晦冥に沈む**
『贄の儀は決してするんじゃないぞ』
暗闇の中に座り“父”は言った。
その言葉に俺は獲物の首に噛み付いていた牙を抜いて『にえのぎ?』と首をかしげた。それは初めて聴く言葉だった。俺はまだこういう風になって日が浅く、知らないことは星の数ほどあふれていた。
そして“これ”もその一つで、俺の知らないことを父が唐突に語るのはいつも通りで、だから俺はいつものように疑問を疑問として問い返したのだ。
闇の中で父が足を組み替える。
長い彼の足元には息絶えた獲物が横たわっていた。暴食の気がある父は獲物にとって致死量の血を吸ってしまうからすぐに死なせてしまうのだ。渇かぬ飢えを満たすように、父は多くの獲物の皮膚にその牙を突き立てる。
そうしてその暴食の気は子でもある俺にも微小ながら受け継がれていた。
満たされない。
決定的に満たされないのだ。
だからついつい食べ過ぎてしまう。
瑞々しい子どもの血を吸っても、可憐な少女の血を吸っても、艶やかな美女でも、端整な形をした美男子でも、処女だろうと、なんだろうと。常に俺たちはいまいっぽ満たされずにいた。
『どんなに餓えていても、贄の儀だけは、絶対にするな』
疑問に帰ってきたのは解答ではなく、命令であった。
普段なら明確な答えをくれるのに珍しいこともあるのだと思ったのを覚えている。低い玲瓏な声。俺たち子にとって“父”の言葉は絶対だった。だから頷く。疑問はいまだに頭の隅で答えを求めてぐるぐるしていたが、俺はとりあえず父の言葉に頷いた。
『あれは呪いだ』
父の言葉に重ねるように、足元から呻き声が聞こえた。耳障りだ。父もそう感じたのだろう、美しい柳眉を歪めて『お前はいつまで経っても食べるのが下手だな』と嘆息混じりにこぼした。
そう言われて俺は反射的に獲物の首をねじ切り絶命させる。すると今度は『血を吸いきる前に殺してどうする』と呆れられてしまい、なかなか上手くできないものだとへそを曲げたくなった。十と一の狭間がこんなに難しいとは思わなかった。なんだかやさぐれた気持ちになった俺に気が付いたのだろう、父は今度は『時間なんていくらでもあるんだから、これから出来るようになっていけばいいだろう?』と温度を持たぬ体で温もりのある瞳をして言った。
それもそうかと開き直る俺に苦笑して、父は再び呪いの続きを語りだす。
『贄の儀とは、別名“死の契り”とも言われている』
『死…?』
『そうだ。死だ。俺たちに一番遠い存在でもある死のことだ』
死の契りなんて大層な言われようだ。
なぜなら父の言う通り俺たちは死なぬわけではないが、他の生き物よりは圧倒的に死から程遠い場所で生きている。たしかに弱点はいくつかあるが、そのどれもが人間の思うような死を俺たちに与えることはできなかった。
太陽の光を浴びれば体力を奪われ動きは鈍る。心臓に杭を打ち込まれれば痛みを感じるし他の傷よりも治りは遅い。首を斬り捨てられれば溢れ出る大量の血に貧血になる。けれど、それだけだ。そのどれも直接の死へとは繋がらない。
では一体、どうすれば俺たちは死ぬのか。
不死身と言われる俺たちにもちゃんと“死”は用意されている。この世界で、無限に生き続けられるものなど何一つとして存在しないのだ。
俺がまだ人であった頃、通り過ぎる景色のようにそれを見てきた。
俺もまたその景色の一部になるのだと思っていたときに父に出逢い、そして俺は父の子となった。そんな過去を思い出しながら、俺は父の言葉の続きを待った。
『だからこれは呪いなんだ』
父は再度言った。
『下等な生物と寄り添いたいと願ってしまった憐れな吸血鬼の、懇願にも似た呪いだ』
闇が、優しく俺たちを包み込む。
俺は、なにも言葉にしなかった。
ただ誰よりも夜が似合う父を見つめながら、父の浮かべる表情を目に焼き付けながら思うのだ。
『そんな呪いに阿保なお前は罹ってしまいそうで、俺は怖いんだよ』
そう呟いた父のほうこそ、その呪いを本当は望んでいるようだった。
けれどそんなことを言えるはずもなく、俺はやはりなにも明確に語ってくれない父の言葉に『大丈夫だよ』となんの根拠もなく頷いた。
まさか父の言葉通りそれに罹ってしまうとも知らずに、俺は父を安心させるために笑った。
◆
俺たち吸血鬼は綺麗なモノが好きである。
