ったくあのチキンヤローなにが合唱祭フケるだよバカ!どうせ『人前に出とうない』とかそんな理由だろうけど、わたしが許すと思うなよ。なんたってわたしソプラノのパートリーダーになっちゃってるんだから、その人物が練習を、ましてや本番をサボろうものならクラスメイトの信用は地に落ちる。外部入学生がそんなヘマしてたまるか。プリプリと怒りながら屋上の扉を開けるも、そこに人影は見当たらなかった。と来れば目指す場所はあと一つだ、不良のサボりスポットは屋上か保健室とわたしの中で決まっているのである。でもその前に喉が渇いたから、途中で購買に寄ることにして…と。
「えーと 財布サイフ…」 なるべくお尻に触らないようにしながら後ろのポケットを漁る。すると同時にそこからヒラヒラ、白い何かを落としてしまったみたいだ。ティッシュ…ではないよね。何だろうと摘まみ上げてからハッとする。これはもしかしてもしかしなくても、少女漫画レベルの美男美女でしか入手出来ないというあの噂の。
「ラブレター ですか?」
肩が跳ねた。理由は図星だったからというだけではない。ゆっくりと顔を上げればやっぱりそうだと仮定が確信に変わった。いくらわたしが噂に疎いと言ったって、彼のことは知っている。風紀委員には月に一度の服装検査でお世話になっているし、第一七三分けに眼鏡の優等生なんて立海には一人しかいない。
「おお、柳生。(で合ってるよね)」「全くあなたは、思いのこもった手紙をそのように扱ってはいけませんよ」
「気を付けるじゃけん」 柳生比呂士氏。立海テニス部の部員さんで、かつ仁王くんのパートナーをつとめる男の子だ。そして彼はお姉さんと並んで注意するよう仁王くんに言われていた人物でもある。対処法は一応教えてもらっていたけれど、それでも不安は不安。ドキドキと脈をうつ左側のハートを悟られないよう、わたしは彼に話し掛けることにした。何事も実践である。
「悪いのう、最近練習出れんで」「怪我を完治させるのが優先ですし仕方ありませんよ。それよりもうすぐ期末ですが、音楽の対策は出来てますか?」
「は…音楽…?」「そんな調子だとまた赤点で真田くんに説教をうけますよ」
仁王くんが音楽苦手とか、全くもって初耳なんだけど。いや、でも現に今合唱祭の練習という名の音楽の授業をサボろうとしているわけだから、そういうことなら辻褄は合う。音楽が苦手な男の子に、よりによってソプラノパートは地獄だろう。
というか思えばわたしは仁王くんのことをほとんど知らない。三日前までは他人だったんだから当然なのかもしれないけど、改めて思うのは、何故関わりのない二人が入れ替わるなんて現象が起こっちゃったのかということ。わたしが仁王くんから教えてもらった柳生くんのことなんてせいぜい『超いいやつ。弱味があるから何でも言うこときいてくれる』だからね。ほんとロクなこと聞いてないや。…ん?何でもきいてくれる、だと?
「柳生、頼みがあるんじゃ」「何ですか?」
「ラブレターの返事 昼休みに代わりにしてきてくれん?」「何を言って!先ほども言いましたが思いのこもった手紙を…」
「あのこと… 言ってもええんか?」 もちろんわたしには"あのこと"とやらが何を示すのかは全く分からない。けれど効果は絶大だったみたいだ。柳生くんはうろたえたようにして眼鏡を直しながらこちらを見る。そして諦めたように一つため息をついた。
「…仕方のない人ですね」
「ヨッシャァ!!」「?(キャラが…)」
これであの告白を断る申し訳ない気持ちを味わないで済むよ、良かった良かった。満足げな笑みを浮かべてわたしは彼に白い封筒を差し出した。のだけれど。「その必要はありませんよ」柳生くんがそれを片手で制す。
「どうせ着替えるんでしょう?」
「……は?」 ジャー。手につくふわふわの石鹸を流れ落とし、目の前の鏡を見つめる。神妙な顔持ちの柳生くんがこちらを見つめ返していた。自分が別の人間になるなんて経験はもうないだろうと思っていたのに、ほんと、わたし何してんだろう。
