「あーーーー。死ぬ」
「長いね。おつかれさま」
「あと八十周近くもあるなんて、しんじゃう」
「俺もあと七十周だ……」
「あれって誰も見張ったりしてませんよね。こうなったらサバ読んで走ったことに」
「副部長の俺がしっかり聞いてしまったよ」
「泣きたい」

下手くそな泣き真似をするひなたちゃんはスルーし、俺たちは朝練の片付けを済ませにかかっていた。サービスの練習中、勢い余ってフェンスの向こうに飛ばしてしまった球は英二が打って戻してきてくれていて、対する俺はそれを一つ残さずカゴへと入れていく。あ、セカンドサーブ用にポケットに入れてたボールも戻さなきゃな。パンツのポケットに手を突っ込めばガサガサと紙の擦れる音がした。大石のスパルタ練習やらその後の黄金ペア解散騒動ですっかり忘れてたや。俺は球拾いをするひなたちゃんを引き止める。

「ひなたちゃんにって昨日渡されてたものがあるんだ」
「まいっちゃうなー。ラブレター?」
「ううん。ヤマザキ先生からのお土産だって」
「ぐ」

なんだろう広島のもみじ饅頭とかかな。取り出す前に紙だということをすっかり忘れていた俺は最初なんでひなたちゃんが嫌そうな顔をしているのか分からなかった。少し皺のついた二つ折りの紙を開けば彼女の表情はさらに暗くなる。何だったんだろうと上から覗き込んでやれば、それは見るからに数学の課題だった。しかも名前書く欄がないことからして間違いなくひなたちゃん専用のプリントだ。

「…タカちゃん。あいつこれいつまでとか言ってた?」
「ああ、なんか明日までにどーたらこーたらって言ってたような」
「今日じゃん!あああ最悪また難癖つけて呼び出し食らわされる…」

狼狽するひなたちゃんの姿に、俺は最近の彼女を思い起こす。そういえばこの前も手塚が「三井はまだか」ってイライラしながら越前に聞いてたっけ。もはやそれは最近の口癖になりつつあるくらい、ひなたちゃんは一年の数学担当に呼び出されて部活に遅れてくることが増えていた。そんなに成績が悪いのかと思ったけど、同じく球拾いをする越前によればそうでもないらしい。

「まあいいじゃん。アンタその個人メニューの成果でこの前の小テストクラス一位だったんでしょ」
「よくないやい。越前代わってよ」
「やだ」
「そんなに個人的な課題出されてるの?」
「まあね。この前のなんてホント傑作」
「もう言わなくていいから…」

わざと彼女の気に障るような言い方をしつつも、越前は最近その数学教師との間にあったというエピソードを語った。一個や二個だけじゃないのも勿論驚きなんだけどやっぱり一番俺が引いたのは、延々とひなたちゃんだけを授業で当て続けるってやつだ。あとは超難関高校の入試問題を解かせようとして当然無理だったひなたちゃんに、一週間その高校受験用の課題を課し「俺ってドSだからな」黄ばんだ汚い歯を出して笑ってたって話も、そりゃ寿司のネタがまだ生きてたのかってくらい驚いた。あれ分かりにくい?

「なんていうか…気持ち悪いね」
「そう。わたしの言いたいこと集約するとそれ」
「ドSとか自称してくる辺りも痛いよね」
「タカさん!全部回収したよーん」
「ありがとう英二」
「あ、悪い。もう一個発見」
「…あの程度でドSは、ぬるいと思うけどね」
「え?」

越前の意味深な呟きに振り返ると「行くぞー」と叫んだ英二が、コートの隅に取り残されていた一球を拾い上げてこちらに打つフォームをとっている。宙を切ったテニスボールは俺も顔負けの大ホームラン。だけど英二は悪びれる様子もなく「わりー三井、取りに行ってよ」隣のコートの方まで飛んでいったそれを取りに行けと命令する。

「…なんでわたしが」
「おまえ一年だろ。ほら、ダッシュ」

そう言われてしまえば仕方がなくて、ひなたちゃんは不満そうな顔をしながらもしぶしぶ隣のコートへ走った。すると何を思ったのか、意地の悪い顔をした英二がサーブのモーションに入る。

