「そう言えばアンタには借りがあったよね」
「…!」
「ジュースを頭にかけられた河村先輩の分と、ボコボコにされた荒井先輩の分」

そう言っておチビは再び近距離でのドライブボレー、ドライブAを相手コートに打ち込んだ。前回ので見切ったとか言いながらも返球した亜久津の体勢は崩れていて、ふわりと上がった球はチャンスボール。「まだ終わってないよ」今だと言わんばかりにスマッシュのモーションに入る。

「俺も石、ぶつけられた!」

誰もが仕返しに強打を決めると思ったのに、ラケットの先は滑らかに降りてきて。次の瞬間、黄色のボールはネット際に転がっていた。この場面でぬけぬけとドロップボレーを決めるなんて誰もが予想外。してやったり顔の生意気な面に向かって一際大きな歓声が上がる。そうして俺たちは一目散におチビの立つコートへ駆け寄った。





「それでは今大会結果および関東大会出場の五校を発表します」
「団体男子の部優勝、青春学園」

他の出場校の選手や応援に来ていた人たちの拍手に包まれる。壇上では手塚が優勝旗、そして相方がトロフィーを受け取っていた。全国制覇って目標に比べたら今日勝ち取ったものはまだまだ小さいかもしれない。だけどずっと準優勝だった都大会で一番の笑顔が出来るのはやっぱり嬉しいことだよな。ギャラリーやら月刊プロテニスの記者のお姉さんに隠れて三井は遠くから表彰式を見守っていた。そういや全国大会まで行けばマネージャーも閉会式で一緒に並べるんだっけ、ってそれは気が早いけど。

「おーー!第○回優勝 青春学園中等部だって!」
「分かってたけど優勝旗のリボン、氷帝の名前ばっかりっスね…」
「手塚くんもっと右に寄って!大石くん指で文字が隠れてる!」
「ほら越前と三井も笑って笑って!」

帰り支度を終えた後、俺たちは井上さんたちの好意に甘えて集合写真を撮影した。そういえば毎回恒例だったのに地区大会ではおチビのやつが病院行ったせいで撮り逃したからな、今回のメンバーでは初めての写真だ。あとマネージャーが写るのも、初めて。ふと三井がうちに飾られた写真を曖昧な表情で眺めていたことを思い出して前列に目をやる。

「つーか越前さ、完全にわたしのこと忘れてたでしょ」
「何が」
「さっきの試合!わたしの分返してくれてなかったじゃん」
「だってアンタ石当たってないし」
「そういう基準!?この薄情者!」
「うるさい」

…ムードもへったくれもないなこいつら。確かにあのおチビが「三井の分!」なんて熱くなってたら不二が黙ってないだろうけど。あと孫の方の竜崎ちゃんが泣いちゃうね。折角同じ学年だっていうのにどうも噛み合わない一年生ズに、引退してからがちょっと心配になった。桃と海堂がもうちょっと大人になればなあ。とそこまで考えたところで一つの疑問が。あれ、三井って結局うちに残るんだよな?

「どうする?やっぱこの後はかわむら寿司?」
「焼肉でもいいっスよ!ファァアねむ」
「確かに、誰かさんのせいで夜中まで走らされてたからなあ」
「…散々謝ったのに意地が悪いです」
「情けねえことにコイツは一人じゃ歩けねえし」
「あ?喧嘩売ってんのかマムシよう」
「皆おつかれだし、今日は解散しよっか」

俺の中に小さなしこりを残したまま、大石の声を皮切にしてバスで帰るやつはバス停へ、自転車で来たやつは駐輪場へと部員はそれぞれ散り散りになって行く。なんだ、打ち上げしないのかよ面白くねえの。じゃあ桃とか暇そうなやつ誘ってメシだけにしとくか。俺は三井とスミレの肩を借りて会場から出る桃の名前を呼んだ。

「桃ー!お前も帰るとかノリ悪いこと言わないよな?メシ行こーぜ」
「お!いいっスよー!」
「バカもん。肉ばなれが起こっとるかもしれん、こいつは今から病院だ」
「ええー」
「…すんません英二先輩」
「わたしのあげたプロテインを粗末にした罰ですよ。痙攣抑止の効果があったのに」
「粗末ってなあ、ぬるいから後で飲むって言っただけじゃねえか……ってぇ」

