やっとの思いで家族の誤解を解き(知ってても茶化してくるんだろうけど)脱衣所から出てきた三井を自分の部屋に押し込んだところで、俺はようやく温かいシャワーを浴びることができた。兄ちゃんたちに会わせたら絶対うるさいからな、乾燥機が止まったら速攻で帰らせてやる。チャチャッと適当に髪を乾かして脱衣所を出ると、外では大きい兄ちゃんが麦茶とグラスをお盆に載せて立っていた。

「ほい。後輩きてんだろ」
「ありがとーさっすが」
「後輩って桃か?」
「桃じゃねーよ、テニス部のマネ」
「じゃあ桃子か」
「うんそんなかんじー」

うちの家族をいちいち相手にしてたら朝になる。ちなみに桃はよく泊まりに来たりするから皆知ってて、中でも兄ちゃんとは意気投合してるんだよな。俺と兄ちゃんは相部屋だから三人で朝までゲームして盛り上がったりなんかしてさ。とそんなことを思い出しながら階段を上がり、左から二つ目の部屋をノックする。おーい、飲み物もってるから開けてほしいんだけどー?

「三井ー?」

着替え中とかだったときのため一応ゆっくりとドアを開けると、くまの大五郎の足を枕に三井はスヤスヤと眠り込んでいた。無防備すぎわろた。まあ今日は大会だったし疲れてるんだろうな、こんな気持ち良さそうに寝てんのを起こすのは可哀想だし仕方ない…って

「んなこと思うかよ起きろ」

げしっと頭を足蹴りにしてやるとめちゃくちゃ不機嫌そうな三井が起き上がった。「んーー」と目元をこすってこちらを睨むあいつにほれと麦茶を差し出す。ぶかぶかの袖が伸びてきて、あーやっぱり俺のパーカーじゃでかかったかとちょっぴり反省。

「あー先輩。お風呂と着替えありがとうございます。しかも下着までわざわざ」
「それは大きい姉ちゃん、うちの長女に言いなよ。Aカップじゃでかすぎましたって」
「…お礼言ったわたしが馬鹿でした」
「ほら、それ飲んだら帰んな。送る」
「泊めてください」
「…ハア?あほか帰れって」
「女を部屋に連れ込んでおいてそれでも菊丸先輩か!チャラ男の名が泣きますよ!」
「おまえ言ってること意味不明だぞ」
「泊めてくださいってば」
「なに、泊めたらおまえのこと好きにしちゃうよ。いーの」
「は?」
「ま、求められてもおまえなんて無理だけど」

一丁前に睨みを効かせてくる三井は放っといてベッドに腰掛けると「なにをですか!」とやつが詰め寄ってくる。意味分かってないのかよこの成りすましビッチ。そういや今更だけどさ、この状況ってもしかしてだめなやつ?俺の部屋で(正確には兄ちゃんとの部屋だけど)俺の服着て、って不二とかにバレたら殺されるかもよ俺。なんで不二がこんなちんちくりん気に入ってんのかは全然わかんねーけどさ。

「あれ?」
「なんだよ」
「トロフィー、全部先輩の?」
「…ああ。それ」

三井の視線の先にあったのは、俺がテニスで勝ち取ってきたトロフィーや賞状たちだった。隣には必ずそのときの集合写真が飾ってあって、今より少し幼い顔立ちをした手塚や大石がピースサインを輝かせている。ま、全部そんな珍しいモンでもないんだけどな。気が向いたこともあって俺は近くのものから順に自慢してやることにした。

「これはDUNLOP主催の東京テニス選手権のやつ。もちろん優勝」
「へー」
「で、これが去年の秋大会。大石とのダブルスで初めて全国に行ったんだよな」
「…」

秋の大会は個人戦で、シングルス部門とダブルス部門で分かれてる。関東大会では青学は皆いいとこまでいって入賞もしたんだけど、全国大会に行けたのはシングルスで手塚、ダブルスでは俺と大石のペアだけだった。そ、不二も実は行ってねえの驚きだろ?しかも俺たちはそのとき一勝すんのがやっとでさ。あとの時間は手塚の試合を皆で応援するだけだった。あんな悔しかったのは初めて。

