亡国の空

 ※少しだけグロい表現がでてきます。苦手な方はご注意ください。







 「お呼びですか、陛下」

 無駄に広い空間に、男の低い声が反響する。
 この空間にいるどの人間よりも深い響きをもったその音に、自然と俺の眉間にしわがよった。子供みたいな自分のものとはまったく違う。成熟しきった大人の男の声にどうしようもなく神経を逆撫でされる。何から何までこの男は俺の劣等感を掻き立てて仕方がなかった。
 眼下で俺よりはるかに恵まれた体躯を丸め跪いて頭を垂れる男に俺は白けた気分になりながら明後日の方向を見つめ言葉を落とす。
 いくら男の方が俺よりも恵まれた体躯と才覚、はてや容姿を兼ね備えていたとしてもこの空間では俺が王だ。
 この国で俺より地位の高い人間はいない。
 かつては、俺がまだ王子であるときは国の頂点は俺の父であったが、その父は寒い夜に暗殺者によって殺された。冷たい外気のようにその身を冷たくし、おぞましい紅色のなかに浮かんでいた。
 未来を見据えたその両目は血走り、なにもない虚空へと向けられていた。
 優しく、民思いで賢王と言われた父からは想像もできない死に様に次は俺の番だと恐怖した。
 あれだけ民にも臣下にも慕われていた父でさえこんなふうに死んでしまうのだ。
 その思いはとてつもない恐怖となって俺の精神を縛り付けた。いますぐにでもこの空間から逃げてしまいたい。そう心は叫んでいるのに、俺にはそれができない理由があった。それでも体は正直で父の遺体を前に後ずさる。そんな俺の背中になにかが触れた。
 硬い感触に背後を振り返れば息を呑むほどの美貌をまとった男が俺を見下ろしていた。
 目の前で国の王が死んでいるというのに、男の表情は平素とまったく変わらない。
 父の前に謁見していたときとなんら変わらない様子の男が、恐ろしいほど静かな瞳で俺を見下ろしていた。慌ただしく駆け回る周囲に反して俺を抱きとめる男のあまりにも凪すぎている瞳に身体中の毛が総毛立ったのを覚えている。凄惨な現場から俺を遠ざけるように俺の腰を抱いて移動させながら、男は恐ろしいほど静かな声で周りに指示を飛ばしていた。
 その場で俺に次ぐ地位にいたのは男だった。
 だからなにも言わない俺の代わりに、周りの人間は男の言葉に従う。
 力強い腕に攫われるように父の寝室から遠ざけられる。流れるように父の寝室へと駆け込んでいく臣下たちを横目に呆然とする俺の耳に、男の低く熱のない声が入り込んできた。

 ーーーこれで、次の王は貴方ですね。

 「陛下?」

 「…っ」

 過去に飛んでいた意識が、あのときと同じ声によって引き戻される。
 逸らしていた視線を男に向ければ、空を溶かしこんだような蒼い瞳が俺を見上げていた。彫りの深い端整な顔に、数本の髪の束がかかりなんともいえない色香が男から匂い立つ。その顔を支える首に繋がる体も鍛え抜かれ鋼のような筋肉に覆われている。けれど男くさくなり過ぎない気品が男には兼ね備えられていた。ゆえに男に熱をあげる女性が後を絶たなかった。
 国を統べる俺よりも男の顔の方が知られているかもしれない。そんな自嘲の思いが胸にあふれる。
 臣下や国民の本音をのぞけば、きっとみなが俺よりも男を王にと思っているに違いない。
 俺だって、俺のような凡庸な人間に国を導かれるよりも、男のような人間に導いてもらいたいと思うだろう。だけど現実世界では俺がこの国の王であり、みなが王であれと望んでいる男は誰よりも俺が王であることを望んでいる。 
 血塗られたあの夜も、男がまず望んだのは俺が次の玉座に座ることだった。
 なぜだ。
 なぜそんなにも俺をこの責任だけが重くのしかかる椅子に座らせようとするのだ。
 誰もが望む絶対の権力を得られるこの椅子を狙っている人間はうんざりするほど周りにあふれている。王座を狙って、もしくは国の崩壊を狙って常に誰からか命を狙われるこの位置を望む気狂いはたくさんいるのだ。
 なのに男は望まない。
 耳に痛い静寂のようにひっそりと俺に付き従う。
 こんな重圧なんて欲しくなかった。本当は五つ上の兄が継ぐはずだったのに、兄は父が暗殺される前の年に謎の病で斃れ死んでしまっていた。いまだに血縁で縛られたこの国では王族の血を引く人間しか王にはなれない。一夫多妻制だったのに愛妻家であった父は妃である母以外の女性をそばにはおいていなかったから、必然と王族の血を引く人間の数は少なくなる。姉と妹は別の国に嫁いでいってしまった。そうすると残るのは兄と俺だけだ。
 幸いなことに長兄は賢王である父の血を濃く受け継いでおり、これからもこの国は安泰だとみなが思っていた。もちろん、俺も。
 だけど兄は死んだ。
 日に日に痩せ劣り疲弊していく兄は国の希望を背負って死んでいった。
 そうして残されたのは、なんの才能もない凡庸な俺だった。
 