そう声を大きくした桃は一瞬の間のあと表情を引きつらせ、視線を足にやる。試合が終わってから痙攣自体はおさまってたのに、まだ痛みはあるみたいだ。ったく足痙攣させといてあの千石から勝利をもぎ取っておまけに新技まで取得するとか後輩のくせに生意気なやつ!「ちょ、なんなの英二先輩!」そんな格好つけにはゲンコツだ。

「お前は?どうすんの」
「桃先輩に付き添う予定でしたけど」
「オイオイやめろ。そんな重傷じゃねえよ」
「ひなた。アンタ青学に残るって決めたはいいけど親の了解は得たのかい?」
「…あ、忘れてた」
「今日はまっすぐ帰って、きちんと話し合うことだね。桃ならアタシがちゃんと病院に連れてく」
「前半はいいけど、俺一人で別に行けるし、」
「移動手段もなかろうに格好つけるな。ほら、いくよ」
「あ、ちょ!」

「英二先輩チャリ返して下さいよ明日ー!」

遠のく桃の声。何だっけチャリって、そういや昨日勢いでパクったんだったか。「お前バス?」流れで二人取り残されてしまった三井に目をやる。重そうなアディダスのドラムバッグを降ろしたこいつは会場に点在する噴水のそばへと腰を降ろした。夕陽は沈みかけ、水の色がオレンジに染まっている。

「わたしもうちょっとここにいます」
「だめ。昨日の今日ので一人になられたら迷惑」
「えー。桃先輩が重すぎて肩疲れました」
「早く帰って親と話しなよ」
「先輩知ってるでしょ。家帰ってもいないの」

そう言って視線を落とすもんだから、俺も何と言っていいかわからなかった。足をプラプラさせる三井の「電話も出た試しがないし」というトドメの一発で完全に帰れ系の言葉を失った俺はポリポリと鼻の下をかく。

「一人の家に帰ると、やっぱ嫌でも考えてしまうじゃないですか。でも暗くなるの嫌だし」
「……」

「ここは本当にわたし一人の家なんです」

昨日の三井がふと頭に思い起こされた。プロテニスコーチの父が建てたというあの馬鹿でかい家。誰もいない家に、誰も帰ってこない家に帰るのはどんな気持ちだっただろう。しかもそれは一ヶ月とかそこらの話じゃない。テニスがなくなった自分なんて見てもらえない…か。三井の抱えた過去は小、中学生が背負うにはあまりに暗すぎて重すぎるものだ。打ち明けられたのに俺は何もできないのかな。昨日からずっと考えてたことを再び思い起こし、俺は決心を固める。目の前のドラムバッグにゆっくり手をかけて自分の肩に持ってくると、やつが顔を上げた。

「帰んぞ」
「だからわたしはゆっくりして」
「俺ん家に」

でた、三井のびっくり顔。面と向かっていうのはなんとなくはばかられて、俺は先に歩き出す。

「大家族だからさ、一人くらい増えたって別にうちはなんも言わねーよ」
「……」
「こうなりゃ家出して、心配かかせてやりゃいいじゃん。そしたらお前の意思も少しは尊重してもらえるくらいには心も動くだろ」
「……」
「あ、もちろんずっととかじゃないよ。お前の問題が片付くまで、」
「先輩…」
「うちに来なよ、三井」

怒った顔なら初対面に見た。無表情は常。テニス見てるときはちょっと楽しそう。哀しみ涙を流す姿を見たのは、見てないことになってるけど昨日のことだ。そして今、ほんとうに嬉しそうな満面の笑みを浮かべ、小走りで俺の隣に向かうこのバカ三井。そんな顔初めて見た。お前にもあるんだな、喜怒哀楽って表情。

「あの面白くて騒がしい家ですよね!」
「それ褒めてんの貶してんの」
「騒がしいのは嫌いですけど、ああいうのは好きですよわたし」

あったかくて。いつもの無表情を知ってるやつからすると気持ち悪いくらいニコニコしている三井を横目に俺も小さく笑った。





「実家で彼女と同棲しようとするなんて…!」
「だから彼女でもないし同棲でもないし」
「事情は分かったよ。辛かったね」
「親父…!」
「英二、避妊だけはしっかりな」
「っっっっおい!!」

