英二の誕生日




【side菊丸】

『今日、部屋行っていい?』

そんなメッセージが来たのは朝のホームルーム前のこと。机に突っ伏してスマホを眺めていたら突如として上画面にひなたの名前とメッセージの通知が表示されて、俺は自分史上最も気持ち悪い奇声を発した。喉をカスカスの裏声が掠めたような、そうだな敢えて言葉にするなら、ひょぇえ!?って感じだろうか。寝起きでいきなり首筋に氷水を当てられたような、そんな感じ。あまりにもキモい声すぎたのか最近席替えで前後の席になった不二がこちらを振り返る。

「どうしたの英二、ストレスでおかしくなっちゃった?」
「え、いや…ストレスは溜まってんだけどさ。しばらくテニスしてないし」
「『期末テスト終わるまで英二先輩は出禁です!』だもんね」
「そうだよ、ほんとあいつ冷たすぎるっつーか、容赦ないっつーか…会いたいのは俺だけかって虚しくなるっていうか…」
「あはは」

俺がこう愚痴くさい口調になってしまうのも無理はない。全国大会のあと晴れて想いが通じ合った俺とひなただったけど、なんていうか、うん、俺たちの関係は至って普通だった。上手くいってないことはないんだけど、俺が思い描いてたお付き合いというもんからはだいぶ遠い。というのも今までの俺にとっての彼女は理由がなくても好きに会えたし、何なら会うときは俺の予定、主に部活の都合に合わせてもらうことが多かったからだ。だけど今は真逆も真逆。ひなたと一緒に帰ろうと思ったら部活が終わるのを待つしかないし、ここんとこ1日オフなんてまずないから午後練の前に昼メシだけサクッと食べに行って学校まで送ることも多い。桃たち二年に「先輩来すぎっスよ!」と言われるくらいは練習にも顔を出してる。これがまた嫌じゃないのがびっくりなんだけどそれはいいとして、引退するまでは理由がなくても部活で会えたからか、やっぱりちょっと寂しいというのが本音のところ。もっとわたしとの時間作ってよ!って元カノの台詞に毎回辟易としていたあの頃の自分からは想像もつかない心境の変化だ。と、そこにきてのコート出禁、俺がストレス爆発しそうになるのも仕方がないと思う。俺が毎度赤点ギリギリだからだって大石は笑ってたけど、部活出てたって出なくたって点数なんか変わんねーよ!と声を大にして言いたい。いや、そんなこと言ったら手塚とのマンツーマン勉強会が始まりそうだから死んでも言わないけど。とまあ色々思うことはあるけど、今の問題はこれだ。俺はメッセージを改めて開くと不二の目の前にずいと画面を突き出した。

「部活行けないせいでずっと会えてないと思ってたら、急にこれだよ?」
「ふーん」
「ほんとどういうつもりなわけ、あいつ!俺を弄んでんのか!」
「それを僕に相談してくる方がよっぽどどういうつもり?」

あいてっ、と額に痛みが走る。見ると不二が人差し指を何度も弾きながら静かに笑みを浮かべていた。デコピンの構えを崩さないのがちょっと怖い。あと、冗談めいた口調なのに目がまったく笑っていないのがより怖い。

「ふ、不二さん…?」
「…あのさ、そんな急に諦めれるわけないでしょ。こちとらまだ全然余裕で好きだから。隙あらばかっさらう予定だから」
「え」
「あーあ。ほんと、英二のことが憎らしいよ」
「ちょ、本編でもそんな直接的な悪口言わなかったのに!?」

俺がびびって後ずさると不二はようやく「はいはい、冗談だって」と手を机の上に置いた。本当に冗談だった?というのは聞かないのが吉である。俺とひなたが付き合うようになってからも不二は変わらず気の許せる友人で居てくれて、それが俺にとってどれだけ有難くて嬉しいことだったか言葉では言い表せない。不二は改めて俺のスマホを手に取りまじまじと画面に目をやった。

「で?ひなたちゃんのこのメッセージの何が不満なの」
「不満っていうか…真意が分かんないというか…」
「英二ってそんなに恋愛偏差値低かったっけ?」
「…あのなあ、そりゃ俺だって期待するよ!もうめちゃくちゃする!でもあいつはひなただぞ?彼氏の誕生日に部屋行きたいって言う一般的な女の子との思考とは違うの!つーか俺の誕生日知らない可能性すらある!」

