世界を滅ぼす魔王

 14.世界を滅ぼす魔王



 赤い宝石に、血が飛び散る。
 貫いた剣を引き抜くと、倒れる魔王の体を、黒髪の精霊が支え座らせた。

「……お前、なんで」

 まだ息がある魔王と精霊、両方に問い掛ける。
 なぜ。
 先程の一撃、魔王は確かに、わざと受けた。かわそうと思えば、かわせたはずだ。それに。なぜ、この精霊は。こんなにも大切そうに、いとおしそうに、魔王を抱きしめ頬を撫でるのに。
 どうして、なにも。ただ黙って、静かに、魔王がこの剣に貫かれるのを、見ていたのか。

「お前は、本当に、魔王なのか?」

 世界を滅ぼす、魔王。
 そんな風には見えないほどの穏やかさで、塔の頂に立ち、銀髪の男はやわらかく微笑む。

「言ったでしょ。僕こそが、世界を滅ぼす魔王だよ、勇者」
「……俺はそんなんじゃない」
「勇者なんて、そんなもんだよ。君の先代も、先々代も」

 勇者でも、救世主でも、英雄でもない。あれこそが、悪だ、と。
 ――魔王が、嘲う。

「でも、キルディオ。君は誇っていい。ガドレの血を引く子。竜を飼い、最初の化物を育てた血を、千五百年もの間、懺悔してきた血。彼の者の、弟の血。君は、誇っていい。その悔恨を、君は絶った」

 ガドレの血を引く子。その言葉の真意は、俺には分からない。親しい友を想うように語るこの男の言葉の意味を、俺は知らない。この血が、彼に深い縁があるのかもしれないけれど。
 俺は、それを知らない。
 彼の末期の言葉を、俺は理解することが、できない。

「キールニー。もう一度、君に会いたかった。会って、謝りたかった。けど、俺が檻から出たとき、君はもう、竜に関するすべての罪を被らされ、殺されていた。けど、君には弟がいた。リューグナーと同じように。血を繋ぐ弟がいた」

 自分の血に濡れた手を、俺へと伸ばす。俺にはその手を取ることができない。キールニー。どこだったか。
 その名を、聞いた。いや、見ている。どこかで。

「キール、仇は討った」

 ぽとりと、のばした腕が落ちる。ぼんやりとする焦点のなかで、魔王は晴れやかに笑う。仇は、討った。


「――マギサ様の、仇と共に」


 月が美しい、あの夜に。

「え……?」

 マギサ。その名前に、小さな声が聞こえた。妖精が、目を見張る。その小さな声に、魔王はほっと安堵したように息を漏らし、そして、静かに涙を流した。

「ソル。ソルシエール。ごめん。ごめんね。長い時の流れのなかに、取り残してしまった。でも、封印を解く。どうか君だけは、生きて」
「……きみ、は……?」

 妖精が問う。魔王ではなく、己の記憶に。竜の中から解放される、以前の、消えた記憶に。マギサという、名前だけを。それだけを覚えていた、妖精は。
 それが自分の名前だとは、一度も言わなかった。

「ああ……イフェルト。ありがとう、もういいよ。……行こうか」
「……ああ、」

 イフェルト。そう呼ばれた黒髪の精霊は、小さく頷いた。初めて、彼の声を聞いた。優しく、穏やかに、甘く、甘く、血に濡れた銀髪を撫でる。
 そして、精霊は俺を見上げる。

「頼みが、ある。ガドレの血を引く者よ。その剣はもう意味をなさない。この魔王の死によって、魔王は完全に滅ぶ。その剣は後世に遺さず、この世から消してほしい。精霊たるこの身に誓おう。赤い石の魔王はもう、生まれない」

 赤い石の、魔王。額にそれに埋め込む精霊は、それを言う。
 お前は、本当に、魔王なのか?
 銀髪は黒髪と違い、キルと同じ存在に見えた。黒髪が一目で人外と分かる出で立ちなのに対し、銀髪はどこからどう見ても――人間で。
 もしかしたら。銀髪ではなく、この、黒い髪の。

 しかしそれを言う前に、精霊は言う。

「それから、その娘を、頼む」

 娘。それが誰のことなのかを理解する前に、銀髪と黒髪、二人の足元に魔方陣が浮かび上がる。魔王を抱きしめる精霊の肩に、甘えるように黒髪がすり寄る。
 その魔方陣が、移動魔法の類いだと分かり、心臓が跳ねた。

「待て、どこに――お前は、お前はなんなんだ。なんで、精霊が、」

 精霊が、魔王の側にいるのか。その問いに、精霊は穏やかに笑う。


「私の名はイフェルト。ただの、精霊だ」


 そして二人は、光のなかに消える。俺の手には、魔王を倒す最強の武器が、握られていた。

 それが、正しいのか、分からないまま。




 魔王を討った勇者は、塔の頂に立つ。





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