生温き宇宙の孕む嫉妬



これのつづき



九式と呼ばれるこのフランクスの性能は、以前私の乗っていた量産型フランクスとは一線を画していた。驚くべきスピード、機動力。それはもちろん動力源となるアルファ君の資質にも寄るのだろうが、とにかく、ステイメンの操作など初の私個人で扱える範囲を大きく逸脱していた。大きく機体が揺らいで落下していくところを、アルファ君のエネルギー調整により事なきを得たのがすでに十回を数える頃になって、ようやく帰投命令が通信の向こうから聞こえた。正直言ってホッとしている。想像したような痛みも苦しさもないので安心する一方で、多分アルファ君は相当機嫌が斜めっているだろうことは明らかだった。初めは「ちょっと」とか「危ないなぁ」とか反応があったのだが、今はギラギラと目線だけで人を殺せそうな表情でこっちを見ている。ひぇー、ちょ、そうは言っても無理なものは無理である…。だから初めに落ちこぼれだって言ったやん…。9'sのエリート様のご希望に答えられる技術など持ち合わせていないことは想像できるだろうに。あ、もしかして想像以上でしたか。なるほどなぁ。
連結を解除し、フランクスから降りて博士の元へ戻ると、アルファ君は開口一番に「無理だ」と言った。

「モホ級どころかコンラッド級ともまともに戦えないなんて…僕でなければ10回は死んでる」
「だ、そうだ。Code:999はどう思う?」
「アルファ君の言う通りですね…はい」
「9'sにただのパラサイトを入れること自体、僕は反対なんですよ。この件、パパはご存知なんですか?」
「もちろんだとも。むしろあいつらの思惑に私が茶々を入れたのさ」
「言葉には気をつけた方がいい、博士」

フランクス博士の言葉にアルファ君の眼光が鋭く光った。

「ならお前は誰と組むつもりだ」
「適当に組みますよ。別に、彼女が特別必要なわけじゃない」
「しかし、今回のデータは稀に見る素晴らしいものだった。フランクスの出力はストレリチアとはいかないまでも、九式の出せる性能の大部分を引き出せていたことは、お前にもわかったはずだ」
「…」
「必ず必要ではないが…ある時、Code:999の力は9'sにどのような結果をもたらすのか、それには純粋な興味がある…全ては敬愛するパパのため、だろう?」
「…パパがそう仰ったとするならば、僕には拒否権がありませんね」

「よろしい」え…?つまり私は、正式に9'sに配属決定ということだろうか。手続きの続きをしようと博士に言われるがままにいくつかの書類に目を通しサインをしてから、では、これからは9'sの寮の方で生活するように、とおざなりな形で鍵の束を渡された。この中から適当に部屋を見繕って住めばいいらしい。んな適当な。
すれ違いざま、アルファ君からは盛大な舌打ちとともに「とんだ貧乏くじだ」と呟かれた。最初の穏やかな微笑みはどこへ消えたのか、今や常に仏頂面が張り付いている。とはいえ彼についていくしかない私にとっては置いていかれるのは困る。足早に去ろうとする彼の背中を追うことにした。もちろん、去り際に博士に対するお辞儀は忘れなかった。

「アルファ君や」
「それ、やめてくれないかな」
「はい?」
「僕は9'α。別に記号のようなものだけど、Code:999にそう呼ばれると不快な気持ちになる」
「そう言われても9'αって長いし面倒だし…てかCode:999ってのも長くね?毎回呼ぶの面倒じゃない?私のあだ名名前っていうから、こっちで呼んでもいいよ」
「それはひょっとして、Code:998のネーミングかい?」
「だとしたら…何?」
「いや…最近はそんな、仲良しが流行っているようでいいね、羨ましいよ」

