メルヒェンと王子とイドさん



 布団に包まり、暖まる朝。この快適すぎる空間から出て1日を始めるか、それともまだこの甘美な時間を噛み締めるか。どちらを選び取るか考える至福の時だ。

 「おはよう、王子。今日も素晴らしい朝だね」

 突然降り懸かってきた声に目を開けば、視界いっぱいに映ったのは僕の嫌いな顔だった。

 「…目覚め早々見たのが君の顔だなんてね。最悪な朝だ」

 何故か心惹かれない死人のイドルフリート。朝に1番見たくない顔だ。余裕の笑みを浮かべて僕がベッドから這い出す様を見ている。邪魔で邪魔で仕方がない。大体どうやって僕の部屋まで入って来られたのだろうか。

 無駄な声もかけずに放っておけば、彼は僕の部屋を物色し始める。プライバシーの侵害、という言葉を彼は知らないのだろうか。見られて困るものがあるわけではないが、何処か手癖の悪そうなイドルを好き勝手に泳がせておくのは得策とは言えないだろう。手早く服を整え、背後から蹴りを入れてやる。

 「いきなり蹴るなんて酷いじゃないか、この低能が。着替えも済んだようだしどこかへお出かけかな?」

 「君のような低能に教える義理はない!」

 「私の台詞を盗らないで貰えるかな。最もどこへ、なんて聞く必要はないか。今日が何の日か知らない筈があるまい」

 首に抱き着きながらイドは言う。確かに僕が出かけるべきところなど限られてはいた。この鬱陶しい男を引きはがして、僕は彼に会いに行きたいのだ。何としても今日中に会わねばならないというのに、イドは僕を解放する気がないようだ。

 「さあ、今日は何の日だったかな」

 「低能め、ならばその紙袋は何かな?」

 「例え今日が何かの記念日であろうと、君と祝うべき日なんて知らない。邪魔だから離れてくれ」

 服も声もどこと無く似ているというのに、何故これが彼ではないのだろう。運命の神とはかくも残酷なものである。



 「ハッピーバレンタイン、メルヒェン」

 井戸に向かって叫べば、数分の後、彼は井戸から出て来た。真雪よりも白い肌に正規のない瞳、そして宵闇を映しとったこの滑らかな髪の持ち主こそ僕が1番に会いたかった人物だ。

 前日のうちに作っていたガトーショコラをメルヒェンに渡す。丁寧にラッピングされたそれは職人にも負けない自信がある。エリーゼとはまた違う、愛情を溶かしたガトーショコラだ。

 「本当にリクエスト通りに作ってくるとは…君のことは苦手だが感謝しよう」

 「僕は君にガトーショコラを作った。お返しはないのかな?」

 「…受け取りたまえ」

 半ば投げるように渡されたのはチョコチップが混ざったマフィンだった。歪つな膨らみと拙いラッピング。どこからどう見てもこれは手作りの品だ。青のリボンで包まれたマフィンはどの贈り物よりも可愛らしい。

 「よくエリーゼが許したものだね。猛反対されただろう?」

 「だからといって作らずにいれば私の身が危ないのは目に見えている。それな菓子作りは得意ではないから味の保障はしない。ところで…彼には渡さないのかい?」

 メルヒェンは不思議そうにイドを指差して言う。彼の指の先にいるイドははち切れんばかりの不満を抱えた子供のようだ。いい年した大人だというのにどうして彼は面倒な性格なのだろう。

 「今日はバレンタインだ。彼に渡すものなんて…」

 「ならば聞くが、その紙袋に入った小さな包みは一体何かな?」

 笑いを噛み殺しながらメルヒェンは手招きをする。亡霊のようにはいずりながら近づいてくるイドルの顔が怖い。左右に揺れながら僕のところまでやってきて、首に抱き着いてくる。

 それを振りほどく前に紙袋を引ったくられてしまった。空だと思わせていた紙袋の意外な重さにイドは口角をあげる。

 「成程、私の髪を束ねるリボンによく似ているではないか。すると君は恥ずかしくて私にこれを渡せないでいた、と。ふん、この低能」

 「煩い、黙れ」

 「なかなか君も可愛いげが出てきたじゃないか。結構なことだ。メルヒェン、王子はそのうち私が頂いて行こう」

 「助かるよ、イド。そうだ、僕からもバレンタインを受けとって貰えるかな?」

 嬉々としてイドにマフィンを渡すメルヒェン。どうして僕は肝心の彼に相手されず、こんな奴にばかり好かれるのだろう。

 バレンタインは全ての恋人を幸せにする日ではない。















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