すべてを失うための剣
12.すべてを失うための剣
しにたい。
もう、しにたい。
だって、もう。どうすればいいのか、わからないんだ。なにをしてきたのか、わからないんだ。ぼくは。
この剣を、なぜてにいれた。
なぜ、ぼくだった。
ぼくがこの剣をてにいれなければ、ほかのだれかが。ほかのだれかが、かれをあいしたというのだろうか。
ぼくがこの剣をてにいれなければ、かれは、いしのままだった?
なら、なぜぼくは、魔王をころすための剣を、てにいれた。
ぼくは。
なんの。
――ために。
「しねないんです。この体。死ねなく、なりました。どれだけ自分を殺しても、死なないのです。だから、」
「だからといって、そのような無茶を続けてもいいことにはなりません」
「……敵国の兵である私を救い、介抱してくださったことは、感謝しております。捕虜として、私には一兵以上の価値があります。どうぞ、そちらの随意に」
「捕虜になどいたしません。客人として歓迎します。まずはゆっくりと体を休めてください」
「……私は、あなたの敵です」
「あなたが救ったのは、あなたの国だけではありませんよ。あなたが救ったのは
、世界です。あなたは私たちから見ても、間違いなく英雄です」
「……あなたは敵国の王女です。あなたを人質に逃げます。あなたを殺します。なので、死刑にしてください」
「死なないのでしょう?」
「ではどうすればいいのですか。私は。私は、どうすれば」
「英雄と褒められるのは嫌いですか?」
「……僕は世界なんて救ってない」
「では、あなたは何をしたのですか、世界を救った英雄よ」
「うるさい。だまれ。ぼくは、」
ぼくは。
保有量を超えたマナが毒となり、体を内側から掻き回す。苦しさに咳き込み、汗で額に張り付いた銀の髪を、鬱陶しそうに掻き上げる。
まさか。まさか、洞窟に近付いただけでマナに当てられるとは思わなかった。石を飲み込んで、マナの流れや量に敏感になったとは思っていたが、こんなにも乱されたのは初めてだ。
恐らく、マナの保有量が多いものほど、あの洞窟には近付けない。そういう術が施されている。自分はこれからも、あの洞窟に近付く度に、あの身体中を突き刺すような、気を失うほどの激痛に襲われるのだろう。
せっかく。
せっかく、彼の居場所が分かったのに。自分の中にある石に呼応し、再び彼が、目を覚ましたというのに。
もう一度、会えたのに。
「みながあなたを英雄と持て囃し、罪のない精霊を殺したことを罰しないことが、あなたを苦しめるのですか? 死にたいと思うのは、それがあなたが負うべき罰だからですか」
「……」
「私は、あなたが魔王を殺したことを褒めません。ですが、あなたが英雄であると認めましょう。あなたはマナの減少に悩むこの世界を救った、英雄です。それは、認められていい功績なのです」
「……もういい。黙れ」
「お前に何が分かる、ですか? 分かりませんよ。ですが、思うことは出来ます。素敵な人だったのだろうと、思います。あなたが愛した人ですもの。きっととても、素敵な人」
「うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさい」
頭痛が酷い。吐き気がする。苛立ちのまま、手をついて支えにしていた樹木を殴る。
「――っ、くそ……!」
いつも腰から下げている剣がないことを、こんなにも不安に思うのは初めてだ。
艶やかな黒髪を追って行った彼女を、もつれる足で追いかける。
はやく。はやく行かなければ。気絶してから、どのくらい時間が流れた。彼が再びこの世に顕現したといっても、まだ仮復活の状態だろう。ならば、彼が彼女に手荒な真似をするとは思わない。
彼は、優しく、穏やかな人だ。
本来ならば。
人の営みを、自然の鳴動を、静かに見守る存在だ。人を、自然を、やたらに傷付けることなどしない。そんな、人なのに。人は言う。
彼こそが、世界を滅ぼす魔王であると。
「ソル……」
剣を持って彼を追いかけた彼女には、彼がどんな存在に見えたのか。そんなこと、考えるまでもない。
「ソル……! どこだ、ソル!」
深い森のなか、声が響いては消えていく。息を吸う度に、マナに侵されているような感覚に内臓が痛む。いつもこれだ。ただそこにある、生きていくために必要な、空気のようなものなのに、いつもこのマナというものに苛まれる。
足を踏み出す度に、地から体に流れ込む。水を飲む度に、喉から体に染み渡る。ああ、どうして。いつも。いつも。
「あなたは以前、彼の王をどうしようもなく王だった、と言いましたね。国のため、民のため、世のために、我が子のように孫のように慈しみ愛していたあなたを利用するような、立派な王だった、と」
「……ねえ、僕はいつになったら国へ帰れるの?」
「帰りたいですか?」
「……あそこにはまだ、友達がいるんだ」
「それだけですか?」
「心配してると思うから。たぶん」
「それだけですか?」
「……何が言いたいの? いい加減、君の偽善も聞き飽きたから帰りたいとでも言わせたい?」
「いいえ。幼少期から英雄の後継者として、国に、王に仕えることを教育されてきたあなたのことですから、そろそろ王のもとへ帰りたいのかなと思っただけです」
「君は失礼だよね、凄く。そうやって僕を馬鹿にしてる。死んだんだってば。僕が殺したの」
「失礼なのはあなたです。ご健在ですよ。彼の王のご子息は。彼が王位を受け継いだ今、彼があなたの王なのでは?」
「は、あの根性なしのビビリが?」
「ふっ、あははっ」
「……なに?」
「ふふ、いえ。彼の王がどうしようもなく王だった、と言うならば。それでも魔王を殺したあなたは、どうしようもなく忠節な臣下であり、どうしようもなく忠義に生きる騎士であったのだろうなと、思っただけです」
