テッテレ→←闇



 リビングの座り心地の好いソファー。サイドテーブルの上の紅茶とエリーゼのビスケット。お気に入りの本に目線を落とすだけの穏やかな昼時。

 誰に邪魔されることもなく読書に没頭出来るのはいつ振りだろうか。久方振りの幸せを噛み締める。せっかくの休息なので有意義に使おう、と僕はすぐに意識を本へと戻す。何度読んでも飽きることのない物語は、あっという間に僕を別世界へと誘ってくれた。

 運命に抗う青年の生き様を追っているうちに、太陽は空を進み、時刻は午後3時を迎えようとしていた。本はこの世界に生きるどの盗人よりも華麗に時を盗んでいったようだ。読書に一段落つけて本に栞を挟み、紅茶のティーカップに手を伸ばす。冷めてもなお残る香りを吸い込み、口へ運ぼうとした瞬間、電光に貫かれたかのように僕は固まる。エリーゼ、何が起こってもカーペットにシミ1つ作らなかった僕を褒めてくれないかい?

 リビングの出入口から撥ねる金髪と純白のブーツ、青いケープの裾がはみ出した。これから起こる悪夢を思い描き、自らの不幸を呪う。

 「こんにちは、麗しの宵闇の姫君」

 「また君か…本当に毎度毎度どうやって鍵を開けて入ってくるんだ」

 「美しい姫君の前ではどんな強固な城壁も紙切れ同然。この針金1本さえあれば僕に開けられない鍵はないからね」

 「…もういいよ」

 これは本格的に家のセキュリティ面を見直すべきかもしれない。こうも簡単に侵入を許してしまえば家のものも、エリーゼも、何より僕の身が危ない。最悪、引っ越しでも考えるべきだろうか。

 「やっぱり咎めないんだね。そんな反応だと都合のいいように勘違いしてしまうよ?」

 「別に構わない。どちらにしろ君の行動に変化はないだろうからね。ついでに言うと私は寛大なだけさ」

 言葉自体に偽りなどない。実際僕のことを勘違いされようとこの王子では特に害もないだろう。それに僕だって王子のことが嫌いな訳ではないのだ。苦手なだけであって。

 「では我が愛しの姫からの許しも得たことだし、しばらくお邪魔させて貰おうかな」

 「エリーゼが帰ってくるまでにしておくれ。それから僕の読書の邪魔はしないこと。それが条件だ。あと紅茶も入れて欲しい」

 「復讐の姫君は人使いが荒いことで」

 不満を謡ってもその顔は優しさに満ち満ちている。こんなやり取り、なんだか熟年の夫婦みたいだ。それも悪くないかもしれない、そう思った瞬間、背筋が凍った。



 物語も佳境に差し掛かる頃、キッチンの方角から甘い焼菓子の香りが運ばれてきた。香りに釣られて行けば、王子がレープクーヘンを作っていた。

 「もう読書は終わりかい?」

 「いや、やけに甘い香りがしたからね。それにしても良い香りだ…」

 「冷めたら食べてもいいよ。それまで読書に戻ってて」

 半ば追い出されるようにキッチンを追い出され、ソファへ再び沈みこむ。程よくついたキツネ色の焦げ目を見てしまえば読書に集中することは叶わない。あの王子は何故全てにおいてそつなく熟してしまうのか不思議でならなかった。

 甘い香で良く回らない頭で文章に目を通す。大きな謎を主人公に問い掛けたところで答えなどない。その変わりに主人公が抗うもの、運命という単語が跳ね返ってきた。

 「本のページが全然進んでいないみたいだね。何か考え事でも?」

 「…いや、特にそういうわけでは」

 「エレフセイア…運命、だね。メルヒェン、君の小指に注目して貰いたい」

 王子に指摘されて見れば、そこには白い糸が巻かれていた。きつくもなく、緩くもなく、丁寧に蝶結びにされている。読書に集中しすぎて全く気がついていなかった。

 「人には紡げない白い糸、それが運命というものさ」

 「君もこの物語を知っているのか?」

 「当然だよ。…運命の赤い糸って知ってる?僕は、あれは元々白かったと思ってるんだよ。人間が操りたかったものの1つ、運命を象徴する真白な糸で好いた相手と自分を繋ぐことによって相手と繋がる。そうだとしたらなんだかロマンチックじゃないかい?」

 小指の糸を辿ってゆけば左へ右へと蛇行しながら、端は王子へと繋がっていた。

 「だが知られているのは赤い糸だ。それはどうしてなのだろう」

 「白とは控えめで清廉な色だ。つまり慎まやかで目立たない。人は目に見える愛の形が欲しくてこうしたのさ」

 腰から提げる剣を取り、王子は指を切る。鋭い切れ口から紅い血が流れ、白い糸を赤く染めた。

 「僕が針金を器用に扱えるのも、それなりに菓子作りが出来るのも、世俗から忌まれる癖も全ては運命付けられたものなのさ。こうやって目に見える形としてね」

 血は糸を伝い、ついには全てが鮮やかな赤へ変わる。血液、なんてもので繋がれれば、どこか必然めいたものを想像してしまう。

 「成程…確かに適っている」

 「色恋に血は付き物だね。僕の人生も全く大変なものだ」

 「血を見るのは君くらいのものだろうと私は思うけれど?」

 運命の赤い糸で結ばれた僕たち。こんな糸1本で全てが決まってしまうとは思わないが、意識せずにはいられない。

 「…でも、こんな運命も悪いものではないかもね」

 王子に聞こえるか、聞こえないかくらいの声量で僕は呟く。僕が作る最大限の君への隙に気がつくか否か。それも運命が決めることなのだろう。

 黒き剣を携えた青年に1人語る。

 もしたしたらこの運命に1番抗わなきゃいけないのは僕なのかもしれない。
























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