無限にも思える長い時間を生きるせいか、鑑賞するに値し、飽きるほど存在する時間を埋めてくれて、こちらを没頭させて時間を消費させてくれるモノをいつも求めている。いつまで見ていても飽きない美しさ。見れば見るほど、時が経てば経つほど深みを増し美しさを極めていく。
たとえその美しさが俺たちからすればほんの一瞬で終わる瞬きのような刹那の間でしか存在できないものだったとしても。それでも何もないよりはマシなのだ。代わり映えもせずただ淡々と続く日々は味気ない。死ねるけれど、死ににくい俺たちは死の恐怖にさらされることもないので、恐ろしいほど日々の刺激に餓えていた。
そしてそんな俺たちの刺激に対する餓えを少しでも満たしてくれるのが綺麗なモノなのだ。綺麗であり、自分が気に入ればなんでもいい。人でも物でもなんだって。俺たちは刺激を与えてくれるモノには貪欲だ。どんな手を使ってでもそれを手に入れる。そして自分が飽きるか、それが朽ち果てるまでずっと手元に置き続けるのだ。
けれども、こんな展開は望んでいなかったと、薄い皮膚に牙を立て血をすすりながら俺は思うのである。
ツプリと音をたてて牙を食い込ませたそこから溢れ出てくる鮮血を舌先で舐めとる。その途端なんともいえぬ甘美な味が舌先から広がり、痛いほど唾液が溢れ出してきた。暴力的なまでに血を吸い上げたくなる自分を抑え、開けた穴から鮮血を口に含み嚥下する。喉を通って血が胃に落ちていくたび俺の頭は痺れ、尾
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骨のところから背筋を指先で撫でられているような感覚に肌が粟立った。その隠しようのない快感に、添えていた手に力が入り鋭い俺の爪が肌に食い込み傷をつける。そこからも芳醇な香りが漂ってくるものだから俺の頭はどんどん馬鹿になって仕方がない。
一心不乱に血を啜る俺の頭に手が添えられた。興奮で湿る髪の間に指を差しこまれる。地肌に触れる指先は人にしては冷たさを保っていて、けれど火照る体にはその温度差が心地よかった。数回地肌を撫でた指が移動して、今度は首筋を撫でられる。冷たい指先が、俺の熱を吸い上げていく。
「なんかい見てもいやらしいですね」
顔にかかる髪の毛を指先ではらわれる。
露わになった俺の顔を満足気に見下ろして、男はひどく丁寧な口調でそう言った。男がこう言うのは毎度のことなので、俺はその言葉を黙殺する。黙殺して血を啜り続ける俺に男は笑う。
牙を立てた肌は女が嫉妬しまいそうなほど白く美しい。けれどそれは病的な白さではなく、ちゃんとその下に血液が巡っているとわかる健康的な白さだ。なにものも寄せ付けないその純白が、俺だけを受け入れてくれるという倒錯的な充足感に血を吸っているとは違う理由でクラクラした。
「そんなに味って変わるものなんですか?」
この血のように甘さを含んだ声に聞かれて俺はひときわ大きな音を立て吸い上げた。美味しい。ただそれだけの感情に支配される。男の血液はどこから飲もうが甘美で美味なことに変わりはないが、やはり足の付け根から飲むそれが一番の鮮度をもって俺を潤してくれる。
本当は心の臓から直接飲みたいのだが、それをするとただの人である男は死んでしまうので我慢する。
「……はぁ。本当にいやらしいですね、アンタって」
ゴクリ。喉がなる。
それは俺が血を嚥下した音なのか、それとも男の喉仏が動いた音なのか。熱に浮かされた俺には判別ができなかった。
それでもそんな状態の俺でも分かることがある。口つけていた肌から口を離し、こちらを見下ろして微笑み男に言い返す。
「 …いやらしくない」
むしろ、いやらしいのはお前のほうだ。
美しいモノを好む俺たち吸血鬼は美しいモノを求めるだけの美貌を兼ね備えている者がほとんどだった。つまり吸血鬼には美男美女が多いのである。かくいう俺の父も目をむくほどの美男であった。というか、美形の多い吸血鬼のなかでも一番と評されるほどの美貌を持っている。
けれど、俺は違う。
昔の日本人の特徴を持った低い身長に、胴長の体。彫りの深い西洋の顔立ちとは違うのっぺりとした顔はお世辞にも整っているとは言えない。吸血鬼は、自分の子を作るときもたいがいは美しい形をした人間を選ぶ。故に同胞たちは美男美女で溢れかえっている。
