不思議な光景だった。

「返してもらえますか!」
「うん、どーぞ」
「……っ」
「どーぞ」

にやにやと意地の悪い笑みを浮かべた英二先輩といつものポーカーフェイスが嘘みたいに顔をわなわなさせる三井。先輩の手には青学指定のセーラーにつけるリボン?スカーフ?まあそんな感じのものが握られていた。ぴらぴら、あいつが届く位置にそれを下げて取り返す手が伸びてきたかと思えばまたひょいと自分の頭より上の高さまで上げて。またそのスカーフをぷらぷらと揺らす様は、いいように遊ばれているとしか言いようがない。

「あれー。いらねーの校則違反になっちゃうよー?」
「アンタほんとガキみたいだな!」

「なにしてんだろうな菊丸先輩と三井」
「毎日飽きないよね」
「あ、リョーマくん遅刻しちゃうよ!」
「うん…」

で、なんで不思議な光景だと思ったかというと、あの二人を取り巻く雰囲気がいつもと少し違って見えたからだ。毎日のように言い争いなら見せられているはずなのに。堀尾やカチローたちに呼ばれて俺はその場を後にする。朝から元気だよね、ふわあと眠気がおそってきた瞬間に考えるのがめんどくさくなって違和感の正体はどうでもよくなった。





「ねー越前宿題みせて、いいのありがとー」
「なんも言ってないじゃん図々しい」

四限の授業を乗り切って大あくびをかますと前の席のやつが振り返った。だれと言われなくても三井だ。「なんのための帰国子女なの」少なくともぴーぴーうるさいあんたのためじゃないよね。こういうのは無視するに限る、がモットーのはずなんだけど、三井の胸元が地味というかさみしげで思わず目がいく。あ、さみしげって別に失礼な意味じゃないから。

「へえ、返してもらえなかったんだ」
「なんで知ってるの」
「朝練のあと見てた」
「助けてくれたらい…なんでもない」
「失望した目やめてよ、言っとくけどアンタのほうがチビなんだからね」
「あの人意外と身長あるのがむかつく」

アンタの場合英二先輩の全てにむかついてるような気がするけどね。「わたし悪くないのに」もはやこの言葉は定番と化していた。席替えの日から先輩と言い合いになる度に(つまり毎日)愚痴を聞かされる身にもなってほしいと思いながら俺は自分の弁当箱を机の上に取り出す。話半ばに聞いとかないと部活中に生臭いタオルが回ってくるし、かと言って真面目に聞いてたら昼メシ食いっぱぐれる。そして聞けば今回の言い合いも「目つきがむかつく」という大変しょうもない理由から始まったとのことだった。どっかいけ。

「ひなたちゃん、あの、先輩が呼んでるみたいなんだけど」

俺の思いが天に届いたのか、クラスメイトのスズマリがやってきてあいつは振り返っていた首を元に戻す。「あそこに…」と差された指の先を見れば廊下側の窓からちらっと三人くらいの女の人がいるのが分かった。髪は明るいし化粧してるみたいだし、きっとセンパイだろう。三井の呼び出しはマネージャーになってから珍しいものではなかった。しかも大体言い負かしてくるもんだから全くの他人事と言ってもいいくらいに心配していない。前の席のそいつは立ち上がるといつものようにさっさと廊下へ向かっていった。

「来たね、じゃあちょっと付いてきてよ」
「ご用ならここで伺います。歩くのがもうとてつもなくめんどくさいので」
「…は?」
「それともここじゃ話せないような話なんですか?別に人前で何言われてもわたしは気にならないんでいいですよ」

はい、向こうが話し出す前にあいつの完勝。人通りのある場所で真っ向から受けて立たれたことでセンパイらしき三人はもごもごと口を濁している。こっちは早く昼メシ食いたいんだよみたいな顔をしながら腕を組む三井を見ればどっちが悪役なのか分かったものじゃなかった。「おい、また誰か来たぜ」いつの間にか俺の席に集まっていた堀尾がそう言ったため口を動かしながらまた視線をやる。

