「失礼します、手塚です」

ノックをして名前を名乗り、用件を告げ入室の許可をいただく。それが職員室でのルールだ。しかし現在、室内にはピンクのジャージどころか人影さえもまったく見当たらなかった。ゆらゆら踊る白いカーテンと飲みかけのコーヒーカップたち。電気も点いたままだからどこかで会議中なのかもしれない。
せっかく部誌を書き上げたのにと肩を落とすもそれは数秒。さて、先生はいらっしゃらないみたいだし今日のミーティングの結果なんてとても報告できたもんじゃない。メモに書き置きでもして今日のところは帰宅しよう。一応もう一度失礼しますと言ってから俺は行き慣れた竜崎先生のデスクに向かう。机上にはやはり書類が積んであった。

「先生へ、…と」

マネージャーの選出。それは青学男子テニス部にとって初めての試みだった。だが一週間前に募った希望者は四十人もいながらほとんどが…その、いつもテニスコートを囲んでいる女子生徒たちで。コートの外側からではなく内側で応援をするだけだと安易に応募してきたことは体験入部初日ですぐに明らかとなった。ウォーミングアップや基礎練の時間はペチャクチャ私語に励み、一年の球拾いを手伝う素振りも見せなければ、試合形式が始まると途端に騒ぎ出し、1ゲームごとにタオルを渡す争奪戦。短期間では判断できない部分もあったとは思うが「まさか明日も連中をコートに入れる気っスか」なんて普段滅多に意見などしない海堂に言われてしまえば、即打ち切りにする他なかった。

「そもそも女子マネなんて必要っスか?どうせ部長か不二先輩目当てでキャーキャー言うだけっスよ!」
「もしくは英二あたりがソッコー手付けて、部室でやりたい放題…かな。クスッ」
「縁起わりぃ言い方やめて下さい!」

最初こそ女子マネージャーという響きに張り切っていた一、二年も今ではすっかり後ろ向きであるし、五月という時期では殆どの人間が別の部活や勉強に励んでしまっているのも事実だ。困った事態である。そういえば桃城が「どっかに南ちゃん落ちてねーかなー」などとぼやいていたな…何年生の生徒だろう。最後の頼みの綱、南ちゃんか。無事竜崎先生への伝言を書き終えてキティちゃんを筆箱にしまう。そのときだ、背後で大きな音と声が響いたのは。

「しつれーします。センセー」

棒読みで、抑揚のない声だった。職員室にはまるで似合わない、やる気のないそれを発したのは知らない女子生徒である。生徒会長の俺が知らないとなるとおそらく新一年生だろう。その女子生徒はキョロキョロと周りを見渡したあと「…あれ?」と小さく呟いた。まあたしかに職員室に先生がいないなんて事態、誰も予測していないだろうが。

「先生方なら不在だぞ。多分」
「あ、どうも。竜崎先生のデスクは」
「ここだが…」
「あっそうでしたか」
「?」

俺の発した助け舟に納得した様子の彼女は、勢いよく開けてそのままだったドアを閉めてこちらへ向かってくる。そしてハテナマークを頭上に浮かべた俺をよそに、まっすぐな視線を向けて女子中学生は言った。

「えっと、ソフトテニスの経験があります!」
「は?」
「硬式のルール覚えてきたんで審判と記録できます。必要なら球出しも!球拾いめっちゃ速いです」
「…と」
「あ、一年の三井ひなたです。男テニのマネージャーにしてください!」
「そ…うか、ではまず希望届を」
「テニス部に色めく心配はありません!」
「いやだからまず」
「好きな選手はドイツのボルク選手で、部員のファンでは決してありません!」
「だから」
「他何か必要な条件や適正はありますか?」
「……」

いきなりの怒涛の自己アピール、からの有無を言わせない姿勢、自信たっぷりの発言に俺の思考はフリーズした。ボルク選手か…確かに3歳年上でプロとして活躍する彼のプレーは見る度に心を奮わされる。いつか同じコートで肩を並べることが出来たならどれだけ…はっ!いけない、なにを現実逃避しているんだ俺は。危うくクールビューティーな自分を見失うところだった。そうだ雰囲気に飲まれてはいけない。相手は一年生だぞ、冷静に対応し三年たる所以を示してやらねば!

