もじもじ | ナノ

母から夕食の準備の片手間に、隣の7つ上の姉さん、名前が婚約をしたのだと聞いた。そうか、と適当に当たり障りなく答え、早々と自室へ戻った。通学鞄を乱雑に部屋の邪魔にならないところへ放り、自分はそのまま畳の上へ体を預け、一息吐いた。目を閉じて、意識の端で弾むような母の声を聞きながら、その日はすっと眠りに就いた。

朝、学校へ向かう途中に名前に会った。承太郎くん、おはよう、と日だまりのような笑みを浮かべた彼女の手元を無意識に目を落として、少し、後悔をした。目を落としたことではなく、彼女と会ってしまったことに。キラリと光リングをぼんやり眺めて、ぎこちなく「おめでとう」と言うと、彼女は顔を綻ばせて照れたように笑って「ありがとう」と言った。それから、ほんの少し、会話を交わして学校へ向かう。心は何故か、酷く沈んでいた。

今週末に彼の所へ引っ越すから、承太郎くんにもお見送り、来てほしいな

ぼんやり、ぼんやり、一週間は早いもので、あっという間に気が付けば週末になっていた。
目の前を軽やかに歩く彼女へ転ぶぞ、と思いながら、彼女の一番重たい荷物を抱え直した。「ごめんなさいね、承太郎くん」「いや、いい」これはさっきいやと言うほど交わした言葉だ。静なのは嫌いではないが、今は少しでも彼女と会話がしたくて、少しでも彼女の記憶へ残りたくて、普段使わない頭をフル活用させて少し前を歩く彼女へ話し掛けた。
「引っ越し先は遠いのか」
「そうだねぇ、ちょっと遠いかな」
「休みには帰ってくるんだろ」
「どうだろう、忙しくなかったら」
「……ほんとうに、」
「ん〜?」
「、なんでも、ない」
行くのか、といいかけた。
行ってほしくないと言えば、彼女の気が変わってこのまま踵を返してくれるとでも思ったのか。それとも、少しでも足止めが出来れば、彼女が乗る予定だった最終便に乗り遅れ、また少し彼女といる時間が伸びるとでも思ったのか。けれど、彼女が軽やかに前を歩くものだから、思わず口をつぐんでしまった。最後の最後に、彼女の悲しむようなことはできなかった。

発車のベルが鳴って、名前は見送りに来た人たちへ別れを告げてもう人の少なくなった電車へ乗り込んだ。指定席へ座ると窓を開けて、今度は自分の親と別れの挨拶。涙ぐむおじさんとおばさんにまたすぐ帰ってくるわと名前は笑顔を振りまいた。その様子を眺めていると名前と目が合った。
「承太郎くん」
呼ばれて近づこうとすると、電車は無情にも動き始めた。少しずつ、少しずつスピードを上げる電車。近づこうと彼女の方へ歩いているのに距離は縮まるどころか段々と離れていく。とうとう走り初めているのに、距離は離れるばかりだった。駅の端まで走りきったあとはもう泣きそうだった。口を開くと涙と嗚咽といかないでと言ってしまいそうで帰りにも一言も喋ることなく、自室へ戻った。このまま寝て、忘れてしまおうと着替えるとこも忘れて布団へ潜りこんだ。
潜りこんだのはいいが、どれだけ経とうとも、一向に眠気は来ず、いや寧ろ、眠気が来るどころか名前のことが次々に思い出され目は冴える一方だ。ああ、なんだってまだ婚約をしただけの男の所へなんか行ったんだ、俺との方が付き合いは長いのに、俺が生まれてすぐから一緒なのに。思って、はっとした。
そうか、これが恋だったんだと、今になってようやく分かった。
初恋と失恋がいっぺんに来たように思えて、せめて間を空けて来てくれればよかったのに。瞬きをした瞬間涙が零れ、その時やっと自分が泣いていることに気が付いた。あのとき言えなかった言葉を小さく呟いた。いやに部屋に響いた気がして、でも彼女へは届かなくて、余計に涙が更に溢れた。


song:いかないで/歌愛ユキ/想太

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