冬闇



 暖かいベットから這い出せば、サイドテーブルにはエリーゼと遊びに行ってきます、という置き手紙だけが残されていた。朝食と着替えの心配がまず頭を過ぎるが、それはあっという間に解決する。ダイニングテーブルには卵とハムとチーズのサンドイッチ。ポットには紅茶が入れられている。着替えはというと壁に全て掛けられていた。

 「僕ももうちょっと色んなことを出来るようにならないとね…ありがとう、ヴィオレット、オルタンス」

 留守の2人にしっかりとお礼を言ってサンドイッチを頬張る。やっぱり暖かい味がした。紅茶もすでにミルクと砂糖が絶妙に混ぜられていて、2人の心配りに驚いた。

 ついさっき自分のことは自分で、と誓ったはずなのに、早速壁に突き当たる。背の編み上げが全然出来ないのだ。



 「と、いうわけで遊びに来たよ。おはよう、メルヒェン」

 井戸に腰掛けて指揮棒を磨くメルヒェンを覗き込むように僕は言う。いつもならすぐにその手を止めて切り返してくれるのに、今日はそれがない。それが面白くなくて、僕はメルヒェンの脇を突いてみた。

 「編み上げ、やって欲しいんじゃないの?次やったら絶対にやってあげないからね」

 「だってメルヒェン、全然おはようって返してくれないから」

 「おはよう、イヴェール。今ちょっと忙しいから編み上げを少し待ってて貰いたいんだけど…いいかな?」

 上目に聞いてくるメルヒェンに思わず頷きかけてしまう。だがそれでは意味がない。編み上げ自体はいつであろうと、それこそやってくれなくても構わない。大事なのはメルヒェンの態度なのだ。ただの口実にしかすぎない編み上げなんてどうでもいいからもう少し僕に構ってくれてもいいのではないか。

 彼の白い手の中に収まる屍揮棒を一瞥し、嫉妬にも似た念を抱く。我ながら子供っぽいとは思う。物にさえ嫉妬するほどに僕はメルヒェンが好きなのだ。やはり何においても彼の1番でいたい。

 「うん、それじゃあ僕はその棒が綺麗になるまで待ってるよ」

 せいぜい屍揮棒と楽しい時間を過ごしなよ、と心の中で毒づき、僕は井戸を囲む森へ踏み込む。すぐに自己嫌悪に陥る僕はきらきらと光る木漏れ日とは無縁な陰をぐるぐる歩く。

 光の届かない陰には1つ前の季節の風が吹き抜く。体を震わせて、それでも意地でも日なたに行きたくない僕は1つの切株に腰を下ろした。

 「なんで僕はこんなに子供っぽくなってしまうのかな。この切株みたいに長くを生きればそんなことも無くなるのかな?」

 優しく切株を撫でながら僕は呟く。その断面は当たり前ながら2層からなる綺麗な渦模様だ。普段なら目に留まらないその完璧な断面に僕は感心した。

 切株の渦模様は夏と冬の成長の差から出来るものらしい。1年かけてようやく1つの渦を作るなんて途方もない作業だ、と思う。

 「彼に出会ったのは去年の夏、ということはその頃この切株はここの辺りに層を作っていたのかな」

 1番外の樹皮に触れて当時を思い返すと思わず笑ってしまう。宵闇の屍揮者、などという大層な名を冠するために僕は怖くて堪らなかったが、実際会ってみれば見事にそのイメージが崩れ去ったものだ。

 「懐かしいなぁ…あれからもう1年なんだね」

 「あの時のイヴェールは面白かったよね。井戸に座って歌ってるエリーゼと僕に怯えて木の陰から出て来られなかったし」

 「メルヒェン!?なんでここにいるの?さっきまで屍揮棒磨いてたでしょ?」

 驚いて問えば、彼は少し困ったように笑う。右手で軽く頭を掻いてもごもごと何か口ごもっている。

 「屍揮棒は大切なものだけど、いつでも手入れは出来るからね。今は何よりも、せっかく来てくれたイヴェールと話がしたいんだ」

 仄かに赤らみながらメルヒェンはは小さく叫ぶ。その行動があまりにも可笑しく、そして面白くてたまらない。咎められるだろうな、と思いつつ、僕は腹を抱えて笑った。

 大声を上げて笑われるメルヒェンは訳が解らないようで一瞬豆鉄砲を喰らったような顔になる。それも束の間、理由もなく笑われていることに腹を立てたのか、みるみる眉間に皺が寄っていく。

 「やっぱり何だかんだで僕を選んでくれるんだね。ありがとう」

 勢いよくメルヒェンに飛びつき、慣性のままに年輪を描くようにくるくると回る。

 僕の時は止まり、新たな季節を迎えなくても。目に見える渦で年を重ねられなくてもそれは悲しいことじゃない。流れない年イコール絶望、なんて方程式は成り立ちはしないのだ。

 「この止まった時間の中で君に出会えてよかったよ。メルヒェン大好き!」

 期待通り真っ赤になってメルヒェンはあたふたする。腕の中から逃げられないように僕は一層強く抱きしめる。

 これくらいの幸せなら神様も許してくれるはずだ。



















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