「本気なのか」

俺の問いかけに目の前の少女が頷いたのは今から約20時間前のことだった。セーラー服を規定通りに着用した三井はやっぱり何度見ても普段通りで、俺も竜崎先生も言おうとしていた言葉を失ってしまう。放課後の職員室には俺たち三人しかおらず、辺りは静寂に包まれていた。机の上に出された退部届は白い紙が夕焼けに縁取られ、文字を濃く浮かび上がらせる。

「アンタにゃ選手と同じくらい、期待をしてたんだがね」
「お力になれずすみません」
「うちが全国に行こうと途中で負けようと、部外者として噂を耳にしたとき後悔はないんだね?」
「するかもしれないけど。わたし一人いなくなったところであの人たちは大丈夫でしょう」
「志願届を俺に提出したときの意気込みはどこへ行った。えらく弱気なんだな」
「強さは知ってますから。乾先輩もいるし」

竜崎先生の席からはテニスコートがよく見える。外は今週から始まったランニングに文句を言いながらもなんだかんだ部員が部活へと励んでいた。「青学ー!」「ファイオー!」大きな掛け声に一瞬気を取られたように見えつつも、「それでは」軽く会釈をし三井は窓に背を向ける。

「待て」
「なんですか」
「明日、何時でもいい。自分の口で直接部員に伝えてくれ。これを受け取るのはその後だ」
「……」
「お前は二度とコートには立ち寄らない気だっただろうがな」

トントン、机を人差し指で叩いてやると感情のない声で肯定の言葉が聞こえた。いよいよ引き止める口実のなくなってきた俺に代わり「いつだい」静かな声で竜崎先生が尋ねると「まだわかりません」と返事がある。スクールバッグを肩に掛け直した三井は睫毛を震わせた。

「出来るだけ、早く行くと思います」
「そうか」
「じゃあ他の先生に見つかると困るので失礼します。学校休んでる身なので」
「ああ」

やつが出て行ったのを見て「困ったねえ」竜崎先生は頭を抱える。「あいつを見た後じゃ他の子なんて考えられんよ」俺だけに届く呟きは、よどんだ蒸し暑い空気の中に消えていった。





コートでは不二対越前の試合が始まってからもうすぐ十分が経過しようとしていた。越前はと言えば不二のトリプルカウンターの一つである羆落としを攻略するためさっきから試行錯誤を繰り返しており、おいおいスマッシュ練習の時間じゃないんだぞと溜め息。この練習試合の意図を分かっているのか。

「あー越前また失敗だァ。…どうしたカチロー、元気ないじゃねえか」
「だって、三井さんがあんなこと思ってたなんて」
「そうだよ堀尾くんはショックじゃないの?一年生だけどリョーマくんと同じように部活で活躍してるの、僕は尊敬してたのに」
「そ、そんなの俺だって」

一年生の部員の話し声が聞こえる。いつもなら俺や竜崎先生が試合に集中するよう関係のない私語を注意するものだが、今日はなぜかそんな気分にはなれなかった。先生は病み上がりでまだ熱もある三井を家まで送っていくとかで現在は席を外しており、大半の部員はあちこちでその話をしながら試合を見学しているようである。しかしレギュラー陣はといえばさすがに切り替えも早い。ストップウォッチに影を落とした乾が口を開く。

「そろそろ十分か…桃、Bコートに入れ。出番だ」
「うっし、待ってました!で相手は誰っスか」

全力疾走のあとの疲労の溜まり方には個人差がある。それぞれにとって一番負担が重い時間帯にどれだけ集中できるか、それがこの練習試合の狙いだ。「俺がやる」Aコートの審判台から降りながらレギュラージャージを脱いだ俺に、皆の視線が一気に集中する。これがカリスマ性。そうだ今がシャッターチャンスだ、遠慮はいらん!

「こんなときに部長とかい…」
「どうした自信がないなら素振りでもしておくか」
「冗談!やる気満々っすよ。で、部長」
「なんだ」
「俺が勝ったらあいつが辞めるって言ってる本当の理由、教えてもらえますよね」

ニカッという効果音が似合う桃城の表情に俺はお決まりのマイナス9232℃のアイスフェイスで対抗した。「いいだろう」そう答えれば三井の退部の理由が別にあるのを意味することになる。しかし部長ともあろう者が後輩の挑戦を断るなどしていいものか。俺が返答に迷っていると今度は大石との対戦を控えた菊丸まで「お、いいなそれ!俺も俺もー」なんてこちらに乗り出して来る始末だ。

「あのさあ手塚。俺たちがあんなので納得したと思ってんならおー間違いだかんな」
「そうそう。だってあいつただの熱血だし」
「熱血って言葉が恐ろしく似合わない子だけど」
「なんだ皆も分かってたの」
「そりゃ分かるでしょうよ!」
「フン…最初騙されてたやつが何格好つけてやがる」
「あ?」

そうかこいつらが騒がず試合に集中していたのは三井の退部の理由が別にあると全員が確信していたからだったか。「そりゃ一瞬は信じそうになったけどよ」ぐるっと周りを見渡した桃城は「もうお前の部長じゃないって言われた後のあんな悲しそうな顔見せられたら、なあ?」単純そうにみせかけた一番の曲者に、他の者も頷いた。「まじか、」目を逸らす者ももちろんいただろうが。そんな者たちを見かねてか、口を開いたのは菊丸だ。

「ある偉人の言葉に、こういうのがある」
「…?」
「女の嘘は、許すのが男だ。ってね」
「ただのサンジだ」
「リスペクトしてんのかな…」
「いや同じ女好きでもタイプ違うような…」

ちょっと格好いいじゃないかと思ったのに、だめなのか。なかなか皆厳しいな。そして前も思ったがワンピースが暑いとはどういうことなんだ。

「にしてもあいつ、不二先輩前によくああも堂々と心にもないこと言えたな…」
「あのなあ、海堂。男は嘘をつくとき視線を逸らすけど、女は相手の目元をみて嘘をつけるんだよ」
「だからお前には彼女が出来ねーんだ」
「テメーもだろうが桃城!つうかそこまで分かってるならあの場で引き止めれば良かったじゃねェか!」
「そりゃその気持ちは山々だったけどよ、理由が分からないんじゃどうせ言いくるめられちまうと思ったわけだ」
「…分かった。お前が試合に勝ったらだな」
「部長、」
「おっしゃ言ったッスね!」
「よーし大石!勝負しょーぶ!」
「おう。手塚、俺とも賭けよう」
「俺ともだぞ」
「そんな勝負受けるか」

桃城だけずるいだのなんだのと文句を垂れてくる黄金ペアを華麗にスルーしてラケットを手に取る。俺だって好きで黙っている訳ではないが、練習でも勝負は勝負。お前も試合で得たいものがあるように、俺もお前に得てもらいたいものがあるぞ桃城。左腕をそっと撫でグリップを握り直すと、俺はコートへ足を進めた。


(140716 執筆)
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