ひょっとしてアルファ君は、私が先ほどの試験で死ぬと思っていたのかもしれない。それで、想定外で突然現れた落ちこぼれ野郎に鼻持ちならない気持ちになっているのかもしれない。そうたずねると「よくわかったね」と今度は微笑まれた。こいつ喧嘩売ってやがるぜ。だいたいが私の方が被害者である。先ほど殴られ蹴られたことは忘れてはいない。きっとアルファ君の思考回路はショートしているのだろう。
私はそう結論づけることで理不尽な暴力に対しての怒りを抑えることに成功したのだった。

「少し適性があるだけで平均以下のパラサイトを僕のパートナーにするだなんて、パパはなにをお考えなんだ…?」
「しーらね。私はしーらね」
「ああそれから、9'sの肩書きを手に入れて休日があるなんて考えないことだ、落ちこぼれピスティルさん」
「辛辣ぅ…」
「Code:999のせいで僕らが軽視されるなんてことがあったら」
「アルファ君その生き方辛くない…?」
「なんだろう。僕は君と会って数時間だけど、だいたい、理解できた気がするな」

お、そうかい、やるな。

「…さて、本当に不本意ではあるけど僕は君のパートナーになった。と、いうことはつまり僕には君を活かす責任がある」
「なるほど…できなければ死ねと」
「そういうこと。物分かりがいいとこは悪くないね」

ありがと嬉しいな。なんて言うかボケ。仕返しがてら、廊下でアルファ君に膝カックンを仕掛けたが華麗に躱された挙句足払いをかけられた。尻餅をついた私を見下ろすアルファ君の冷ややかな目線にいたたまれなくなる。まるで背中に目でもついているかのようだった。
とりあえず中途半端な笑みを浮かべて誤魔化して、立ち上がった私はアルファ君に「私、君のこと苦手だ」と正直に言うことにした。ポケットの中にある破片を握りしめる。もう何度も握りしめているせいで、私の右手の手のひらの真ん中には重ねた傷跡ができてしまっていた。「さっき」

「Code:998はいい奴だった」
「へえ、パートナーのために怒るんだ?」

その目は、お前が殺したんだろうと私に問うている気がした。

「違う。ただCode:998は確かに落ちこぼれではあったけど、何も知らないアルファ君に何か言われるほど、ロクでもない奴ではなかった」
「なら君はそのパートナーを殺してのうのうと生きている恥知らずかな?」
「あのデブの分まで私は生きるってことだよ。そんな深い話はしてない」
「詭弁だね。如何にも愚かな人間って感じだけど、僕のことも殺す気かい」
「人が死ぬのを誰かのせいにすんなよ」

Code:998は確かに私を庇って死んだけど、それを私のせいだとは思ってない。それを選んだのは結局のところCode:998自身である。なら、それ以上でもそれ以下でもないのだ。責任の所在の議論など無駄だと、私はそう思っている。

「そっか、Code:999、君は自分が自由だと思っているんだね。全て自分の意思で決めて、自分の力で生きていると」
「ある程度はね」
「ふうん。よく、わかったよ」

何がわかったのかはさっぱり理解できなかったが、とりあえず1つ疑問を解決したらしいアルファ君は今度はゆっくりと歩き出した。その隣の位置をキープしながらも、私はぼんやりとこの無機質な空間の中で一人のような気がした。実際、アルファ君との間にこれ以上の会話が生まれることはなかった。
それから寮について、部屋は、本当に適当に選ぶことにした。左右に誰もいない端の方の小さな一人部屋。実に気楽でいい。
新しいバディとの関係は、あまり良好なスタートとは言い難かった。しかし、これは上の命令、私たち子供には拒否権などない。まだ荷物も何もないベッドだけの部屋の中で、私は慎重に息を吐き出した。