「では仁王くん。くれぐれも言動には気をつけてくれたまえ」「お、おう」「アデュー」 トイレから颯爽と柳生くん、いや仁王くんの姿をした柳生くんが出て行く。制服を着崩してウィッグにワックスを軽く馴染ませればあら不思議、即席仁王くんの完成だ。柳生くんてば眼鏡を外すと意外にイケメンなのである。そういえばパートナーと入れ替わって試合するとかなんとかって話を初日に聞いたことをすっかり忘れていた。パートナーって柳生くんじゃん、良いように遊ばれてるんじゃん。だけど今わたしに彼の不遇を嘆いてあげているような余裕はなかった。こうなってしまった以上は腹を括って、柳生くんに成り切ってやるしかないみたい。
「よし、じゃあ授業に…」 意気込んだわたしの両足は一瞬で止まって元気をなくしてしまった。や、やばい。叫び出したい気持ちをグッとこらえるけれど、おかげで変な汗が吹き出してくる。ああもう眼鏡が汚れちゃうよ。じゃなくて。物事を深く考えずその場のノリで突っ走ってしまった自分に対する冷や汗が止まらない。柳生くんって一体何組なの。一体何組に戻れば正解なの。わたしの気持ちとは裏腹に鏡に飛び散った水滴が日の光に反射してキラキラ光る。
「(とりあえずは、事情の分かる仁王くんに聞くしかないよね…てことは)」
ない知恵を振り絞って、わたしは当初の目的と同様に保健室へと足を向けた。おっと今は猫背じゃないんだよね、うっかり。
失礼しますと声をかけてドアを開けようと手を伸ばす。とそこには『外出中』のプレートが掛かっていた。保健室の先生ってすごく暇そうなイメージなのに、なんでこう都合良いときだけ出張に出掛けるんだろう…ってそんなことは今はいい。むむ、どうしよう。ここに居ないとなれば仁王くんは一体どこなの。動揺を隠しきれなくて思わずドアを横に引くと、あれ、開いちゃったよ。
「し、失礼しまー」「だから!人が来たらどうするの」「大丈夫だって心配すんな。…あ?」
「あ!」 わたしの視線の先には、ベッドの上でひしと抱き合うブンちゃんとわたしの姿があった。自分の姿が目の前にあるという奇妙な光景は慣れようと思ってもそうそう簡単なものでもなく、心臓がバクンと飛び跳ねる。そうじゃなくても、少し開いた窓から入り込んだ風でひらひらと白いカーテンが揺れるものだから、何だかアダルトチックな、見ていけないものを見てしまった気分だ。も、もちろんわたしは全く悪くないんだけどさ。
「丸井くん!何をやっとるんですか!」「げ よりによって柳生…」
「保健室で、そそんなハハハレンチな」 つい仁王語と丁寧語が混じってしまったのはこの際置いておこうと思う超ごめん柳生くん。「何って…」言葉を紡ぎながらブンちゃんは腕に力をこめる。ぐらりとバランスを崩したもう一人のわたしは彼の胸に身体を預けた。
「言うなら…充電?」
「ちょっと、ブンちゃん!」「俺らクラス違うし、部活あるしでなかなか会えないからこうしてなまえを充電してんの」
「…とりあえず離れましょうか」 キッと二人を睨む。というか仁王くんをと言った方が正確だったかもしれない。何しろ授業をサボろうとした上に保健室で人の彼氏とイチャコラするなんぞ、言語道断!ありえないったらありゃしないよ!わたしの瞳に宿る怒りの炎を見てとった仁王くんはビビったように立ち上がった。ブンちゃんもそれに続く。
「二人とも、学生の本業を忘れてはいけませんよ!まったく」「へいへい」
「ご、ごめんなさい…」「まあ俺は満足できたしいーや。やっぱなまえの側はいいな、安心する」
「もう!ブンちゃんのバカ!」 目の前の光景がセピアに変わった。二人の会話は曲の終わりみたいにフェードアウトしていく。変わりにどんどん大きくなるのは脳に酸素を必死で送り込もうとする心臓の音だった。ドクン、ドクン。壊れたラジオみたいにブンちゃんの放った言葉だけが繰り返し再生される。
安心するって、なによそれ。わかってるの?その子はわたしじゃないよ。朝は幸せをくれた同じ言葉が、大事にしていたやわらかい部分に深く突き刺さったような気がした。もう何も聞こえない。心臓の音がわたしの何かを急かす。世界に自分だけが取り残されたような孤独感と絶望感がわいてきて、気が付くとわたしの頬には冷たいものがつたっていた。
「おい、柳生!?」
「…すみませんっ」 「みょうじ!」 遠くではチャイムが鳴っていた。
(20110323 修正)