痺れる足に限界を感じながら、茂夫は硯に筆を置いた。
やっとのことでまともに春の字が縦長の半紙に収まったのだ。字の形も払いも手本と比べてとても似ても似付かないが、とりあえず一番マシにできたこれを提出できるだろう。そろそろ授業も終わりの時間、周りの生徒はもう道具の片付けに入っている。焦る気持ちと足の痺れが頂点に達するも、まだ最後の仕上げが残っていた。希望の春と書かれた文字の左側に、影山茂夫と名をしたためるため小筆に持ち替え墨を染み込ませる。すると筆の先が中筆に当たり、それは完成した文字に向かって硯の上を転がった。

まずい。
足の痺れも限界で、思わず茂夫は見えない力を使う。
半紙へ落ちかけた中筆は重力に反してふわっと数センチほど浮かび、きちんと筆置きに収まった。

「あ、危なかった…」
「え…?…モブくん今のなに…?」
「…あ。」

授業終わりの鐘が鳴る。ガタガタと習字道具を鳴らして周りは本格的な片付けを始める。困惑したクラスメイトのナマエの顔に思わず茂夫の手から滑り落ちた小筆は、彼の苦労に黒いシミを付けた。







「モブくんさっきは本当にごめんね…」
「いや…僕こそ驚かせてごめん、あと足…すぐ立てなくて…」

結局、今日提出分の書初めを出し損ねた茂夫は放課後居残ってまた半紙に向かっていた。
ナマエは少しの興味と責任を感じて茂夫の書を眺める。

「あの、ナマエさん、帰らなくていいの?」
「あ、ごめんじっと見てて…」

あのね、とナマエは茂夫を見る。
茂夫は先程使った超能力の事を聞かれるのだろうと踏んでいた。

「モブくん、手首に力入りすぎなのかも。」
「え?」
「手首だけで書かないで、肩から書くと良いよ」
「う、うん?」
「うーんと…ちょっとごめんね」

真剣な表情でナマエは茂夫の背後に回って腰を下ろす。
手借りるよ、と茂夫は言われるがまま右手を彼女に包まれる。
先程足の痺れで立てずにいた茂夫に差し伸べられた時と同じく、彼女の手はやわらかくて暖かい。
後ろから抱きつかれるような状態に思わず強張る茂夫の背中へ「力抜いて」とナマエが囁いた。

半紙に筆が軽く乗って、すぐに斜め左に払った。
そしてまた筆先が黒い尾を引いて滑り、手本のような文字がナマエの腕から伝わって茂夫の手で書かれていく。
クラスメイトの女子に接近された恥じらいで少し力んでいた茂夫の肩の力は、感心で完全に抜けた。

「え…す、すごい」

感嘆の呟きが漏れる。堂々とした希望の二文字を書いてナマエは茂夫から離れた。
茂夫の背中から途端にぬくもりが消える。

「ご、ごめん!なんか図々しく先生みたいに…」
「ううん!ナマエさんすごいよ ありがとう」
「あっ、私そろそろ帰らなきゃ!」

すっと立ち上がるナマエに向ける茂夫の目は尊敬の眼差しだ。
見返すナマエは、少し悪戯に笑う。

「そのかわり、今度さっき筆が浮いたやつ、やり方教えてね!」
「えっ」








◇モブとほのぼの青春 …のはじまり
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