それは聖ルドルフとの第三試合が始まるより、少し前のことだった。

「次の対戦校は、と」
「聖ルドルフ学院だ。おまえもマネージャーならそれくらい把握しておけ」
「わたしは青春学園とかいう恥ずかしい名前を背負うので精一杯なので」
「聖ルドルフといえば、不二の弟が通っているんだったな?」
「ふふ、よく覚えてたね。乾」
「え!不二先輩の弟」
「なに、見たいの?」
「見たいです!」

珍しくテンションを上げたひなたちゃんがそう言うもんだから僕は彼女を連れ、壁打ちをしているだろう裕太のもとへと足を運ぶことになった。それにしても失礼な子だなーひなたちゃん?どうせ『血が繋がってるってことは弟もこれくらい腹黒いのかな。あわよくば弱味とか教えて頂こう』とか考えているんだろうけど、顔に書いてあるからね。そのウキウキとした足取りを深く深く沈めてやりたいよ、そうだな大王イカの生息水域水深200メートルくらいまで。

「なんて恐ろしい顔をなさるんですか不二先輩」
「ふふ。やだなーどこがだよ人聞きの悪い」
「……。あれ」
「何だい?」
「先輩、ここんとこ何か付いてますよ」

そう言ったひなたちゃんは自分の左頬を指していた。同じところをグイと拭えども、もうちょっと右だとか上の方だとかで中々取れない。別に下品なものじゃなかったら何か付いてたって別に構わないんだけど、彼女が僕の顔をしっかり見ながらあーだこーだ言うのは悪くなかった。ちょっとからかっちゃおうかなと思うくらいに。

「分かんない。取ってよひなたちゃん」

目を瞑って、彼女の身長に背丈を合わせる。もちろん背が低いひなたちゃんが手を伸ばしやすいようにそうしただけなんだけど、違うシーンを想像して照れ顔でも見れたら可愛いなって。その姿を後でからかいネタに出来たら面白そうだし?なんて薄く目を開く前に、鋭い衝撃が頬を襲ったのはお約束というやつかもしれない。

「取りました」
「…今、指で弾いたよね」
「いやだって不二先輩のお顔に出来るだけ触れないようにと思って」
「何、その汚いもの扱い」
「顔が怖いです」
「…そういう何でもないみたいな態度、僕も男として傷付くんだけど?」

クイとあごを持ち上げると生意気な後輩と目が合った。箇所は額じゃないけど、デコピンで払われるなんて到底予想だにしてなかったなあ、どうお仕置きしてあげようか。びっくり顔のひなたちゃんの眉間に三倍返しをぶち込んでやってもいいんだけど、そうだな…

「あ!不二周助!」

遮ったのは知らない声だ。条件反射で声の方を向くと、いつの間にか到着していた壁打ちスペースの向こうで裕太ともう一人聖ルドルフのユニフォームを着た男が立っている。テニスバッグを背負っているあたり、もうそろそろオーダーを聞きにルドルフの場所へ戻るんだろう。裕太の隣にいた部員らしき生徒は裕太に何かを言って怒られたあと、あわあわとこの場を立ち去っていった。

「兄貴」

微妙そうな顔でこちらを見つめる弟に僕はにっこりと笑みを浮かべる。

「やあ。元気そうだね裕太」
「……」
「どう?寮生活にはもう慣れた?」
「…ああ」
「てっきり裕太はシング」
「ちょ、不二先輩不二先輩!!」
「何?」
「え、なにその怖い目。じゃなくて!もしかしてこちらが噂の…」
「うん。僕の弟の裕太」

思っていた感じと違ったのか、ひなたちゃんはえらく感動した様子で「ちゃんと育ってる」と呟いた。どういう意味かな夜道で怖い思いさせてあげようかな。僕の纏う空気を読んだのかひなたちゃんは秒で黙る。そして裕太の視線を感じたからうちのマネージャーだと紹介すると、すごく微妙な顔をされた。同情するなら金をくれ、だよ裕太。

「三井と言います。不二先輩には、その、とととてもよくしていただいてます」
「噛むなよそこ」
「言わされてんだから仕方ないです」
「…と、こういう子なんだ」
「中々いない感じだな…」

さすが裕太はよく分かってる。こんな子探したって早々いない。うちのレギュラーに変な色目使わないどころか次々に恋愛フラグ折っていくし、現に僕だって彼女には振り回されっぱなしだ。というか躱されっぱなし?久しぶりに楽しませてくれる子、僕の大切なオモチャ。だけど自分の思い通りにいかなすぎるのもそれはそれで不満なのも事実であって。

「それで、裕太はここで自主練してたの?」
「え、ああ」
「越前なんか寝坊してきたのに、他校の生徒さんはやっぱ違いますね」
「だから寝坊なんてするの君と越前くらいだってば」
「……」
「ん?」
「要するに俺がはりきりすぎだって言いたいのかお前」
「へ。全然そんなつもりは」
「言ってんだろ!俺は直前まで練習してて、あの一年のやつは寝坊するくらい余裕あるって、そう言いたいんだろ?!」
「いや違うんですけど。なんて考えの飛躍しちゃう人なんだ」
「まあまあ裕太、落ち着いて」
「っ、触んじゃねえ!」

頭に血が昇っている裕太を落ち着かせるために頭へ置かれた僕の手はコンマ数秒も経たない内に勢いよく振り払われる。それは、明らかな拒否だった。裕太の目にはいつまで経っても僕の姿は映されず、力のこもった肩は警戒を示している。

「いつまでも兄貴ヅラすんなよ!不二周助の弟なんか、したくねえ!」
「裕太」
「マネージャーまで引き連れて、俺のことからかいにきたのか?もう帰れ、さっさと青学の場所に帰れよ!」
「……」
「俺は全身全霊を賭けてその一年を倒す!」
「……」
「兄貴は観月さんにこてんぱんにやられるといいさ」


家に寄り付かずほとんど連絡も取れないとはいえ裕太はたった一人の弟だった。確かにちょっと虐めすぎたなと思うときもあったけどあれは分かる人には分かる愛情表現であり、これでも裕太を心配もしている。なのに『観月さんにこてんぱんにやられればいいさ』か。ちょっとそれは、さすがに堪えるかな。

「どうしたんスか?不二先輩」
「越前と弟くんの試合、もうすぐ終わってしまいそうだぞ?」
「うん…そうだね」

裕太に振り払われた手。それを見つめながら、僕は遠くから越前が勝ったことを告げる審判のコールを聞いた。と同時に隣でなにかをノートに書き込んでいたひなたちゃんが腰をあげる。どうやら未だベンチに座っている観月のところへ向かったみたいだけど。

「おや、何か用ですか?」
「余計なことかもしれませんが。あの裕太さんのショット、やめさせた方がいい」
「……」
「まだ骨格も出来上がってない時期にあんな無茶な体勢で打つショットを打ち続ければ、あの人は間違いなく肩を壊しますよ。先生もよく言ってました」
「ふっ、そんなこと…僕の知ったこっちゃない」
「!」
「用はそれだけですか?」
「チームメイトをなんだと思って…!」
「用件が済んだのなら、失礼します」

今からアップを始めるようで、余裕そうな顔を未だ崩さない観月をじっと見つめる。当然今の会話が僕の耳に届いていたことは分かっているはずだし、喧嘩を売られたとみてもいいのかな。少し遊んでやるか、いつもよりガットのストリングのテンションが違うラケットを取り出し、僕は人知れず微笑んだ。
手塚、そろそろ試合やりたい?でもね、残念だけど今回も君まで回りそうにないや。


(140713 執筆)
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