「……」
「あなたは、あなたを裏切ってまで世界を救おうとしたあなたの王のためにも、魔王を殺そうと思ったのでしょう?」
「……は、なにそれ。ちがう」
「では、なぜ?」
「……ころせと、彼が言ったからだ」
「そうですか。それで本当に、いいのですね? そんな意地のために、あなたが愛した人を言い訳にしても、いいのですね?」
「っ……うるさい、うるさい。お前は、じゃあ、お前は」
ふと、開けた場所に出た。草原が風に揺れる。日の光に、キラリとなにがか反射したのを認める。真っ白になった思考のまま、痛む体を押さえふらふらと草を踏み進める。そして、息を詰めた。
剣、だ。
剣が落ちている。己を苛み続ける、あの剣が。彼女がその手に固く握りしめ、持っていってしまった。あの、剣が。
「……ひめさま」
なのになぜ、彼女はここにいない。
彼は、どこへ行った。
「ソル、ソルシエール!」
何度呼んでも、その呼び掛けに答える声はない。大切なのに。大切な、子なのに。誰よりも慕い敬う、あの方の、大切な忘れ形見。
――マギサ様。あなたの。
「あなたさえ良ければ、ずっとここにいてもいいのですよ」
「……戦争には出ませんよ。この国に勝利なんて捧げません」
「構いませんよ。あなたを戦争には出しません。あなたは私の騎士になるのです。私を守りなさい」
「正気ですか」
「あなたはこの国の出身でもなく、高い位など持っていない。しかし、あなたがあげた功績を考えれば、私の護衛くらいの仕事を差し上げても構いません」
「何様ですか」
「それに、あなたは戦争には参加したことがない。魔王が現れるときまで、魔物の討伐に尽力し、人と人とのいさかいに力を貸さなかった。それは、先代陛下のご意志でしょう? 彼の王は、あなたが自国を離れることを見越していたのかもしれません。あなたに魔王を討伐させる。何年越しの計画だったのでしょうね」
「……前から思っていたのですが、あなたは、陛下と懇意にされていたのですか」
「その質問への返事によっては、あなたの意思は変わりますか?」
「……さあ、どうでしょう」
「先代陛下とはお会いしたこともありません。あなたが私を少しでも好きならば、私の側にいればいい。たったそれだけのことですよ」
国が、焼けている。世界が、再び、焼けている。どうして。こんなことになった。こんな、ことに、ならないために、僕は、彼を殺したんじゃないのか。あの、剣で、貫いたのではないのか。
ああ、美しくも、雄々しい翼で空を駆け、その鋭い牙で、爪で、いとも簡単に、人を引き裂く。炎の吐息ですべてを燃やし、翼のはためきですべてを壊す。
なぜ、こんな。つい、数年前までマナの減少に悩まされ、ようやく平常値に落ち着いたばかりだというのに。
なぜ、
「陛下はなぜ、私を不老不死になどしたのか、ずっと疑問でしたが、ようやく分かりました。あれを、殺すためです」
「……そうすれば、あなたの体はマナの増加に堪えきれず、死に至ります」
「なるほど。僕もあのバケモノも、まとめて排除できるって算段ですか。あの狸じじい」
自業自得、だ。
実の息子が隠れてやらかしていることに気付かないで、英雄の後継者なんかにすべてを押し付けて。僕に、殺されて。
ああ、あなたも間違いなく、愚かだった。
「……あなたは、知っていたのですね、マギサ様。だから僕を、ここに置いていた。この国を、守るために」
「あなた以外に、あれは殺せません」
あれは、兵器だ。この敵国を滅ぼすために、僕の故郷が作った、最悪の、生物兵器だ。
赤い空に、ドラゴンが飛来する。
「初めまして、似非英雄」
『初めまして、下等生物』
そもそも、なぜマナがいきなり減少したのか。どうして、精霊である彼を殺さなければならなくなったのか。それは。
あのドラゴンを生かすためにマナを大量に消費したせいで、人類が生きるためのマナを失ったからだ。
ドラゴンを生かし、人類も生き残るための大量のマナを求めた結果が、精霊としての機能を失うほどの大量のマナを注がれ魔王となった彼を殺すことで、彼の肉体を器として留めていたマナを自然へと還し、この世界に満たすため。
――何年越しの計画だったのでしょうね。
そんなの。僕が、生まれる前からの話じゃないか。
『ニンゲンってェヤツは、かくも愚かだ。たかダか戦争なんテもんに勝つために、長らく封印サレていた俺様の死体かラこんなバケモノを作り出シやがった。あげく、マナ不足で世界を滅亡に追いやルたァ。バカだなァ。下等にも程があル。そォだろう、ブレイド?』
ああ、まったくだよ。
――ブレイド。
「お前だけは……ッ僕が!!」
ようやく落ち着いてきた体内のマナの流れに、大きく息を吐いた。周辺のマナを探ると、この辺りだけ薄いことに気付く。なにか、マナを大量に消費する魔法が使われたのだろう。
その結論に至ると、僕は無我夢中に使われた魔法の特定に入った。規模は。種類は。用途は。彼女はどうなった。どこに行った。
生きて、いるのか。
彼女が死んでしまったのではないか。行き着いてはいけない思考に、視界が霞む。呼吸が引きつって、嗚咽がこぼれた。
どうして、こんなことになった。どうして、あのとき。
「ごめ、なさ……っ、マギサさま、マギサさま」
あのとき。僕は。
「あああああああああ―――!!!」
あれを、殺し損ねた。
『なァ、ガドレの名を知ラないか?』
『あいつがいねェと、俺は生きていけないんだ』
『リューグナー』
『――あいしてる』
僕は。
なにも、救えなかった。
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[mokuji]
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