放課後の教室。運動部が部活に励む声と蝉の鳴き声がじんわりと蒸し暑いこの四角の部屋へと響き渡る。ガラリと扉の開く気配を感じ、俺は机に突っ伏したままの状態でうっすらと瞼を持ち上げた。まだ眠り足りないため瞳が乾いており、気を抜くとまたすぐにでも目を閉じてしまいそうな午後だ。

「桃先輩」

上から声が降ってきたかと思うと、動かすことのない頭の位置から見えたのはセーラーのスカート部分とそこから伸びる二本の白い足。放課後に女子生徒と二人、まさしく少女漫画の王道展開でも男のロマンでもあるおいしい展開である。少女漫画なら机の主に想いを寄せるヒロインがボディタッチしたり想いの丈を呟いたりして、んで本当は起きてた男子生徒に迫られるとかで進展しちまうイベントになるだろ。ほんでちょっとエッチな少年漫画なら…バタン。俺の思考を遮り大きな音を立てて扉が閉まる。

「ちょ、おいおいおい三井さん!」
「なんだ起きてたんですか」
「スルーはないだろお前!ここは『桃城くん、部活遅れちゃうよ』とか言って起こしにかかるとこだろうが!」
「桃城くん、偵察に遅れますよ」
「…そうなんだけど。なんか違う」

相変わらずのフラグクラッシャーぶりを見せつけられて、ああそうだこいつはひなただったと一瞬でも期待した自分をものすごく恥じた。まずそもそもそんな甘酸っぱい関係になりたいとは微塵にも思ってないんだけどよ。扉の近くでひなたを待たせテニスバッグを取りに戻る。教室の時計は授業中は進むの遅いくせに現在はもう五時を差していた。

「待ちくたびれました」
「お前が呼び出しくらったから待っててやってたんだろうが。チョップすんぞチョップ」
「駄目です、期末終わるまでは頭の攻撃は避けてください」
「そりゃ賢明な判断だな。で、どうだったよ」

俺が言った呼び出しというのは、今日はあのいつもの数学教師によるものではない。甘酸っぱくほろ苦い、そっち系の呼び出しを受けた後でもひなたの様子はいつもと変わらなくて「もう忘れました」ケロリと答えやがるこいつは本当にそういうことに興味がないみたいだった。

「忘れたはねえだろ?学年とか、どんな奴だったとか」
「二年だって言ってましたけど」
「俺の学年かよ。どんな見た目?俺の知ってるやつかな」
「魚みたいな顔の…えーと身長が高くて見下ろされてる感じがイラっとする…桃先輩こんなの聞いて楽しいですか?もてないの?」
「おっと甘く見んなよ。俺には百人の桃ちゃん親衛隊がついてるんだ」
「もてないんだかわいそうに」

気遣いゼロのひなたの攻撃で心に百のダメージを受けた俺に「ほら置いて行きますよ」畳み掛けるようにしてこの言葉。言っとくけど氷帝まで後ろに乗せてやんのは俺だからな。置いて行くことはあっても逆はない。

「お前って本当に付き合うとか興味ないんだな」
「まあいつかはそういう人に会いたいですけど、今は全く関心が湧きませんね。大会前でもあるし」
「けどどんなイケメンでも片っ端から断ってんだろ?勿体無いとかねーんだ」
「耐性ありますもん。学校一のイケメン軍団と毎日部活してるんですから」

サラリと、しかも下心なしにこういうこと言えちゃうのがこいつの凄いとこだ。そういうところも俺は嫌いじゃない。けどひなたに抱いてるのは恋愛感情ではないのは確かだった。駐輪場に着き、鍵のダイヤルを回しているとひなたが地面のある一点を見つめている。自慢のクロスバイクをターンさせてやつの横につけると、俺の目にも鮮やかな緑と黄色が映り込んできた。