「うちらがやる。二年は引っ込んでな」
「先輩、」
「どうも三井さん。久しぶり」

まあまあきれいな人だった。化粧しない方がいいのにみたいな人って多いけどこの人は完全に自分を活かす洗練されたメイクをしている。「あの人よくコートに来てるよな」堀尾の言葉に少し考えてみたもののそんな記憶は見当たらなかったから、まあ所詮その程度なんだろうけど。でも久しぶりってことはあいつとも面識があるってことだ。おともだちの様には見えないってことは…。

「あ!…えーっと」
「……」
「…えー、あの…うー」
「……」
「あー…っと、うん!ねっ!」
「思い出す努力はしたからいいよねテヘ!みたいな顔やめろ!」

「なあ越前止めた方がいいんじゃねーか?」
「大丈夫でしょ」

さすがにこんな教室の面前で手は出さないだろうし、あいつもまあ慣れてるだろうし。「あれから英二くんと気まずくなっちゃったじゃないの!」「緑香可哀相!折角うまく行きそうだったのに」取り巻きを後ろにそろえたあの女の人はどうやら英二先輩のファンのようだった。うまく行きそう…ね。そうやってその気にさせたところを落としてまた手出して、あの意地の悪い顔で楽しんでいる先輩の姿が目に浮かぶよ。ほんとひどい人。

「そうでしたか遊ばれる前に離れられてよかったですね」
「遊びってことくらい分かってた!それでも好きなんて気持ちアンタには分かんないのよ」
「はい。全く」
「…あんたそんなこと言って、結局英二くんのこと好きなくせに」
「マネージャーの立場利用して近付くなんて下品なことよく思いつくよほんと」
「は…?」

恋は盲目とは言うけど、なんでよりにもよってあいつは英二先輩が好きなんて発想に飛躍するんだろう。妄言を繰り広げる女の人には心底あきれてしまった。なんだなんだと他のクラスからも見物客が集まってくる。

「見たんだからね!あんたが今朝英二くんと二人乗りして朝練にくるの!」
「げ」
「え?!そうなのかよ三井」
「堀尾くんしゃしゃらないの」
「おいおい。それなら俺と二ケツで帰ったことも妬いてくれなきゃ、センパイたち?」

「桃ちゃん先輩!」ほんとにいつ集合したんだっていうテニス部一年トリオが叫んだ先にはよく知った先輩が立ち、女子軍団の中に割って入っていた。そういや今朝の練習の後になんとかってバンドのニューアルバム借りに教室くるって言ってたっけ。突然現れたレギュラーに女の人の塊もたじたじだ。

「それとも俺のことなんか眼中にないってか?悲しいなァ、悲しいよ」
「も、桃くん!わたしずっとファンで」
「そうなんスか?なら越前にも怒りは当然向いてるんッスよね?」
「へ」
「俺はただ『後輩』を乗っけて帰っただけだ。アンタらによるとそれがだめなんだろ?」

あーあ、まんまと言い負かされちゃって。そそくさと退散していく女の人たちの背中を見送る桃先輩に周囲から歓声が飛ぶ。「桃ちゃん先輩すごいッス!憧れるッス」堀尾なんて感動してすっごく汚い顔してるもん。さまざまな声を受けて桃先輩は振り返る。視線はなぜか真っ直ぐ俺へと向かっていた。

「よう越前、座って良い御身分だな?」





「先輩の周りってほんとバカ女ばっかりですね!」
「なんだよお前も構ってほしいの」
「だから浮かれたファンと一緒にすんなっつってんだ…んですよ」
「いや嫉妬とか勘弁して」
「してないですうざいです」
「おい越前、誰が足崩していいっつったよ」
「こういうこと初めてじゃねえそうだな?なに黙って見てんだお前、あァ?」
「予想の範疇にはあったものの、感心しないな」

その日の夕方、チクリ王桃先輩のせいで昼間のことが部内に知れ渡り、俺は部室で正座をさせられる。目の前にはやたらと柄の悪い先輩たちが俺を睨んでいて、足の痺れと足しても相当な威力を放った。ほんと、なんだかんだで可愛がってんだからさ。先輩たち。俺を「越前」と呼んだ英二先輩の目なんてまともに見れたものじゃない。


(140819 執筆)
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