「なぁ聞いたかよ、四年の実習の話」
「あぁ聞いた。あのくのいちの話だろ」
「一人殺せば合格だって言われてたのに」


あいつ15人も殺したらしいぞ


「おっかないよなぁ。いつもは虫も殺さない様な顔してるくせに」
「返り血浴びた瞬間目の色が変わったんだと」
「四年のくノ一はあれを見て全員リタイアだってよ」
「全員補習ってか」


「そう、苗字名前以外は」









「っていう噂が流れていたんだけど」
「いやですわ七松先輩。わたくしだって例にもれず補習組ですよ。一人も殺していないんですもの」
「そうか、それならいいけど」
「気を失ったんですって。こんな臆病者が先輩の後輩で申し訳なさでいっぱいです」
「いやいや、はじめてはそんなもんだ。気に病むな」

背中を叩くと、名前は眉を下げてお辞儀をし、図書室に用事があるのだと私の前から姿を消した。名前は可愛い奴だ。見た目ももちろん、性格だって穏やかなヤツだ。下級生たちの面倒はいつも優しくみてやっているし、私にだって優しく接してくれる。それは女だから男だからというか、母性の様なものだろう。金吾たちの名前を見る目は先輩というより母に向けた目といったほうが適切かもしれない。そんな名前に、なんだか不穏な噂が流れていた。最初耳にしたのは五年の連中が食堂で話をしていた時の事。何の話だと聞いてみれば、うちの委員会の後輩の、しかもくのいちの話をしているではないか。名前は可愛いからモテる。上品だし、どっかの御令嬢みたいなヤツだ。あっちこっちで名前の話を聞くことはあるが、それは殆ど色事について。しかし今回耳にした話が色事の話ではないから珍しい。噂を鵜呑みにするわけもなく本人に問いただしてみれば、どうやら本人は実習中に気を失い補習組なんだそうだ。やはり。名前がそんな恐ろしいヤツなわけがない。私だって初めての殺しの実習の時は一人殺すだけで精一杯だったといいうのに。

「よぉ滝夜叉丸!」
「これは七松先輩!私の戦輪の腕前をご覧になりに来たんですね!?」
「んなわけないだろ!」

誤解は早いうちに解いた方が良い。さっきの五年に真実を伝えに行こうと思ったら、手裏剣用の的が設置されている練習場に滝夜叉丸がいた。随分汗をかいている。一体どれぐらい練習していたのか。キザなポーズを決める滝夜叉丸は珍しく、汗だくで、頭巾もかぶらず、髷だって乱れてきている。それに的は戦輪で付けたであろう傷でボロボロになっていた。

「ほぅ、珍しいな、お前があんなに乱れた痕をつけるなんて」
「え…」
「いつもなら真ん中にズドン!だろ?それにお前には珍しく髷もぼさぼさで汗だくだ。なんか荒れてるのか?」
「…っ!」

己の美が乱れていることに言われて気づいたのか、滝夜叉丸は慌てて髪型を整え汗をぬぐった。こんな姿珍しい。

「なんだ、本当に気付いていなかったのか」
「……」
「…どうしたお前らしくもない。自慢話もはじめないのか?」

滝夜叉丸はまるで落ち込んだ様子。いつもならペラペラと話す自慢も、一切出てこない。これは何かあったに違いない。先輩として悩み事を聞いてやろうと思ったその時、「滝」と女の声がした。名前だ。

「あら七松先輩、さっきぶりですね」
「おう!」

「滝これ、不破先輩からお預かりしたわ。あなたが予約していた本が返って来たって。届ける様に頼まれたの」
「あ、あぁ。ありがとう。すまんな」
「えぇ。じゃぁね」

滝夜叉丸が名前から分厚い本を受けとると、名前はもう用が済んだかからか、先ほどと同じく私に頭を下げてくのたま長屋の方へ行ってしまった。じゃぁなと手を振る私の横で、滝夜叉丸は視線を本に向けたままだった。