家族からしてみたら赤の他人を一緒に住ませてくれなんて馬鹿な申し出なはずなのに、うちでは全くノープロブレムだったようで。リビングで正座して並び、なんなら土下座とかも考えていた俺は拍子抜けだった。すぐさま足を崩してやると「ひなたちゃんだったよね?うちの子になるの?」姉ちゃんズが早速三井に迫っている。可愛い女の子が好き!を宣言する女っているけど男からしたら全然わからん。それって自分と比較してなの?本当に可愛いやつには嫉妬とかしねえの?うちの家族は全員まあまあ美形とは思うけど。

「ひなたちゃん」
「は、はい」
「血が繋がってなかろうと短期間だろうと、うちに住むからにはあなたはわたしの子供よ」
「……」
「よってお客さん扱いなんてしないからね!覚悟しなさーい」
「…ありがとうございます」
「そこでお礼なの?変な子ねー」

アッハッハッハ。豪快に笑う母ちゃんは置いといて、俺にとっての問題は兄ちゃんズ、特に大きい兄ちゃんの方だった。今は多少丸くなっているとはいえ、やつの女好きは俺なんかの比にならないレベルだ。三井も顔だけはいいからな、同じ屋根の下で食われるなんて事態は俺としても遠慮したい。一通り見渡してみて大きい兄ちゃんがいないのを確認し、母ちゃんに声をかける。

「こいつ寝るの客間でいいよな?」
「まあ、それ以外となると仏間になっちゃうわね」
「じゃあ俺こいつと家戻って要りそうなモンとってくるから、部屋に布団とか…」
「お、英二おかえり都大会おめでと。…その子」

遠くでトイレの水が流れる音が聞こえたときから嫌な予感はしてた。けど大体いつも休日は夜まで遊び歩いてるからたまにしか早く帰ってこないくせに、今日に限っていなくてもいいじゃん。作戦を出鼻からくじかれてテンションが下がるのを感じる。

「三井ひなたです。事情があって、少しの間ご厄介になります」
「え、まじ。大歓迎!…英二と同い年?」
「いえ。中一です」
「中一かあ…いやちょっと下すぎ?でもこのレベルなら数年後には」
「アホ。犯罪だぞ大きい兄ちゃん」
「あはは!焦ってんなよ英二」

わざとなのか本気だったのか知らないけど、大きい兄ちゃんのこういうとこがムカつく。「夜ごはんよー」都大会優勝の祝いだと言って普段よりちょっと豪華な食卓につくと、いまだニヤニヤした視線を送ってくる大きい兄ちゃんと目が合った。だから焦ってねえっつの。

「キミあれじゃん、前来てた桃子じゃん」
「違いますよ。それきっと菊丸先輩の何人もいる彼女の一人です」
「何人もいねーわ!」
「ブフォ! 菊丸先輩だって〜!英ちゃんのくせに先輩なんかやってるんだ」
「ねえねえ。英ちゃんって学校ではどんな感じなの?」
「傍若無人、口の悪いナルシストです」
「おまえよく初日からそんな口利けるな!」
「英二どんまい」

やいのやいの。家での俺はどうだとか、小さい時はこうだとか、あんまり俺には面白くない話題だったけどリビングダイニングには賑やかな声が響く。誰だってこんな内部事情は他人に知られたくないし、後輩になんて余計格好つかねえ。楽しそうな笑い声に俺は終始ぶー垂れていた。小さい頃、姉ちゃんのお下がりの浴衣(ピンクの蝶々柄)を着せられて挙句口紅まで塗られた話が終わり、笑い過ぎて目尻に溜まった涙を拭った三井が俺の方を向く。

「学校ではあんなだけど、でも最近わかりましたよ」
「なにが」
「いい人ですよね、先輩」

さっきの話の続きだと分かって、俺は何も答えずハンバーグを口に運ぶ。それからもこっぱずかしくて居心地の悪い会話は続いたけど、まあこいつが楽しそうだから今日だけは許してやるか。


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