「意欲は分かった、だがまず」
「当然採用ですか、ありがとうございます」
「ああ採用………とは言ってない!」

なんだこの態度Lサイズ女は。びっくりしすぎて思わずノリツッコミしてしまった。この手塚国光をノリツッコミさせるとはどれほど規格外の女だ。しかし深夜録り溜めておいたお笑い番組を日々研究した成果がこんなところで発揮されるとは…じゃない、そうじゃないぞ俺。

「冗談です。まあ座ってください」
「…ああ」

名前はたしか三井と言ったか、とりあえずツッコませてくれ、なぜお前がイスを勧める…!こんなことで怒るなどクールビューティーの美学には反するが、去年までランドセルを背負っていた子供にナメられるわけにはいかない。冗談をかまされたことも一緒にぐっと飲み込んだ俺は腰を下ろし、女子生徒へ焦点を合わせた。
美少女。それがはじめて彼女をまともに見た俺の感想だった。容姿の描写は諸々の都合上省略するが、将来有望な美人。おそらく誰がみてもそう言うだろう。今まで見てきたマネージャー希望者に見られたような飾り気の類いが一切ないのも好印象である。とまあマネージャーをするにあたって顔はひとかけらも関係ないのだが。俺は気を取り直して話を切り出した。

「マネージャー志望、と言ったな?」
「はい」
「届け出はもってきたか?本来ならすでに締め切っているが」
「…とどけで?」
「ああ。何しろ希望者が多いと把握しきれないのでな」
「でもわたし、乾さんの推薦ですよ」
「…乾、の?」

表情にすら出さなかったが俺はひどく驚いた。なにしろマネージャーの募集を提案したのは他でもない乾なのである。彼は四月のランキング戦でレギュラー落ちしてからというもの、善意(と多少の打算)からマネージャーを買って出てくれてはいるが、本業は選手。自身の練習の時間も割くとなるとマネージャー業務を一人で回すことは困難である。その乾の推薦だと言うのだ。ならばきっと素晴らしい人材に違いないが…あ!そうか、そうだったのか。

「君は桃城の言ってた『南ちゃん』という人物だろう?」
「え、わたしタッチの南ちゃん的な感じっすか」
「なぜ聞く。自分のことだろう」
「なんか照れます」
「ああ。すまない、秘密だったのか」
「?」
「?」
「天然さん…ですか?」
「あ 申し遅れたが俺は部長の手塚だ」
「いや、違うくて。…は?」
「?」
「うっそ先生じゃないんだ、まじか。…あ、声出ちゃった」
「……」

繊細な十四歳の心をいとも簡単に傷つけた彼女は俺がテニス部の顧問ではないと分かった瞬間、即座に省エネモードへと移行した。目の前にいる男は一体誰なのか訝しげな目線を送る始末だ。自分が入部希望する部の部長を知らないとは、本当に部員には興味がないのだろうか。とはいえだぞ、こんなイケメン教師が早々いてたまるか!鏡を見れば美しい顔立ち、唇の端には茶色くなった血の塊をこびりつけてい…じゃない、そうじゃないぞ俺。冷静になろうこんな些細な勘違いくらい笑って許してやろうじゃないか。それは部長としてのプライドを守る、唯一の方法でもある。
眉間をピクピクさせながらも、俺は必死で笑顔を作った。駄目だどうしてもひきつってしまう。今まで難なくこなしてきた上級生の余裕をみせることが、今はとてつもない神業のように思える。筋肉が震えた。どうだ、これが俺のベストを尽くした余裕の笑みだ!
三井は、明らかに嘲笑しながら言った。

「その顔、どうしちゃったんですか?」
「…………………」


(20140227 修正)
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