「だからさ、最後の年こそ団体戦で全国いきてーんだ。青学全員で」
「…」
「ってこんなことおまえに言ってもか」
「…ましょ」
「ん?」
「行きましょう、全国」
「ああうん。そうなんだけど…なんかおまえ、今日変だよ」
「先輩はいつも変ですけどね」
「なんかあったか」
「え」
「俺はおまえなんかどうでもいいし、興味もない。だから何打ち明けられても明日には忘れてるよ」

まあそのどうでもよくて興味もない相手をご丁寧に部屋まで連れてきたのは俺なんだけど。な?と同意を求めると、たしかにそうだと思ったのか三井はうなずく。そして顔を合わせないようにしながら、やつは口を開いた。

「今日、女子の試合もあったじゃないですか。二年前までダブルス組んでたパートナーに、会ったんです」
「ああ…おまえ軟式やってたんだっけ」
「はい。あのときより背も伸びて、仲間に囲まれてテニスが出来て」
「…うん」
「わたしには何にもないのに、なんて」
「三井、」
「ちょっとしんどくなったんですよねーハハ」

かわむら寿司での打ち上げが終わって、駅で海堂とも別れたら無性に自分がテニスをしていたときのことを思い出して、なんの考えもなく適当な駅で降り、辿り着いたのがさっきのコンビニだった。とまあまとめるとつまりこういうことらしい。なんで三井がテニスを辞めたのか、それが分からないからどういう思いであの涙が流れたのか、俺は知らない。ただ、あの三井が頬を濡らしていた現場に居合わせて、「別におまえなんかどうでもいい」なんて思い込めるほど俺は非情になれそうにない。

「すいません、変な話して」
「いーよ。肝心なこと話されてないから正直よく分かんねーし」
「……」
「嘘だって!言いたくないなら言わなくていいよ!なんだよもう、気ぃ遣うなあ」
「すみません」
「ハア。…今日だけだからな」

きょとんとした顔して、やつが俺を見る。

「今日?」
「泊めてやるよ。一人にするとうだうだ落ち込みそうだし」
「落ち込んでるわけじゃ…いや、ありがとうございます」
「けど姉ちゃんの部屋な」
「当然です」
「…。まあいいや。あとテニステニスって言うけど、俺はおまえがマネージャーなんてまだ認めてないからな!くよくよする暇あったら、早いとこ俺を納得させてみろ」
「…とうぜんです」
「それで気持ちの整理つけてさ、話す気になったら言いなよ。ブス」

人間言いたくないことの一つや二つくらいぜったいある。それが崩れるのは相手のことを信頼しきったときか、自分がボロボロで完全に弱ったときだけだ。ま、こいつはすぐ立ち直るだろうけど。そう思ったところで三井と視線が重なる。もーこういうくすぐったい空気苦手なんだよ俺。最後に付け足したブスに反応してこの雰囲気なんとかしてくれねーかな。そんな俺のせこい思惑に反して、三井が取った行動は予想外もいいところ。

「先輩だけ、ですよ」

いつものあの無表情をちょっとだけ崩し、俺だけに向かって笑うもんだからなんかもう、何も言い返せなかった。あーそれにしても良かった、コンビニの前であんなことしてたらてっきり万引き捕まったか強姦でもされたのかと思っちゃってたよ。後輩がレイプされたの励ますってぜったいめんどいもん良かったー、なんて言った瞬間にぶん殴られて。ほい、かゆい雰囲気終了のお知らせ。そして俺を殴るとはコイツゆるさん。

「明日朝練行くとき、おまえが前漕げな」
「そんなの菊丸先輩が周りに『あの人女の子に漕がせてるー』って思われるだけですよ」
「? なんも問題ないけど」
「…暴君」
「ほら姉ちゃんの部屋行って事情説明するから、お前もこい」

五月は何だか、今までの一か月と比べて随分と濃かった気がする。その原因は中途半端な時期に入部してきたこの変なマネージャーのせいで間違いない。にしても普段強気なあいつを見慣れていたから、今日はいつもに増して濃い一日だった。

「先輩だけ、ですよ」

あの一言が頭にこびり付いて、何だか上手く寝られそうにない。


第一部 完
(140606 執筆)
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -