「ダッシュが甘いぞ!次」
「うおりゃー」
「次!」
「どりゃー!」

関東大会まであと約二週間が迫り、テニス部の練習も激しさを増していた。張り切るのはもちろんいいことなんだけど、周りとは気合いの入り方が少し違う者が一名。というのはさっきからタカさんをしごいている大石だ。他の部員も虫の居所の悪さを感じ取っているようで、その光景をただ見守るばかり。大石なんて自分の球出しがネットにかかったイラつきから「声が出てないぞ一年!」と叫ぶ始末だ。「大石のやつ相当イラついているな」僕と一緒に一部始終を見ていた乾も呟いた。

「彼は人一倍部の事を想っているからな…桃の心配をしているんだろうね」
「ああ」
「もしかして罪悪感を感じてたりする?」
「とんでもない」

当然か。不正なんかじゃなく堂々と勝ち取って返り咲いたレギュラーの座だ。そんな乾はと言えば開脚しストレッチをしていた越前に近づき、ウォーミングアップの相手になることを申し出ている。「ハア…今日の大石はどうかしてるよ」大石によるスミレちゃん顔負けの球出しを受けたタカさんがタオルで汗を拭いながら戻ってきた。

「おっ乾のやつこれ見よがしにレギュラージャージ着ちゃって!この暑いのになはは」
「菊丸先輩、次Bコートでスマッシュです」
「なあなあ桃は?」
「わたしは見てませんけど」
「なんだよさてはレギュラー落ちたからってサボってるな。ったく最近の後輩はすぐサボって」
「わたしサボってない!」

ひなたちゃんが球を運びに僕らのいるコートにやってきて、いつものように英二との口論が始まる。英二の声はよく通る上にうるさいからね。発した言葉は大石の耳にも届き、彼は海堂に球出していた手を中断させた。

「おい英二、あまり」
「なんだよーつまんねーなあ」
「おいって」
「せっかく桃が普通のジャージ着てるとこ茶化してやろうと思ったのにッ」
「英二!!無神経だぞ」

大きな怒鳴り声が聞こえて、思わずお喋りをやめた。練習していた者もラリーを止め、何事だと全員の視線が黄金ペアに集まる。それもそのはず、青学の母と名高い大石は滅多に怒ることなんてないし、後輩に注意をすることがあっても優しく諭すような言い方は忘れない。コートは一瞬で緊張感に包まれた。大石の異変をすぐさま感じ取った英二はぎこちない笑顔を浮かべ彼へと歩み寄る。

「なんだよ大石。なにピリピリしてんのさ」
「……」
「ぷっ。くくく。あはははは!」
「?」
「シャツ裏向けじゃん大石ー!」

「恥ずかしー」と言ってまた笑う英二に怒りの表情を浮かべたかと思うと、大石は英二を突き飛ばした。無防備だった英二は赤子のように地面へと転がる。「あ、ごめん」手を出してしまい我に帰った大石が手を差し伸ばすが、こうもなったら英二はまず引かない。差し出された手を振り払い立ち上がった英二は目を合わせず言い放った。

「頭きた。もうこんなやつと組むのやめた!」
「ハア?ちょっと先輩」
「二人は次の試合でもダブルスの要なんだぞ?」
「やだやだ。コンビ解消。決定ー」
「英二がそう言うなら仕方ないな」
「大石まで!ちょっと頭冷やそうよ」
「いや、面白いんじゃないかな」
「乾!」

乾の言い分によると、英二と大石はたしかにゴールデンペアだけど、もっと息の合うペアだっているかもしれないということだ。「たまには相手を変えてみるのも悪くないんじゃないかな」何か企むような目付きで二人を見る乾に英二は「だよな!そんなら俺、おチビと組む!」なんて言い出すし。まさかの巻き込み事故に苦い顔を隠せないみたいだったけど、この騒ぎに注目が集まっているのも分かって「…いいっすよ」越前が言った。