「初心者マーク…?なんでこんなとこに」
「自転車でもつけないと駄目でしたっけ?」
「んなわけあるかよ」

きっと新人の先生とかの車に付いてたやつが落っこちてきたんだろうな。なんの気なしに別名若葉マークとも呼ばれるそれを拾い上げる。意外と軽いんだ、なんて思いながらそれをひなたの背中に押し付けてやれば「何するんですか」やつが振り返った。

「何って…なんでだろうな」
「てかそれ汚いやつでしょ絶対」
「ほらあれだ、お前は見た目から誤解されることが多いから、初心者マークつけといてやろうかと思って」
「えー。わたし見た目誤解されそうですか?」
「少なくともマセてそうには見えるな」
「…不本意です」

俺のやった初心者マークをまじまじと見つめ、ひなたは何かを考えあぐねているようだ。自分で渡しておいてなんだけどそろそろ行かなきゃなと声をかければ、ひなたはそのマークを元あった場所へ丁寧に戻す。そうしてやつは俺の後ろへと飛び乗った。

「わたしの称号は、さしづめ恋愛初心者マーク付きってとこですね」
「恋愛初心者マーク…意外とこっぱずかしいこと言うのなお前」
「存在が青臭い人に言われたくありません」
「でも緑と黄色っつうのが何かなあ。もっとそれっぽいマークあんだろ」
「あれだ、じじばばマーク」
「…紅葉マークな」

ひなたはこの話題が偉く気に入ったようで、クサいとか言いつつも後ろで楽しそうな声を弾ませていた。「でも青学テニス部なんてテニスは上級でも恋愛は殆ど初心者揃いですよね」まず桃先輩でしょ、越前でしょ、海堂先輩でしょ…。指を折りながら次々とレギュラー陣の名前が挙がっていく。別に俺は初心者じゃねえよ、彼女もいたことあるしなと言ってやれば、何ヶ月付き合ったんだと返され言葉に詰まった。一ヶ月だけど文句あるかよ、これでも英二先輩よりは続いてるんだよ。

「えい…菊丸先輩か。そういやそんな恋愛ハンターいましたね」
「ありゃ間違いなく初心者とは呼ばねえな。あと不二先輩もか?」
「ああ…グイグイきますよね」
「英二先輩はさ、黄金ペアの片割れだから免許ゴールドカードだな」
「いや事故はしまくりでしょ」
「…確かに」
「経験は多いだろうから紅葉マークですね」

交差点を曲がればあの馬鹿でかい氷帝の校舎が見えてくるはず。幼稚舎から大学まで一貫してある氷帝という学校はその広さから初訪問の人間は必ず迷うとまで言われていた。けどその辺はさすが乾先輩、抜かりない。しっかり校内の地図はポケットに入れてきてあるからな、覚悟しろよ。骨の髄まで調べ尽くしてやるぜ氷帝学園!乾先輩がかけてるのに似た眼鏡を装着してやれば「ひなたが爆笑する確率98パーセント」「あはははははは!似すぎ!」なかなか俺もサマになってんじゃねえの、なんて。

「あ、噂をすれば紅葉マー、うお!」

青信号を渡ろうとしたところ、俺たちの姿が見えなかったのか紅葉マークを付けた自動車が一時停止することなく角を曲がってくる。慌ててブレーキを踏んだからいいものの、あの勢いじゃ事故になってもおかしくなかった。って二人乗りしてる俺たちが偉そうなこと言える立場ではないんだけど。

「危な…」
「高齢者はなあ、乗るななんて言うわけじゃねーけどスキルは一周回ってただの初心者だからな」
「自分は運転上手いとすら思ってそうなとこが厄介ですよね。お、あれですか?」

曲がり角を右折し氷帝が見えてきたところで俺も気合を入れ直す。よっしゃ!第二の乾、いっちょ偵察いったるぜ。


(140726 執筆)
桃はちゃんとモテるけどひけらかさない感じ。手塚は間違いなく初心者だから話題にすら挙がらない
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