訓練が始まると、意外にもアルファ君は的確なアドバイスを私に施した。

「右に40度修正。それから進行方向に照準を合わせて、そう…そのまま前進」
「こ、こう……」
「フランクスの重心は僕が安定させる。Code:999はただ動かすことだけを考えて。機体落下の恐怖は必要ない。ていうか、それはガーデンで矯正されてる筈なんだけどね」
「自分、落ちこぼれなもんで」
「自慢気にいうことじゃないよ、まったく。さあ、ちょうどコンラッド級一体の任務が入っているし、行ってみようか」
「いやいや、まだちょっとそれは」
「たかだか雑魚一体相手に演習してあげてるだけ、僕って凄くパートナー想いだと思うんだけど?」
「ういっす…」
「さあ、早く僕を動かして」
「だからそういう言い方はやめろって何度も」
「はあ?」

いやなんでもない。本人が気がついていないならそれはそれで幸せなことだろう。いい加減、アルファ君の尻も見慣れてきた。
プランテーションの外部は荒野が広がっていて、基本的に外に出ることはできない。どこから叫竜が出てくるのかもわからないし、人が暮らせる環境ではないからだ。通信機器の向こうから博士が「九時の方向にターゲット確認」と指示を出す。私と9'αの演習にも興味があるのか、サンプリングがてらナビゲーターも務めてくれるフランクス博士。以前ならばありえないことだ。
コンラッド級の中でも小型な個体はレーダーに沿って探すとすぐに見つかった。叫竜はコアと呼ばれる心臓部を破壊しない限り動きを止めない厄介な性質を持っているが、コンラッド級はその中でもコアの位置がわかりやすく一体の脅威度も小さい。よって訓練には最適ということだ。しかしいくら優秀なステイメンと機体があったとしても、それを操る自分が酷すぎて泣けてくる。
九式に搭載されたアマゾンパイクをコンラッド級に勢いよく突き刺した。ぐにゃぐにゃと体を曲げたその個体は次の瞬間大きく肥大化する。コアをつけず嫌な方向に興奮したコンラッド級はフランクスの頭を覆うように噛み付いてきた。視界が遮られてバランスを失った機体が揺れる。

「ぐ……ん…!Code:999!だから、標的との距離は十分取れって」
「ごめん…今、振り払うけど、ちょっとだけ痛いよ、うん」
「はぁ……い"っ!!」

ガン!と岩に頭を叩きつけた。拍子にコンラッド級も潰れたが、悶絶するアルファ君に、悪いことをしたなと思った。一応元そっち側なだけに、どのくらい痛いかは想像に難くないのであった。「この……馬鹿Code:999」ごめん。決して、アルファ君に対する嫌がらせでもわざとでもないので許してください。

「敵を相手にした時は徹底的に。一撃で仕留める技術がないのなら、その分は執拗さでカバーするべきだよ。そういうのだけは得意でしょ?」
「ほんと一言多いなお前…」

機体から降りたと同時に嫌味の応酬で正直辟易しかけていた。言ってることはわかるが付属する言葉の刺々しさだけは許容できん。歩み寄れとは言わんから普通に会話しようぜ…。今日のこともあのあと散々謝ったのだが許してもらえなかった。多分アルファ君は私のことが嫌いなんだろうな。知ってた?ああうん、その通りです。
「それからCode:999は…」とアルファ君が続けざまの文句を言いかけて口を閉ざした。視線がどこか別の方向を向いている。私がその視線の糸を辿った先を見ると一人の少女が立っているのが見えた。鮮やかなピンク色の髪色は不自然に浮いていて、一瞬人間ではないのかと疑った。

「君か」
「…誰?」
「ん?私?」
「そう、君。誰?」
「私は数日前に9'sに配属されたCode:999」
「そう。ボクはゼロツー」
「な、なるほど」
「君は…コイツと乗ってるのかい?」

アルファ君を親指で適当に指差したゼロツー。さん。私は頷いた。すると軽やかな足取りで私の前までステップを踏んで近づいてきたゼロツーさんに、くいっと顎を持ち上げられる。お、おおおう、これはまさかのそういう…。