 「いかがなさいましたか、陛下」

 「…べつに、なにもない」

 兄が国を治めるものとばかり思っていたのに、いまでは俺が『 陛下』と呼ばれるようになっていた。
 死人が国を治められるわけがない。そんなことは分かっている。分かってはいるけれど、こんな重責望んでなんていなかった。そもそも俺は国を治める器ではない。血縁なんてものに囚われるから俺みたいなやつが国を治めなければいけなくなるのだ。
 古い風習なんて地に捨てて、相応しい王を選ぶべきだ。
 ーーーそう、たとえば、いま俺の前で膝をついている男のような人間を。
 すぐに後ろ向きになってしまう気持ちを押し殺す。どれだけ俺が嫌だと思っても、俺はもうこの椅子に座ってしまった。いまさら嫌だと逃げ出すことなどできない。逃げ出せるほど俺が座る椅子は安いものではないのだ。なぜならこの椅子には多くの人間の命がかかっている。資源が豊かなこの国を狙っている国は大勢だ。つねに他国の動きに神経をとがらせて、フラッシュバックする父の死に様の恐怖に震え、すぐそばには自分よりも王の器に相応しい男が使えている。
 
 (気が狂いそうだ)

 こんな形だけの王に頭を下げる男の気が知れない。
 傀儡と化した王を掲げる臣下たちの心の内を考えると消えてなくなりたくなる。
 たった一度、この椅子に座っただけで全てが変わってしまった。
 まるで呪いの椅子だ。そう心の内で自嘲して、俺は男を見下ろした。
 男は変わらず凪いだ瞳で俺を見上げていた。

 「隣国の動きは、どうしている?」

 たとえこの椅子が呪いの椅子でも、俺はこの身が朽ちて命が尽きるまで呪いのような役目を全うするしかないのだ。





 燃えている。
 あらゆるものが、燃えている。
 人々の怒号も、悲鳴も、なにもかもが、赤い炎へと呑まれていく。
 布や木材に燃え移った火は恐ろしいほど燃え広がり煌びやかだった空間を灰に変えていく。赤い炎と、黒い煙が蔓延する空気は熱気をおび服の上からも肌を焼くようだ。酸素を吸って大きくなる炎のせいで息を吸うのもやっとの状態だった。
 いったい何が起きているーーー?
 いや、なにがだなんて分かりきっているではないか。
 燃え盛る炎の向こうから聞こえてくる金属のぶつかり合う音や悲鳴が全てを物語っている。俺は信じたくないと思う気持ちをなんとか抑え込んで、手のひらの中にある剣を握り直した。ここまできて現実を受け入れないのは愚の骨頂だ。
 どうしようもない現実が、いま俺の目の前には広がっている。
 広がる現実、それはいまこの城が何者かによって襲われているという最悪なものだった。
 どこだ?どこから敵はこの城に侵入してきた?
 どこからにしても、きっとすぐにやつらはこの部屋へとやってくるだろう。
 おそらくこの場所も知られているはずだ。
 でなければこんなすぐそばにまで火の手は広がっていないはずだし、城の内部にあるこの場所で戦いに身を投じる音が聴こえてくるはずがないのだ。
 覚悟を、決めなければ。
 近づいていくる喧噪に俺の緊張は高まっていく。
 剣を握る手が緊張で震える。俺は昔から戦いというものが苦手だった。剣の腕もお世辞にも上手いとは言えないし、なにより俺は戦場に出たことがなかった。
 初陣を迎える前に兄と父が死んでしまい、戦場に出ることなく王となったからだ。
 そんな俺がはじめて迎える窮地というものに立ち向かえるのか…。不安は尽きなかったけれど、どうにかするしかない。
 扉の前で警備をしていた彼らは大丈夫だろうか。
 他の者たちは、そしてーーーあの男は。
 警備の者に隠れていろとこの部屋に押し込められたが、その部屋にさえ火の手が回っているいま彼らの安全が気になって仕方がない。彼らの剣の腕は俺なんかよりもはるかに上だけど、この異常な状態が俺の不安を掻き立てる。
 王が斃れれば、国も斃れる。
 国民が居なければ国が出来ないように、王が居なければ国は成り立たない。
 だから俺はここで斃れるわけにはいかないのだ。俺の命はもう、俺だけのものではなかった。
 炎が燃える。唸りをあげていまにも俺を呑み込まんと大きな口を開けている。
 煙で目はかすみ呼吸もままならないし、炎の熱気に汗が噴き出す。不鮮明な視界の中で、俺は一人剣を握りしめ周りへと意識を集中させた。
 喧噪は鳴り止まない。
 それどころかその喧噪は近づいていくる一方であるし、こちらが優勢なのか、それとも攻めてきたほうが優勢なのかも分からない。はたして自分は生き残ることができるのかーーー。最悪の未来に押しつぶされそうになりながら俺は炎の海を凝視し続けた。
 そうしてしばらくしてすぐそばで誰かが絶命する音が聞こえてきたかと思えば、何かが炎の海から転がってくる。ゴロゴロと音を立てて転がってきたそれを見て、喉奥で悲鳴がからまった。苦痛と恐怖に見開かれた目が俺を見上げる。本来なら俺より身長が高いのに俺を見上げるそれは、胴体から切り離された警備兵の首だった。
 さきほどまで生きて俺を見て、俺をこの部屋に連れてきてくれた警備兵の生首が、眼前に転がっている。

