でパイの運命が決まる、なんてこと私はしないわ。でも少しくらいスリルがあった方が楽しいでしょ?」

 首に抱き着かれて、上機嫌に言い訳をされればどんなことをされてもメルヒェンは許してしまう。小さな悪戯その1つ1つは彼女なりの愛だと彼には解っていた。

 「メルはいつも私のパイを美味しいって言ってくれるけど、美味しいってどんな感じなのかしら」

 「エリーゼは食べられないからね。そうだな…美味しいっていうのは…難しい。ただ優しさがなければどんなものも美味しい、とは思えないと思う」

 フォークで切り分け、パイを口に運ぶ。瞬間さくらんぼの酸味と甘味、パイの香ばしさが広がり、その中にエリーゼの優しさを感じた。

 「今日のパイは特別に美味しいね。一騒動の後、というのもあるかもしれないけど改めてエリーゼの大切さを感じたからかも」

 「私に美味しいという感覚はわからないけど、メルが喜んでくれるなら頑張って作るわ。勿論普通には食べさせないけど」

 木苺もいいけどすぐりのパイも美味しいのかも、とエリーゼが呟く。この先どれだけ彼女に困らせられようとも自分は絶対に怒れないだろうと思う。それでもエリーゼと共にいられるならそれでもいい。そう思ってしまう自分はつくづく甘い、とメルヒェンは思った。








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