「じゃあ大石とは…三井。お前が組め」
「なんでだ!!」
「お前もサーブアンドボレーヤーだろう?いいから、この二人の実力を測る意味で入れ」
「…全然意味わかんないんですけど」
「おっしゃおチビ!よろしくな!」
「はあ」

そんなこんなで奇妙な2ペアがコートへと入る。「不二、止めないでいいの?」タカさんは心配そうな顔をして聞いてきたけど、いいじゃない見てみたいもん。それに、ひなたちゃんを打たせてみるってことは何か乾にも考えがあるはず。「おチビー大石にアレ食らわしてやれ!」異様な雰囲気の中、越前からサーブを始めることを乾のコールが伝えていた。

「アレってもしかして…ツイストサーブ?」
「リョーマくん?!」

一年生部員の声をバックに仕方なくといった様子で越前は右手でのサーブを放つ。でも球筋が甘い、変化を見切った大石は越前の足元にリターンを返した。真面目にやれだのなんだのと怒りを増す英二。ネットに詰めてきたのは大石で、越前の球はひなたちゃんが受けていた。「な?!」大石が前衛に出てきたことで完全に意をつかれたのは英二。横をストレートで抜かれ、辺りはざわめいた。

「0-15」
「ふん!ざまーみろです」
「なんだとお前!打たせてやったんだっつーの」
「英二!いい加減にしろ」
「なんだよ1ポイント取ったくらいでいい気になってんなよ」
「そうじゃない!今のは…」

たった1ポイントを取る間だけだったけど、ひなたちゃんが普通にプレイヤーとして上手いことは火を見るよりも明らかだった。大石もしっかりアイコンタクトをとって前に出てきていたし、これは一体。思惑通りだったのか不敵な笑みを浮かべる乾一人がこの状況を分かって最も楽しんでいる。いや、もう一人分かってそうな人はいるか。隣のタカさんを見ると困惑したような、でも嬉しそうなよく分からない顔をしてコートを見つめていた。

「ねえタカさん、ひなたちゃんって」
「コート内で揉め事か」

僕の言葉を遮り、コートに現れた手塚の声が響き渡る。あーあ、いいところだったのに邪魔されちゃったよ。

「やば」
「手塚、違うんだこれは」
「大石菊丸。グラウンド20周だ」
「…あーもう!大石のせいだかんな」
「っ」

距離を空けて二人はコートから出て行った。ほっとしたようなつまらなさそうな顔をしたひなたちゃんに目をやってから、激しい形相でノートに何か書き込む乾の横に立つ。何を書いているのか聞けば「ひ、み、つ」だそうで。気持ち悪いな、その眼鏡叩き割ってリサイクルしたら少しは恵まれない子供たちに感謝されるんじゃないかな。

「三井、今日の部活後時間はあるか」
「ありません。明日も明後日も一生そんな日は来ません」
「俺が直々に勉強を教えてやると言っている。いいから期末対策をするぞ」
「部長…この前は黙ってたんですけど、あのテストのコピーはわたしに良い感情を持たない者による犯行なんです」

コートに残されたひなたちゃんに手塚が詰め寄る。よくまあそんな嘘くさい言い訳が平然と述べられるよ。どんだけ勉強会したくないんだこの子。さすがの天然手塚もこれには騙されるわけがないだろう。手塚の雷が落とされるのを今か今かと思って様子を眺めていると。

「そ、うだったのか…」
「信じたァ?!」
「ちょっとタカさんだまって」
「実は俺もたまに下駄箱へ嫌がらせの類いがされていてな。ゴミが入っていることがあるんだ」
「そうですかお可哀想に」
「だがそのような陰湿な行為には負けず、強く生きていこう。三井」
「はい!生きていきましょっか」

その現場、僕見覚えあるよなんてとても言えなかった。面白いといえば面白いけど…不憫だ。手塚ってさ、僕も入学してから一度も勝てないくらいテニスが強くて、でも生徒会長なんて大役も同時にこなすくらいの人間なのに。

「天然って罪だよね」
「そうだね」
「タカさん、君もだよ」


(140724 執筆)
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