だけど吸血鬼界で一番の美貌とうたわれる父は同様に、吸血鬼界で一番の奇特者としても有名だった。彼の審美眼は許容範囲が凄まじく広く、よく知れぬ部族の人形でさえ美しいと顔を輝かせる。そしてそんな父の傍迷惑な審美眼の広さにより俺は彼の子となったのである。
だから俺は分かっているのだ。あまり需要のないほうに振り切れた父の審美眼により選ばれた俺の容姿が美しさからはかけ離れていると。
美しいというのは、父や、いま俺を見下ろしている男のことを言うのだ。
「…あぁ、またすぐにそんな顔をするんですから」
「…ん」
「誰がなんと言おうと、アンタはいやらしいし、綺麗ですよ」
口の中に指を突っ込まれて喉奥を押される。
そうするとわずかな吐き気が登ってきた。俺がえずけば男は喉奥から指を離すとこんどは鋭く尖った犬歯に指を当ててる。そしてそのまま指先にぐっと力をこめて犬歯に押し付けてきた。そうすればいとも簡単に俺の犬歯は男の指先の皮膚を突き破り新たな鮮血を溢れ出させる。その香りにたまらなくなって指先に舌を絡めてしゃぶりつく。やはり、男の血はどうにかなってしまいそうなほど美味だった。
「あの頃となにも変わってない」
口のなかから指を引き抜かれる。追いすがるように舌を伸ばせばその舌を男の口のなかに食べられた。入り込んできた男の舌に、男の血の味に染まった口内を舐めまわされる。血の味のする口付けに興奮する。唾液を流し込まれて血の味と混ざった。口の端からこぼれ落ちた混ざり合った液体を、こぼすのは許さないとばかりに男は指で拭うと口の中に戻してくる。舌と、指と、血と、唾液と、色んなものが混じり合って俺は満たされる空腹と溢れ出てくる快感に蕩けていく。
俺の口内を堪能するだけ堪能した男は口を離すと、熱を含んだ声で語りだす。
「この体も、この声も、俺を虜にしたあの時のアンタのままなにも変わってない」
「んっ…、おまえは、変わったね」
父にも負けぬほど、美しくなった。
あどけなく俺を見上げていたのにいつの間にか俺を見下ろすほど大きくなったし、まぁるい宝石のようだった瞳は研ぎ澄まされた。鈴のように高かった声は低くなり、夜の静寂のように落ち着いた声で俺を呼ぶようになった。愛らしかった顔は誰もが振り返るほどの男らしい美貌へと変わった。それはもう、人のままにしておくには惜しいほどに。
数十年ぶりに戻ってきたその地で幼かった男を見つけたときは息が止まるかと思った。
陽をはじく白い肌に、濡れ羽色の髪。俺を見上げるその瞳に、俺は一瞬にして惹きこまれた。
あれが欲しい。
だからその衝動のままに俺は人の世界からそれを攫った。
欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる。そんな強欲な血が確かに俺のなかにも流れていた。
宝石のようだった子どもは初めは惚けたようにその美しい瞳で俺を見ていたが、やがてその愛らしい顔に同様の笑みを浮かべて俺を受け入れた。
美しい子。いままで見てきたどの人間よりも美しく愛らしい子ども。誰の目にもつかぬところに閉じ込めて永遠に愛でていたい。きっと同胞たちがこの存在を知ったら欲しいと口を揃えて言うだろう。生きた宝石に、彼らは目がなかった。
そんなの駄目だ。だってこれはもう、俺のものだ。
父にだってあげられない。唯一の宝石。
「歳を取って、醜くなりましたか?」
惚れ抜いた美貌が悪戯に笑う。それにさえ俺はうっとりと見惚れる。
見惚れたまま、ありえないと首を振る。男は、歳をおうごとに美しくなっていった。使い込んだ物に独特の味と雰囲気がでるように、男の美貌は深みを増し生きただけの経験がなんともいえぬ色香を漂わせていた。
これではどちらが本物の吸血鬼なのか分からない。側からみれば男が吸血鬼で、俺のほうが隷属のように映るだろう。
「まさか。お前が醜いなんてありえない。今も昔も綺麗なままだ」
「それなら良かった」
満足気に笑う男に体が震えた。
素肌をさらして男の前に座る俺の背筋を犬歯によって傷つけられた指先でたどって鮮血をすりこまれる。口からは強請るような吐息がもれ、逆らえぬ快感が背筋から広がった。吸血鬼にとって食欲と性欲は常に紙一重に存在する。どちらかを刺激されれば、必ずどちらかが引きずり出されてしまうのだ。
