四万打企画 | ナノ


▼ それ鶏だよ

初めてその少女を見た時、私が何を思ったか。

「本当に、あの子を弟子に取るつもりなんですか?無理をしなくても…こっちで修行をつけさせても構いませんし」
「いや、いいや。私が見る。この私の元で日向の術を教えよう」

やけに小生意気な年相応の少女であった。道場をドタドタと裸足で駆けずり回り、修行には不真面目で、口を開けば「ヒアシさん手加減してくださいよ〜」と泣き言を漏らす。大凡かつてのあれとは比べものにならん大きさの「日向の器」だった。しかし同時に、日向の時代やありようも移り変わったのだと、少女や孫であるボルトを見て胸をなでおろしたのも事実である。ともすれば、滅多に屋敷に足を運ばないボルトに比べれば、毎月何回も顔を合わせる少女のことの方が知っていることが多いのではないかと考えることすらあった。
その少女、ナマエは、私のことを決して「師匠」とは呼ばない。「ヒアシさん」と敬称をつけて、ひどくゆっくりと名前を紡ぐ。初めは遠慮もなしにぶら下がってきたナマエが次第に距離を置き始めたのは、きっとある程度を察したからだろう。私たち宗家の者たちが、自分の一族に何を強いて、結果どんな悲劇が起こったのか。その顛末の真相をいくら語り継ごうと、「その他」の、未だ呪印の呪縛から逃れ得ない分家の血筋の者たちが何を思うのかは想像に難くない。それは甘んじて受け入れる自らの罰である。それでもだ。

「ええっと、親戚の……日向ヒアシさん?よろしくお願いしまーっす」

あの日快活な笑みを浮かべた少女に、変わらずあってほしいと願うのもまた、私が一人の人間である証なのだろう。

聡い子だった。生まれてくる時代が少し違えば、恐らくその賢さ故に生き辛い人生を送ることになっていたかもしれない。察しの良さとそれに伴う思考回路の速さは時折ネジを彷彿とさせる。輪郭がぼやけ、シルエットが変わる。経験も技量も足りない弟子の、未熟な技をくらうほど耄碌はしていないが、僅かに体を硬直させられた。才能ではなく、こうあるべしと教えた日向の在り方を忠実に再現する、その愚直さに。また自分は間違えてしまうのかと、時折恐ろしくもなる。

「ぐぉおおお!痛い!あああ絶対折れてるこれ!」
「大げさに騒ぐな。立て」
「暴力反対!」

床に倒れ臥した体を丸めて地面を転がるナマエに、はぁ、と溜息をこぼす。こういうところは全く、歴代のどの日向にも似ていないと思う。常に冷静さを欠くことなく、忠実に任務を遂行する忍者としての在り方、誇り高き日向一族の教えを受け継ぐ役割を持つ我々宗家の人間に、このように喜怒哀楽を消費する場所があったか否かと問われれば、その多くがない、と答えることだろう。
やはり、時代も、人も変わったのだ。これでいい。今の火影が作り出した火の国に、「笑うことのできる日向」がいる。この事実だけで、この僅かな一時私は過去の罪を忘れ、ただの不真面目な弟子に苦労する師としてあれるのだから。

ナマエは、ナマエである。他の誰でもなく、重ねる必要もなく、新しい時代を生きる、日向ナマエだ。
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