そう、今日は11月28日。俺の15回目のバースデーだ。夏の大会が終わってからもう三ヶ月も経つなんて自分でもびっくりだし、ものすごく健全なお付き合いが続いてるというのはもっとびっくりである。いやそりゃ俺だって一般的な男の子なわけ。あいつ可愛いし絶対反応面白いし、普通にいろいろしたい。だけどひなたは付き合うのが初めてだからと俺がこれまでどんっっっっっっだけ我慢してきたか、お分かりいただけるだろうか。あと強いて言えばイチャつく場所もない。あいつの家に両親が帰ってきたのは喜ばしいことだからそれはいいんだけど、こうなったら兄ちゃんを買収して俺の部屋を確保するしかないか。そう思っていたところにこのお誘いだ。こんなの俺じゃなくたって期待する。そして速攻でフラグをぼきぼきに折られそうな気がする。でもなあ、そろそろ俺も限界だからなぁ…なんて悶々と考え込んでいると、目の前にラッピングされた袋が差し出された。手の主は不二だ。

「とりあえずこれ、プレゼント」
「サンキュー…お、今年のサボテンは四角いね」
「…ま、ひなたちゃんの真意がどうあれ、彼女の嫌がることさえしなかったら大丈夫だよ」
「…それは当たり前だけど」
「そう即答できるならいいんじゃない?」
「…不二」
「ん?」
「なんだかんだ結構応援してくれんのな」
「ふふ。喧嘩したときはすぐに報告…いや、相談してね」

そう言った不二はとってもいい笑みを浮かべていた。やばい、どこまで本気なのか全然わかんねえ。一年の頃から毎年誕生日プレゼントの恒例になっているサボテンを鞄へとしまい込んで、俺はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。





「あ、先輩誕生日おめでとう。これ、頼まれてた苺です」
「…いちご?」

玄関のチャイムが鳴って扉を開けると、そこにはいつにも増して平常運転のひなたが突っ立っていた。近くのスーパーのロゴが入ったビニール袋をずいと差し出してそのまま我が家のように靴を脱ぎ始める。いや、一時期は住んでたから我が家のようにでいいんだけどさ、それにしたってあっさりしすぎじゃないか。一応うちに来るの、結構久しぶりだと思うんだけど。あとなんで苺?訳もわからず受け取ってしまった袋の中身を凝視していると、背後のダイニングから母さんの声が響いた。

「ひなた、おつかいありがとね」
「お易い御用」
「もう少ししたら皆帰ってくるから」
「うん、じゃあ上の部屋で待ってるね」

二人の掛け合いを聞いてようやく話を理解する。うちは大家族だから基本的に誕生日やクリスマスのケーキは市販品ではなく母さんの手作りだ。業務用スーパーでホットケーキミックスと生クリームをしこたま買い込んでくるのはいつもの事で、トッピングの苺を買い忘れたからひなたに頼んだってところだろう。よかった、誕生日プレゼントが苺のパックとかいう斬新なやつじゃなくて。っていうか母さん、ひなたを夕食に呼んでたなら言ってくれたらよかったのに。来ることを言うべきかちょっと悩んで、ソワソワしながらも結局口にしなかった自分がマヌケみたいだ。

「や、それよりさ、俺の誕生日知ってたの?」

慣れた足つきで階段を上がっていくひなたを追いかけてようやく出てきたのはそんな台詞だった。ひなたはお決まりの定位置であるビーズクッションに腰かけると小さくため息をつく。

「自分の影響力も知らないんですか、毎日ぼーっと生きてるんですね」
「おまえは相変わずそういうことを…」
「前は女子は全員俺を好きで当たり前って感じだったのにね」
「…なんか怒ってる?」

ひなたが生意気なのはいつものことだけど、なーんか今日はトゲがあるような気がした。俺、何かしたっけか。彼女がいてもある程度モテちゃうのは仕方ないとして、何かしたどころかめちゃくちゃ尽くしてるし甘やかしてると思うんだけど。皆の見てる前で告白したもんだからうちの生徒の大半は応援ムードだし、ファンクラブがちょっかい出さないよう警戒もしている。ひなたを守るって決めたからね、そこはしっかりやってるつもりだ。だから怒らせるようなことなんて…と考えていると、こちらを振り返ったひなたがゆっくり口を開いた。

