「先週の試合が終わって家に帰ると、久しぶりに帰宅していた父と顔を合わせました」

ゆっくりと言葉を紡ぐ三井に相槌を打ち、ポンと頭に手をやる。ベッドのふちに背中を預けて二人で並び座り、俺が頭にやった手は三井の肩を抱くような形で落ち着いていた。

「あんま帰ってこないんだ」
「仕事が多忙なので。元々ソフトテニス専門のコーチだったんですが、名前が売れて今は硬式のコーチもしてるんです」
「すげーじゃん」
「母は一年以上前から実家に帰っていて、ずっと顔も合わせてません。ここは本当にわたし一人の家なんです」
「…」
「そんな父が久しぶりに帰ってきたのは、わたしに言うことがあったからでした」

そこまで話すと三井は近くの棚へ丁寧に並べられたトロフィーたちに目を移す。きっとこいつがテニスでとったんだと思われるそいつらは埃をかぶっており、年度の部分をみればその全てが二年以上前に開かれた大会であることに気付いた。乾は都内で六位らしいなんて情報を前言っていたけど、明らかにそれが間違ったものだということを多くの優勝の文字が語る。少しの間黙り込んだ三井は俺の視線に急かされて再び声を発して空気の波を立てた。

「あの人は、今担当してる選手が海外に渡るとかで、わたしを連れていく気はないから母の元へ向かう準備をしろと言いました」
「え…」
「母はわたしに来て欲しくないみたいでしたけど、祖父母の説得でなんとか行くことになって、今は荷物をまとめています」
「そんな。ってことはお前」
「祖父母の家は青森なので、はい。転校することが決まってます」
「おかしいだろそんなの!受験は許したんだろ、入学して二ヶ月だぜ?母ちゃんが戻ってくりゃいいじゃん」
「あの二人にとってわたしはその程度なんですよ」

絶句する俺に「学費は父が全て払っていましたからね。別居する母方へ行くわたしにそこまでの義理はないでしょう」淡々と述べる三井の瞳は重く暗い。海外に渡ってテニスなんて、俺には到底及ばない次元の話だ。例えば手塚とか、全国で待ち構えているトップレベルの選手。そいつらの専属コーチなんてきっとすごくやりがいがあって楽しみなことなんだろう。だけど。

「なんで三井が我慢しなきゃなんないの」
「…だってわたしは選手じゃない」
「ああそうかよ、たかだかマネージャー続けるために転校したくないなんて言えないもんな。じゃあ青学の全国優勝なんてちっぽけな夢諦めるのも簡単だ」
「ひどい。わたしそんなこと言ってないじゃないですか」
「言ってんじゃん。父さんに言ってやったのかよ、青学にいたいって言ったのかよ。それともなに、ほんとに転校して俺たちとおさらばしたいってわけ」

勝手にそんな辛いこと一人で決めて、なんのためのチームだ。イライラとした口調に「菊丸先輩には分かりませんよ」三井は立ち上がるとベッドへダイブし仰向けになった。「おい逃げんなよ」「逃げてません」一応返事は返すらしい。俺は三井に背を向けたままベッドに浅く腰掛ける。

「なんでテニス辞めちゃったの」

後ろで息を飲んだのが分かった。言いたくないことの一つや二つ、人間なら誰だってある。普段のらりくらりと当たり障りなく人と良い関係を築いてきた俺だ、今までなら人に深く迫るなんて嫌われること絶対しなかった。お互い楽しい方がいいじゃん、こんな青春っぽいの面倒じゃん。そう思うのに今日は聞かずにはいられない。

「…腕と繋がる大事な神経を損傷して」
「…やっぱり怪我か。親父さんお前にめっちゃ期待してたろ」
「菊丸先輩もエスパー?」
「だれが不二だ、だれが」

チッチッチッチ。部屋では時計の針がやけに大きな音を響かせていた。

「わたしがテニスを出来なくなって、家族は崩壊したんです」

父親は娘を立派なプレイヤーに育てることで将来に夢を見、母親もそんな姿をみて喜んでいた。テニスが家族を繋ぐ絆だったのかもしれない。そんなとき、娘の身に降りかかった怪我だった。

「怪我をしてからの両親は生きがいをなくしたようで喧嘩も絶えず、やがて母は家を出て行きました」

小さい頃から期待を背負い、そんな肩身の狭い思いをするなんて俺には全く想像もできないし理解してもやれない。でもそんな俺でも、一つだけ分かることはある。

「わたしはどうしても、あの人に逆らえない」
「怪我をした罪悪感で?」
「だからせめて今のわたしは親の迷惑にならないよう生きていかないと」
「…ちがうだろ、お前は誰の邪魔もしたくないんじゃなくってさ」
「、」
「必要とされたいんだよ」

起き上がった三井の顔は、もうぐちゃぐちゃで見れたもんじゃなかった。けど「きったねー顔」なんて言って笑ってやると文句でも言いかけてきたから、ぽふっと自分の胸に顔を押し付けてやる。あーあー何やってんだ俺は。外はまだまだ大降りで、俺もまだ帰れそうにない。


(140805 執筆)
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