王闇



 「おや、これは珍しい。確かに今は季節の変わり目だが…君が体調を崩すなんてね。死体でも風邪はひける、ということか」

 「五月蝿い。あまり喋らないでくれ。頭に響いて仕方がない…」

 「成程、風邪さえひいていれば宵闇の姫君の堅牢に見える心の檻の鍵も開かれる、と」

 冗談混じりに僕が呟けば、メルヒェンはこちらを睨みつける。威嚇しているつもりだろうが、残念ながら全然怖くはないのだ。熱に浮された我が姫は傷を負った野良猫と全く同じだった。

 つまりは頼りたいが頼れない。熱があるというのに不幸なことにエリーゼは不在。恐らく風邪をひくのも初めてで不安で仕方ない。手に取るよりもはっきりと彼の心がわかる。

 「心配ないさ、ただの風邪だ。しっかり栄養を取って、眠ればすぐに治る。と、いうわけで」

 僕はそこで言葉を切り、ソファから逃げ出そうとするメルヒェンを捕まえる。少々強引にソファへ横たえて額に唇を落とす。

 「今日くらい、僕にいいところを見せさせてくれないかい?」

 生ける女性を全てこの手に抱くより遥かに澄ませた声で囁けば、上気した頬に更に赤みがさす。これは悪いことをしてしまったかもしれない。

 咳込みながら何かを必死に叫ぶメルヒェンは完全に無視して、僕は勝手に戸棚を漁る。キッチンを借りて、ジンジャーティーをいれ、メルヒェンに差し出す。

 「看病、といってもこのくらいしか出来ないけれどね。遠い昔、僕が風邪をひいた時はいつもジンジャーティーを作って貰っていたものさ」

 「生姜は喉にいいというしな…不本意だが貰っておこう」

 「風邪のときくらい頼ってくれてもいいんだよ、メルヒェン」

 半分引ったくるようにカップを受け取り、メルヒェンは一気に飲み干す。気管支に入ったらしくむせこむ姿も可愛らしい、と思って微笑ましく眺めていたらまた睨まれてしまった。

 僕自身健康体な為、あまり看病というものをしてもらってはいない。知識として知っているのは、病人には消化の良いものを食べさせゆっくり休ませるのがよい、ということくらいだった。彼の手前、格好の悪いところを見せられない。無意識のうちに頭を掻いてしまう。

 「王子、風邪なんて放っておいても治るものだ。だから…あまり私を看病しよう、なんて思ってくれなくていい」

 鼻声で、咳をしながら言われる拒絶にも近い言葉はいっそ清々しいほどにさっくりと心に突き刺さる。己の無力さに嫌気がさして、彼に背を向ける。何とも自分らしくないが、想人の風邪すら治せない自分が嫌いになりそうだ。

 「任せておいて、なんて言って済まなかったね。一応氷枕の用意だけはしておくから。体を絶対に冷やさないようにね。お大事に」

 決心が変わらないうちに帰ってしまおう、と踵を帰してリビングから立ち去ろうとする。次に来たときは回復しているといい。姿の見えないエリーゼが帰宅してしまえば彼の風邪などすぐに治ってしまうだろう。

 「…待て、誰も帰ってくれとは言っていないじゃないか」

 「メルヒェン?」

 「確かに看病なんて知らないみたいだけど、ジンジャーティーは美味しかった。不思議なことに熱がある、というだけで人間は不安な心持ちになるらしい」

 クッションに顔を埋めているために語尾が聞き取りづらい。だが、その言葉は普段の彼からは決して聞くことの出来ないものだ。

 顔を手で覆い、痙攣する腹を抑える。彼から見たら僕はおかしな人間だろう。だが、笑わずにはいられない。

 「美しき宵闇の姫君、非力な僕ですが、どうか今だけはお側にお置きください」

 恭しく頭を下げて、僕はメルヒェンを伺う。熱の相乗効果もあるのだろうが、彼は真っ赤だった。状況を飲み込むのを拒否するように何度も瞬きをする。

 普段なら決して見られない姿。この彼を独り占めに出来るのだから風邪も捨てたものではない。メルヒェンには悪いが、もう僕には看病する気なんて欠片もなかった。


















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