 「…っ」

 足元から急激に這い上ってくる恐怖に胃が痙攣を起こし、吐き気に襲われる。
 人の生首を見るのはもちろんこれがはじめてのことだった。心なしか人体の焼ける匂いまでしてきて、俺はついにその場に膝をついてしまう。そんな俺を、警備兵の首が見つめる。ここが戦場であるのだといやでも思い知らされる。
 恐怖に膝をつく俺の耳に、大理石の上を歩く靴音が聞こえてきた。
 ごうごうと燃える音に紛れて聞こえてくるその音に俺は身を硬くした。
 カツ、カツ、カツ…。
 その音はどんどん近づいてくる。
 剣の柄を握りしめ、俺は音の方を睨みつけるように見つめた。
 やがて炎の向こうに人型が浮かび、人型は俺の目の前で見慣れた姿に変わる。
 そして現れた男の姿に、俺は安堵を抱くよりも恐怖と疑問を覚えていた。
 その男は炎のなか床に座り込む俺を見下ろす。その表情は、やはり平素となにも変わらない。煙の煤で顔は汚れているが、それでも男の美貌は損なわれていなかった。
 そんな男が、血濡れた剣を片手に近づいてくる。

 「陛下、ここにいたのですね」

 「ヴェルガ…」

 呆然と臣下である男の名をこぼして近づいてくるのを見つめる。
 この国の誇りである白色を脱ぎ捨てたヴェルガは、敵国である隣国の黒をその身にまとっていた。どうしてお前が、その色に身を包んでいるんだ。
 混乱に言葉をなくす俺の前にヴェルガがやってくる。見上げた男は、やはり何を考えているのかまったく読み取らせてくれなかった。

 「お怪我はないですか?」
 
 「ヴェルガ、なんで」

 「…あぁ、良かった。どこにも傷はついていないようですね」

 「ヴェルガ…?」

 俺の前にかがんで傷がないかを確かめてくる男の名前を何度も呼ぶけれど、男が俺の疑問に応えてくれる様子はない。

 「行きましょう、陛下」

 「行くって…?」

 「陛下。この国はもう駄目です」

 静かな声が告げた言葉に俺の全身は凍りつく。
 周りは炎であふれて熱いほどなのに、一気に血の気が引いていき体ががくがくと震えだした。

 「もう貴方を煩わせるものはありません」

 男の剣だこに包まれた手を頬に添えられる。
 いつも温度のない表情ばかり浮かべているから、その体温も同じように温度をもたないのではないか思っていたけれど今俺に触れる手は驚くほどの熱を宿していた。
 蒼い瞳の中で赤い炎が燃えている。

 「…どうですか?ただの人になったお気持ちは」
 
 「ヴェルガ、お前…」

 国を、この俺を、裏切ったのか。

 声にならない俺の言葉を汲み取って、敵国の王族が纏う黒衣に身を包んだ男はその面にはじめて見せる感情をのせる。
 決して変わることのなかった男の表情が変化していく様に、呑み込まれる。







 「ーーーあぁ。これでやっと、私のモノだ」



 赤の中で、歪んだ空が笑っていた。






 END




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