「舐めて。これも好きでしょう?」
「…ぁ、すきっ」
「本当にいやらしいですね、アンタは」
背骨を辿ってきた指先が俺の首の裏を捉えて少し反応を見せている男のモノに誘導する。そのすぐ横には俺に空けられた二つの小さな穴があって、綺麗な赤が浮かんでいた。血の匂いと、男の色濃い性の匂いに俺は馬鹿みたいに舌を突き出して男のモノに頬を擦り付けていた。
まだ硬くなりきれていないそれに何度か頬を擦り付けて、俺は男の言う通り舌を這わせて舐めだした。
片手で男のモノを持ち上げ、裏筋を舐め上げる。その際つめ先で尿道の入り口を刺激するのも忘れない。カリカリとつめ先で刺激されるのが好きな男は美しい柳眉を寄せて快感に耐えるように鼻にかかった息を漏らした。
その反応に俺の気分はいとも簡単に上昇していく。陰毛に隠れる玉にも舌を伸ばし、たまに唇ではんでやる。口の中に陰毛が入ってきたが、それさえ気にならなかった。むしろその茂みのなかに鼻をつっこみ匂いを嗅ぎ出す俺に、頭上の男が「変態」と吐息で笑った。それさえも、いまの俺には快感へと繋がっていく。
「はじめてアンタが俺の前に現れたとき、運命だと思ったんです」
「ん、ん、…ふぁっ、うん、めい…っ?」
「そう。運命。恥ずかしすぎて笑っちゃうでしょう?」
「…んぁあっ!」
いきなり乳首をつねられて大きな声が出てしまう。
驚きに口から飛び出た男のモノがペチリと頬を叩いた。
「でもそう思ってしまったんです。『あぁ、この人が欲しい』って」
伸びるわけないのに乳首を引っ張られて上体が落ちていく。眼前で揺れる男のモノは見事にそそり立ち、先端から先走りを流していた。流れるそれを舐めようと舌を伸ばすけれど、男が乳首をいじってくるものだからうまく舐められない。
「そう思ってたらアンタは俺を攫ってくれたでしょ?アンタも俺と同じことを考えてくれてたんだって思って感動しました。それでますますアンタが欲しくなった」
「あ、あ…っ」
「さすがにアンタが人じゃないって知ったときはびっくりしまたけどね」
「あぁぁぁあっ!」
ついにぬかるむ穴に男の指が入ってきた。
狭い肉壁は男の指の来訪を喜ぶようになんども伸縮をくりかえす。まるでそこからも男の血を堪能しようとするかのように。
一本だった指はすぐに二本に増え、くぱりと二本の指で穴を広げられる。流れ込んでくる冷たい空気に穴を埋めて欲しいと体が叫ぶ。
お腹がすいた。寒い。埋めて欲しい。飲みたい。お腹いっぱいに。満たして。突いて。美味しい。食べたい。綺麗だ。…俺だけ、の。
嵐のように感情が暴れだす。
「だから大変だったんですよ?アンタを殺す方法を見つけるの。陽の光でも、心臓に杭を打っても、首を斬り落としても死なないなんて卑怯ですよね」
聞かせる気があるのかないのか分からない独白は、食欲と性欲に昂ぶる俺に構わず続けられる。
「アンタに直接死に方を試すなんてできないですしね」
「んぁっ、あ、あ…っ」
ぐちゃぐちゃとなかをかき混ぜられる。
なのに感じて仕方がないところは触ってくれない。そのもどかしさに勝手に腰が動いてしまう。 俺の顔は涙と涎と男の先走りでどろどろだった。
「それにアンタは特殊だから余計死ににくいときてる」
そう言って男は後ろの穴から指を引き抜いた。それにさえ感じ入った声を上げる俺の頬を撫でて男はうっそりと口元を歪める。
凄絶なまでの色香を纏う男に、俺の目は否応なしに惹きつけられる。
どんなに美しいと言われる人間も、美術品も、宝石も、この男には敵わない。俺の凪いだ感情を揺るがしてくれるのはこの男だけだった。
「だからアンタに俺の肉を食べさせて、俺もアンタの肉を食べたんですよ」
そして真名を呼んであげた。
低い声が流し込まれる。その時のことを思いだして一際大きな震えが体を襲った。その震えがどの感情からくるものなのか、それさえ分からずに俺は体を震わせる。
男は、あっという間に成長した。
あどけなさを脱ぎ捨てて、人であるのに俺たちのような貪欲さと強欲さを大きくなった体のうちに宿し、生物として絶対的に差のある俺に対して牙を剥いた。
いったい誰が熊に兎が牙を剥くと思うだろうか。