「普通だ」
「うん」
「何で君が9'sに入ることになったの?」
「それについてはフランクス博士に聞いて」
「ふーん」
「あの…ごめん、ちょっとよくわからないんだけどさ、ゼロツーさんも9'sなの?」
「そうだよ。といってもいつかは出ていくけどね」
「出ていく…?」
「ボクのダーリンを探しに行かなくちゃいけないからね」
「だ、ダーリンとは……?」
「その辺にしときなよ」

間に割って入ったのは意外にもアルファ君だった。「イオタ、君は早くフランクス博士の元へ行くべきだね」口元には先ほどと違って薄い弧が描かれていた。アルファ君の飄々としたその雰囲気に、ゼロツーさんはふうん、と適当な相槌を打ってから、私との顔面距離を一瞬でつめた。ふぁ!?

「Code:999、あれが君のダーリンかい?」
「ふぁ!?」

唇と衝突する間際で避けられて、耳元に寄せられた口からはそんな言葉を呟かれた。ダー…なんて?私はそんな問いよりも美少女との肉体的距離の近さにドキドキしてしまうぞ。なんてこった。親ともこんなに近くにいたことはない。いや、親知らんけど。しかし、立場的には今はどちらかというと、私の方がダーリンポジションなのではなかろうか。支給された9'sの赤いパイロットスーツはやはりステイメンの型と似ていたわけだし、私は実質男であった。ううむ。いやまて、そもそもフランクスに乗るペアイコール夫婦ってなんだ。思った以上に現状に混乱していて、私は手をふわふわと虚空に浮かばせながら慌てていた。ゼロツーさんはそんな私をまじまじと観察しているようだった。
「返答はなしか」

「まあいいや。君はなんだかここのつまらない奴らよりは“人間らしい”かもね。うん、ボクCode:999のこと覚えたよ」
「な、なんかありがとう…。アルファ君、彼女も仲間なんだよね?」
「アルファ君?アルファ君だって?君、そんな呼ばれ方をされてるわけ?」
「Code:999にその呼び方を許したことはないよ。でも彼女がしつこくってね」
「私のことは名前ちゃんってよんでね!」
「絶対やだ」
「あははは!なんだ、面白ものが見れてしまったよ。えーっと名前ちゃん、待たね。次会うときは、ボクのダーリンを紹介するよ」
「ダーリンって?」
「ボクのダーリンさ。会える予定なんだ…多分」
「多分なのか…」

なんだその不確定なダーリン宣言。ハンティングにでも行くのだろうか。そもそも今の時代に夫婦などというものは存在しない。不必要なものを切り捨てたこの世界に、恋愛などという概念はないのだ。男女の間に特別な感情が芽生えるというのは知識として持っているものの、実感は伴わなかった。だからかゼロツーさんの言っていることはひたすら的を得ず、私は首を傾げるしかなかったのだった。
ゼロツーさんはそのまま鼻歌交じりにスキップして去って行く。…フランクスを飛び越えて。なんだあの身体能力。しかし、ゼロツーさんが本当に人間だったのかはさておいて、9'sを抜けるというなら、そうしたらもう会うこともなさそうだと思った。なんとなくだが、ゼロツーさんは私とは違う気がした。

「イオタのじゃじゃ馬っぷりは、僕も手を焼いてる」
「そのイオタってのがなんなのかは知らないけど、アルファ君もリーダー大変そうね」
「ちなみにあれ、パイロット殺しで有名なんだ。知ってた?」
「え」
「彼女と乗って、三回生き残れた人間はいないんだ」
「え」
「死にたくなかったらむやみに近づかない方が身のためだね。ほら、僕の方がよほどパートナー想いでしょ?」

あっという間に無表情に戻ってしまったアルファ君が、自分の髪をくるくると弄りながらそんなことを零すものだから、私はピシリと固まった。パイロット殺しって…まじ?
やっぱりゼロツーさんとはもう会いたくないと思った。
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