「な、ハア?!」

サーブはひなたちゃんの方へ一直線に放たれた。あの変化の仕方って…嫌な予感だったそれは「へえやるじゃん。まだまだだけど」という越前の言葉で確信へと変わる。地面に着いた球は縦回転に加えてねじれの回転も入り、右側つまりひなたちゃんの顔の正面に向かって大きく弾んだ。うわと声を上げ咄嗟に体制を低くしたことで正面衝突だけはどうにか避ける。

「な!っにするんですか!」
「あれ。おチビのはもっとぐあって跳ねるんだけどな」
「短期間でよく真似できたね、先輩」
「ちょっと!無視しないでください」
「あーわりわり。的があったから」
「ハア?!」
「アレだよ、ノリ」

まだ軌道が甘いにしても、女の子に向かってサーブするなんて英二ってばめちゃくちゃだ。真のドSというものを見たような気がして、俺は静かにその場を去った。だってそろそろ手塚の雷がくる気がするし、ね?

「菊丸ー!なにをしている!」

案の定、手塚の怒鳴り声が響き渡ったのは俺が部室に入った瞬間だった。セーーフ。





「今週末だよね、トーナメントの抽選会」
「関東大会かあ。不二は去年も出てるからいいけど俺なんて初めてだから緊張だよ」
「大丈夫大丈夫。そんな変わんないって」

手塚や英二は置いといて、一足先に着替え終わった俺たちは揃って部室を後にする。鍵当番の大石はこってり絞られているだろう相方をもう少し待ってあげるとのことで部室に残ったまま。というのもこの前合い鍵を置いていったら英二が鍵を無くしかけたらしい。
扉を閉めようとすると、ジャージ姿のひなたちゃんが女子更衣室から出てきたところだった。そういえばこの曜日は一限が体育だから、あのまま授業に行くって言ってたっけ。そんなこんなでひなたちゃんを含めた俺たちは校舎に向かって歩き出す。

「で、関東大会ってどこでやるの?」
「多分また東京だよね」
「つまんないッス」
「おい試合出れるくせに文句言うなよ越前」
「桃先輩が勝手に負けただけじゃん」
「なにをう」
「そこイチャつかない。それに部長は部内恋愛禁止だって言ってましたよ」
「そんなんじゃねえわアホ!」

くだらない話に花を咲かせ歩きつつも時計の針はあと十分で始業であることを伝えていた。確かに昔は手塚がそんなこと言ってたような気がするけど、それはもはや廃止になったも同然だ。都大会が終わったくらいから不二は随分と積極的で。冗談半分にからかってた今までと違って、最近は仕事を手伝ってあげたりと何気に本気なのが分かる。今だってしっかりひなたちゃんの横キープしてるしね。

「じゃあ手塚が部内恋愛いいよって言えば僕と付き合う?」
「え?不二先輩と誰がですか?」
「…君以外に誰かいそう?」
「うーーん…昔は海堂先輩って言ってたような」

この調子じゃまだまだ時間がかかりそうだけど。天然なのか計算なのか分かりづらい返しをしてくるひなたちゃんに不二は困ったように笑っていた。
そうしてもうすぐ下駄箱に差し掛かるところで「あれ…?」ひなたちゃんの視線が一点に向いた。見れば校舎の脇にぽつんと麦わら帽子が落ちているのが分かる。なんかいたな、ひなたちゃんの知り合いにあんな帽子被ってた人。

「あれきっと屋敷さんの麦わ」
「危ない!!!」

横を亜麻色の髪が駆け抜けて、ひなたちゃんの元へとダイブする。次の瞬間ガラスと何かの割れるが響き渡り、舗装されたアスファルトには土とたくさんの破片が散らばった。

「……」
「な、に今の」

何が起こったのか理解出来なくて、二人に駆け寄るタイミングを逃す。再び地面に目をやると、散らばる土と破片の中に緑の植物を見つけた。落ちてきたのは、植木鉢だ。
思い返せば事が起こったのはひなたちゃんが帽子を拾い上げようと校舎の脇に駆け寄ったときだった。それからタイミング悪く上からそれが降ってきて。最悪の場合なんて考えたくないけど不二が押しのけなかったら完全に当たっていただろう。彼の腕と背中に守られ下で丸くなっているひなたちゃんの顔は見えなかったけど、上を見上げた不二の目は見たことがないくらい険しかった。事故か、それとも誰かの故意か。ひなたちゃんを取り巻く問題はこの朝のようにまだ始まったばかりだった。


(140725 執筆)
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