脱兎のごとく逃げるのではなく、絶対的弱者だと思っていた相手に反撃されて、ましてやその反撃が深く治ることのない致命傷を与えるなんて。
きっと誰も、想像しなかった。
「そのお陰でアンタは俺なしでは生きられなくなった。“贄の儀”をすると吸血鬼は儀式を交わした相手の血液しか受け付けなくなってしまうから、俺が居ないとアンタは血を吸えなくて死んでしまう」
楽しそうな男の声が聴こえる。実際に、男は楽しくて仕方がないのであろう。男の言う通り死ににくい俺たちにもちゃんと与えられた死に方があった。それが、『餓え』である。切り刻んでも死なない俺たちの手っ取り早い殺し方が餓えさせるということなのだから、なんだか拍子抜けしてしまうが、命の源でもある血を吸えないと俺たちは生命維持をすることができずに死んでしまうのだ。
だからと言ってそうそう俺たちが餓えに苦しむことはない。
いつの世も獲物は腐るほど存在していたし、悪食で暴食と名高い父が異常なだけで本来吸血鬼はたった一度の吸血で一月は血を吸わなくても平気なのだ。
血の味の好みはあれど、溢れかえる獲物のなかから選んで血を吸えばいいだけの話だから、俺たちは限りなく不死身に近い生き物としていまなお恐怖の象徴となっている。
だけど、これは違う。
“贄の儀”は、絶対に吸血鬼を殺す。
それも一瞬ではなく、時間をかけてじわりじわりと殺すのだ。酷くなる飢餓のなか、餓えて疲弊して憔悴して、美しさとはかけ離れた姿で死んでいく。贄の儀をしてしまえば相手以外の血を吸えない。その相手を吸血鬼から遠ざけてしまえば、すなわちそれが吸血鬼の死へと繋がるのだ。
けれどもその殺し方を知っていても普通ならば実行できない。
なぜならこの贄の儀では互いの肉を食べさせあい、かつ吸血鬼の真名を相手に呼ばせなければ成立しないからだ。貪欲で強欲な俺たちはそれ同じくらい、いやそれ以上に猜疑心が強い。だから同胞内でも決して己の真名を教えたりしない。だいたいの吸血鬼は誰にも真名を告げることなく生きている。
もちろん俺もそうだった。
たとえどんなに心奪われていようとも俺は男に真名を教えるつもりはなかった。俺の真名を知るのは俺を作った父だけで十分だったから。
なのにあの日、俺の肉を噛みちぎり自分の肉片を俺に食わせた男は当たり前のように俺の真名を呼んでみせた。その瞬間贄の儀は成立し、後に残ったのは満足気に微笑む男と、そんな男の血でしか生きられなくなった俺だけだった。
ーーーこれで本当に俺だけのモノですね。
出会ったばかりの頃の純真さで微笑まれてとんでもないモノを攫ってしまったと思っても後の祭り。儀式を交わしてしまったからか以前にも増して愛おしさが増した男に俺は下り坂を転げ落ちる石のように堕ちていった。
「俺が居ないと死んでしまうなんて、なんど考えてもたまらないですね」
心底嬉しそうに言って、男は俺の体を倒すと仰向けに寝転がらせる。中途半端に昂った体はなんの抵抗もなく男の手に身を任せていた。冷たいシーツが火照る体に気持ちがいい。シーツを握って悶える俺の太ももに男の手が添えられる。血管をたどるように撫でられて、脚を大きく開かれた。男を見上げればニコリと微笑まれる。その笑みはいっそ恐ろしいほど無邪気だった。
俺はそんな男の笑みから目が離せない。タールが濁る瞳は俺たちが生きてきた闇よりも深い。愛してやまない男の、愛してやまない夜を纏った瞳に喜べばいいのか、嘆けばいいのか。
これは呪いだと父は言った。憐れな吸血鬼の願いが呪いとなったのだと。添い遂げたいと願ってしまった、交わらぬ種族の呪いだと。
ーーーあぁ、たしかにこれは、“呪い”に違いない。
ぼんやりと思考を巡らせる俺の穴に灼熱の塊が押し付けられた。最初は穴に先端をなんどか擦り付けて、そしてそれはゆっくりと中へと入りこんでくる。
まるで体のなかから焼かれているようだった。体の中から押し広げられる圧迫感に、なんど行為を重ねても慣れることはない。喘ぐように空気を吸い込みシーツを握りしめる俺に男はただ笑みを深める。
「ちゃんと俺と死んでくださいね」
そう言って笑う男は俺たち吸血鬼よりも貪欲で、強欲でーーー美しかった。
END
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