「だって面白くないじゃないですか」
「へ?」
「学校の女の子はみんな英二先輩の誕生日のこと知ってて、プレゼントだって沢山あげたことがあって…」
「…いや、うん」
「それなのにわたしはファンの人が話してるの聞いて初めて今週誕生日だって知って、しかも大体のプレゼントは出尽くしてて、ずるいです」
「……」
「そんなのわたしの出る幕ないじゃないで…って、何ニヤニヤしてるんですか気持ちの悪い」

語尾に悪口が付いてきたけどそりゃ俺がニヤけるのも当然だろう。だってひなたの言ってること、ヤキモチそのものじゃんか。口元が緩むのを抑えられなくてひなたから鋭い視線が飛んでくるけど、それも今はどうでもいい。俺ばっかり会いたいのかと、俺ばっかり想ってるのかと思ってたら、なーんだ。ひなたでも嫉妬したりすると分かって正直たまんない。

「そっかそっか、悩ませたみたいでごめんな?」
「別にそういうわけじゃ…。ただ他の女の人と被るのが癪だっただけで」
「はいはい」
「そしたら朋香に言われたんです。『今日部屋行っていい?』って送るのが一番だって。後はきっと英二先輩が何とかするからって意味はよくわかんなかったけど」
「…そういうこと」
「でもそれだけじゃさすがになとは思って」
「はぁ…経緯は分かった」
「…英二先輩?」
「…お前な、俺がめちゃくちゃ大切にしてるって分かってる?」

やってくれやがって。こんな可愛いヤキモチを聞いてしかもご丁寧にお膳立てまでされたら平気で居られるはずもなく、俺は気が付くとひなたの身体を抱き締めていた。肩がびくんと揺れたのは分かったけど、もう無理、我慢の限界。こいつが可愛いのが悪い。そんな事を思いながら抱きしめる手を緩めずにいると強ばっていたひなたの身体から徐々に力が抜けていく感覚がした。どうやら大人しく俺に身を預けることにしたらしい。

「簡単にああいうこと言うなよ。抑え効かなくなったらどうすんの」
「いや、抑えれてないじゃん…」
「抑えてるってば」
「はぁ」

ひなたがそういうつもりだったんならそろそろ手を出してもいいかと思ったけど、よく意味も分からず女友達の言葉を真に受けたんだったらまだ先には進められない。今日はハグだけ、今日はぎゅっとするだけ…。そう自分に繰り返し言い聞かせて腕に力を込める。改めて気付いたのはやっぱり俺にとってひなたは本当に特別な存在だということ。ワガママでマイペースな俺が初めて自分のことより優先したいとそう思えた相手だ。だからどんだけ恋愛に疎くて鈍いやつだろうと半端な気持ちで付き合ったわけじゃないんだし、ここはひなたのペースに合わせていこうじゃないか。

「俺、あれほしい。桃が持ってるお守り」
「え!なんで知ってんの」
「なんでも。受検のお守りにするから作ってよ」
「…そんな非科学的なものに頼らなくたってもう少し勉強さえしたらあとはゴリゴリの内申点で進学でき」
「そういう問題じゃないの!こっちのプライドの問題!」
「はぁ」
「俺…ひなたの彼氏だよ?」

こつんと額同士をくっつける。そうすればさすがのひなたも「そんなこと言われなくても分かってますよ」といったムードのない言葉を発することはなく、真っ赤になってちいさく頷いた。目を泳がせて動揺してんのが愛おしい。あー俺、このまま唇を重ねたらだめかな。いやいや、さっきの決意はどこへいった。んなことしたら押し倒して歯止め効かなくなりそう。落ち着け俺、そういう機会なんてこれからいくらでもある。脳内で必死に自分に言い聞かせて、名残惜しみながらも俺はそっとひなたのやわらかい身体から腕を解いたのだった。

「じゃ、夕飯できるまで勉強しますか。わたし宿題持ってきたんで」
「ええー?今日はいいじゃん」
「可愛いこぶらない。週明け期末でしょ」
「…俺、誕生日に勉強させられるなんて初めてだよ」
「よかったですね」
「…初めてといえば、出会ったときなんてさっさと引退しろとか言ってたよね」
「げ。それはもういいじゃん」
「あんなの後にも先にもお前だけだよ、歴史に残るね」
「もう!いつまで言うつもりですか」

目の前のひなたが俺だけを見つめてる。それは世界に何十億人もいる中でかけがえのないような奇跡で、すごく幸せなことだ。あのとき諦めなくてよかった。ぷりぷりと怒ってるひなたを見ると思わず笑顔がこぼれた。

「一生言うよ」


(211128 happy birthday !)



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