「実際のところ、アタシも詳しくは分からないんだ」

沈黙の続く空間をやぶったのは運転席に座るスミレちゃんだった。低い音を立て、時折タイヤが水しぶきを上げながら七人乗りワンボックスの彼女の愛車エルグランドが走る。車内のラジオからは群馬県で行方不明となった小学校高学年の女の子のニュースが流れており、助手席に座る手塚は瞬時にそれを音楽番組に切り替えた。

「アタシと手塚が聞いたのは、あの子が青学を退学するってことだけだからね」
「退学?まさかバカすぎて?」
「いや、三井は成績優秀とは言わないまでも退学を迫られるほどギリギリの成績ではない。入学試験の順位で言えば中の中の上といったところか」
「微妙すぎてコメントしづらいね」
「ああ。詳しく聞いた訳じゃないが、金銭面で在学し続けるのが難しいと言っておった」
「そうか…」

そういうことなら教師であるスミレちゃんはちょっと聞き出しにくい。「いつ退学するって?」大石の質問に「分からないが出来るだけ早く行くと言っていた」と手塚が答えたところからして、ひなたちゃんは転校するんだろうということまでは判断できる。金銭面…やはり家庭の事情か?乾にも考えを乞うも、これだけの情報ではさすがの彼もお手上げのよう。

「先輩のプレイを部外者が才能の一言で片付けないで下さいと言ってるんです」
「天才は天才でも、不二先輩は『努力の天才』なんです」

彼女の顔を思い浮かべながらもう何度目かにもなる繋がらない呼び出し中画面を見て、僕は携帯を折りたたんだ。「あれ、不二スマホじゃなかったっけ」タカさんの言葉に二台持ちなんだと答えいつも使っている方を出すとタカさんは納得したように「そっか知らない番号なら出るかもしれないね」と言う。
明日は都大会の準決勝、そして決勝を控えているということもありスミレちゃんの強い説得で単独捜索はなしとされ、代わりに僕たちは車でひなたちゃんの家へ向かっていた。車の定員の関係上、ジャンケンで負けた桃と越前は捜索チームからは脱落。残された英二のテニスバッグとひなたちゃんの荷物を明日会場へ持ってくる任務が任されている。そう、あの子の退部が本人の意思によるものではないと分かった以上、明日の試合には絶対来させてやる。それは僕たちも試合に出ない部員も全員同じ気持ちだ。

「今更なんですけど、本当に校内にはいなかったんですよね」
「ああ。校内放送をかけたし、なによりあの後下校するサッカー部員から二十分程前に校門を出て行くひなたを見たと目撃情報があった」
「二十分か…。練習試合が始まったくらいだから、先生が職員室に行ってすぐということだな」
「そうだとしたら本当に何があったんだか」
「誘拐とかじゃないよね?」
「もうひなたの家に着く。推測はその後だ」

スミレちゃんの言葉通り、車は時間にして数十秒の角を一つ曲がったところで停車した。普通の住宅街であるその場所に佇むのは三井の表札が掛けられた立派な一軒家で、仮にも金銭面で困っているようにはとうてい見えない。皆も同じ思考だったようで困惑が広がる中、大石が立ち上がった。

「全員で行くのも変な話だ。俺が行くよ」
「そうだね。じゃあアタシと大石で行くからお前たちは車で待っといで」
「え、俺は…」
「出遅れたね、手塚」

皆が見守る中、意を決したようにして大石がインターホンに触れる。まもなくして返答が…なかったようなので今度はスミレちゃんがカメラ部分を覗き込みながらもう一度呼び出しを試みるも、向こう側から返答はなく住人は不在のようだった。確かに空がこんだけ暗いのに明かりのひとつも点いていないということは中に誰もおらず、ひなたちゃんも帰宅していないということだろう。車内へ戻ってきた二人はアテが外れたことで口を閉ざしている。

「電話も繋がらないか」
「チッ。子供が風邪引いて家飛び出してるってのになんて親だ」
「緊急連絡先は」
「父親の携帯だ。こちらも出る気配がない」
「…僕この辺を見てくるよ」
「こら不二、当てもないくせにさまよおうとするな」

いても立ってもいられず傘を手に車を飛び出そうと取っ手に手をかけたところで僕のポケットが震えた。スマートフォンを取り出すと『着信 桃城武』の文字が大きく中央に表示されている。スライドして応答した先では「あ、不二先輩でた!」興奮し焦った様子の桃が早口に何かまくし立てており、「ごめん、もう一度ゆっくり。深呼吸してから」落ち着くよう促して向こう側から一瞬間が空いたのを感じてから、発される言葉に耳を潜めた。

『不動峰の杏って二年が、三井のこと見かけたって言ってて』
「! 本当かい」
『今はストリートテニス場の近くにいるんスけど、こいつは不動峰中の近くで見たって言ってて、その、うおなにすんだ! 代わって!
「?」
『もしもし!それでわたし見たんです、変な男に腕を掴まれて、なんとか振り払ったあの子が走ってくの』
「キミ橘の妹だね。変な男?走ってったってどっちの方?」
『○△商店街の方よ。フラフラだったから心配になって追いかけたんだけど、わたし見失っちゃって…あ!ちょっとそういう訳らしいんスけど、先輩らはど』

要件の済んだ通話を切って僕は再び車の扉にある取っ手へと手をかける。「どこへ行く気だ!」手塚たちが引き止めるのを無視して外へ飛び出すと、勢いを増す激しい雨音が開かれた傘に向かって音を放ち、不快な湿った空気が身を包んだ。「待てよ不二」何を言われようと探しに行くという思いで僕は振り返る。

「俺も行くよ、どこだい」
「大石…」
「水くせェぞ先輩。俺も行く」
「俺もだ。な、皆!」
「海堂、タカさん、みんな…」
「ハア…こりゃ止めても無駄そうだね。いいかお前たち、風邪は引くんじゃないよ。ぬかるみや水溜まりには気をつけて、怪我など絶対しないように!」
「「ういっす!」」

例の商店街なら全力で走ればここから十分もかからない。二人組になって手分けして探すこととなり、隣を走る大石をチラリと盗み見る。あーあ雨で前髪が張り付いて…じゃなくて。いつもは個性派揃いの青学テニス部をまとめる常識人の大石がまさかスミレちゃんを押し切って僕の次に続くなんて、こんなこともあるんだな。『らしくない』大石を見るのはあの時ぶりで、僕は額にべっとりついた前髪を見つめる。

「大石たちってさ、」
「ん?」
「…いや、なんでもないよ。行こう」

気になるけど、大石の前髪事情なんて今はどうでもいいことだ。雨に髪が濡れているときなら分かるが、なぜいつも彼の前髪の位置は綺麗に保たれているのか。あと乾のメガネはなんでいつも反射しているのか。その疑問は胸にしまいこんで、僕は地面を蹴ったのだった。
僕は観月との試合の後、君の言葉に救われた。だから今度は僕が君を守ってあげる番だ。


(140717 執筆)
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