「…本当にどうしたお前……」
「……七松先輩、誰かから聞いたんじゃないですか…」
「何をだ?」

「…名前の、話です」

名前の話。それはおそらく、私がさっき聞いた話の事だろう。あぁ聞いたと答えると、滝夜叉丸は本を持つ手を震えさせた。

「それは嘘だろう?さっき名前に直接聞いた。あいつも気を失って補習だと」
「そんなわけがない!!私はこの目でしかと見ました!!!」

急に声を荒げた滝夜叉丸に、私は思わず心臓をはねさせた。


「なにを、」
「嘘ではありません…!私は、同じ戦場にいたんです…!男女合同でしたから、一緒でした…!同じ委員会同士助け合おうと、名前は、いつも通りの美しい笑顔で私に言ったんです…!!それがどうですか!噂通り、戦場に飛び出したあいつは獣そのものでしたよ!目の前で首が飛び、名前の顔に血が飛んだその瞬間!あいつの目は獣のように鋭く恐ろしく光りました!まるで血を求める狼の如く!まさに惨状でしたよ!刎ねた首!飛び散る血飛沫!忍の軍団が誰を中心に取り囲んだと思います!?桃色装束のくノ一ですよ!名前です!あいつはたった一本の刀で切れ味が無くなるまで斬り続けましたよ!斬り殺したのは噂通り15人でしょう!ですがその後斬られたヤツらは刀の切れ味が鈍ったおかげで助かったというべきでした!切れ味が死んでなかったらとうに!!………っ!!」


握った本が、滝夜叉丸の力で折れ曲がってしまっている。滝夜叉丸は震えた声で、



「50は、軽くいっていたでしょう…!!」



そう、呟いた。

「…そんなバカな事…」
「…今日此処へ来るまでに、喜八郎を見ましたか。あいつは名前を見て、恐怖を覚え部屋に引きこもっています。三木ヱ門は射撃場で鍛練を増やし、タカ丸さんはショックのあまり部屋で寝込んでいます…。私はそんなことをしている場合ではない。同じ学年で同じ歳で、あれほどまでに差をみせつけられたことが屈辱で仕方ありません…!何が助け合おうだ…!馬鹿馬鹿しい…!私なんかよりずっと、ずっと……!!」

本を握っていない方の手は、強く握りすぎたせいか、拳のあいだから血が流れ落ちていた。滝夜叉丸の顔は、『屈辱』の色で染まっていた。

信じられない。当事者から聞いたとはいえ、あの名前がそんなヤツなわけありえない。茶虫が出ただけで泣き叫んで私の腕に飛びつくようなやつが、人を斬り続けたなど。如何考えてもおかしい。おかしいというか、信じる事ができない。滝夜叉丸は名前から受け取った本をその場におくと、再び輪子を手に、練習を再開させた。まるで、的が、名前かのような目つきで。

真相を確かめる為、今度は名前本人ではなく、シナ先生に訊いてみることにした。シナ先生ならその場にいただろうと判断したからだ。仕置きは承知の上でくのたま長屋に侵入し、大事な話があるんですと屋根裏から言えば、シナ先生も私が名前の委員会の先輩だから察したのか、どうぞと座布団を出してくださった。

「…名前の話なんですが」
「七松くんも聞いたでしょう。名前ちゃんのお話」
「私は、嘘だと思っています」
「いいえ、それが本当の話よ。私も、この目で見たわ。…彼女が、いつもと違う目つきで殺しを続ける姿を」

「……名前は、」
「…彼女は、おそらく、多重人格の持ち主かもしれないと、全てをお話した新野先生が仰ってたわ」

多重人格。それは幼いころになんらかの過剰なるストレスを抱え、歳を重ねた時に、何かのきっかけで自己制御ができなくなり出る、「もう一人の自分」。全てが終わった後、気を失った名前を保健室に運んだが、目を覚ました時に「試験は終わってしまったんですね」と残念そうな顔で言われたとき、シナ先生は恐怖すらも覚えたと言う。あれほどの惨状を起こしておいて、本人は、何も覚えていないと言うのだから。

「名前ちゃんの家庭環境はかなり複雑だったと、幼馴染の子から聞いたことがあったの。もしかしたら…」
「……そう、ですか」

きっかけというのが、おそらく返り血を顔に浴びたその時だろう。それで出てきた、もう一人の名前。滝夜叉丸は獣だと例えた。あの滝夜叉丸が、己の美談もせず、名前の事しか考えていない。そしてシナ先生のこの顔。これはもしかしたら、本当なのかもしれない。ありがとうございましたと頭を下げシナ先生の部屋から退出し、忍たま長屋に帰ることにした。


「あら、七松先輩?」
「…あ、」
「えっ、ここくのいち長屋ですよ?何か?あ、シナ先生に御用でしたか?」


獣だ。獣がいる。目の前に、内に獣を飼う、女がいる。


「…なぁ、名前」
「あ、私に御用事でしたか?何か?」


見てみたい。その獣を、この目で見たい。

お前の、もう一つの顔を。





「私と、手合わせしないか?」





獣をこの手で、捕まえてやりたい。










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