とろん、とした瞼に目が据わってる。それだけじゃない、顔と目も赤いし火照っていて、口にする言葉も支離滅裂だ。酔ってるね、うん。そう言って新羅は俺に振り返って笑った。
仕事が終わってすぐ、事務所に戻ると言ったトムさんと別れ、俺は駅に向かった。終電に間に合うかどうかギリギリの線だったが何時もと同じ道を通り、変わり映えのしない町並みを眺めながら急ぎもせずに足を進める。もう深夜になろうという時間だが、この池袋と言う街は、眠らない。そんな賑やかな空間の中、俺を避けるように道が出来るのは何時もの事だった。別に気に掛ける必要もなく、俺はただ駅を目指し、煙草を吹かせる。そして、駅目前というところで、唇から落としコンクリートに灯った煙草を靴裏で踏み潰した。その瞬間、聞き慣れた声が鼓膜を震わせる。シズちゃん、シズちゃん、と何度も何度も俺を呼ぶ声だ。もはや、生理現象。あいつの声だと思うと、こめかみに青筋が浮かび、俺は、声の主を探した。姿は見えない。だが、俺は其れを見つけてしまった。駅前に、出来た人だかりを一目すると、ゆっくり、と歩み寄り人を掻き分ける。声は次第に大きくなり、俺は姿を視界に収めると一瞬だけ目を疑った。
横たわった黒い塊が、壊れた人形か玩具のように、シズちゃんシズちゃんと繰り返している。なんだ、これ。まじで。おい、と声を掛けようとしたが、躊躇った。理由は言わずとも分かるだろ。これ以上こいつと関わるといい事なんて一つもないことは目に見えてる。という事は、だ。このまま駅に入り電車に乗ってしまった方が俺にとっては懸命な判断ってもんだ。不思議と今日はこいつを殴る気も、殺す気も起きない。それは疲れているからだろうが、今の俺にとっては理に適っていた。だから断じて逃げるのではない。この終電を逃すと俺は帰れなくなる、ただそれだけの理由だ。後退るように、身を引き、静かに駅に足を向ける。それでも人だかりの中から聞こえてくる声が未だに俺の耳に吸い込まれ、ぎり、と奥歯を噛んだ。あー、まじか、俺。まじなのか。いつの間にかゆっくりになった足取りに舌打ちをしつつ、覚悟を決めて歩みを止める。くるり、と身体を回転させ、再び視界に入った人だかりに、たった今来た数十メートルの距離を戻った。どけ、と突き飛ばすように黒い塊を囲む人間を跳ね飛ばす。野次馬に囲まれた臨也は未だに、俺を呼び続けていて思わず溜息が漏れた。蹲ったままのコートを引っ張り上げ、上から覗き込む。うえ、と漏れた声に、苛立ちを募らせつつ、何してんだノミ蟲、と一言だけ言った。何時もならば、此処で殺し合い。もしくは逃げ足の速いこいつが逃げるところなのだが、今日は一味違う。いや、一味どころではない。何から何まで、全て違うように思えた。反応の無い臨也に、もう一度、おい、と声を掛けると、真っ赤な瞳に俺の顔が映る。それから、細められた瞳が歪み、臨也は俺に細い掌を伸ばした。
「しずちゃんだあ、しずちゃん、しずちゃぁあん」
ふふ、と笑う声が耳元に掛かり、俺は動きを止めた。何が起こったのか、理解するまでに多分数秒ほど掛かったが、今はすっかり理解している。抱きつかれた。分かってるだろうが、女にではない。ノミ蟲に、臨也に、だ。すりすり、と擦り寄ってくる仕草は猫のようだったが、可愛いなんてのは思っていない。決して、断じて、少しも思っては居ない。が、しずちゃんしずちゃん、と甘い声は臨也から出ているとは思えなかった。だから、調子が狂った。そうでなければ、俺の頭が狂ったか、どっちかしかないだ。シャツごと握り締めて足までしっかり、俺の腰に絡めてくる臨也を引き剥がすことが出来ない。投げ飛ばすなんて、簡単だ。しかも酒くせえしな。今ならこいつを確実に殺せるはずなのに、それが出来なくて、俺は自分自身でも理解不能な感情の中で、臨也を肩に担いだ。人目は別に気にしねえ。んなもん今更気にしてもしょうがねえ。それよりも、こいつをどうするかだ。片手でポケットを探り、取り出した煙草を唇に咥えながら思考を巡らせる。門田か?あいつなら近くに居そうだが、狩沢とか言ったっけ、あいつが居るのは厄介だ。門田以外となれば、そう考えたと同時に、遠くで、セルティのシューターが鳴いた音がした。それで答えは自ずと出た。あいつなら、こいつ任せても平気だろうと。そして、冒頭に戻るのだ。
池袋から新羅の家までそんなには離れていないが、臨也を運んでくる距離としては結構疲れる距離だった。それに、臨也は此処まで暴れる事はなかったが、減らず口はずっと俺の名前を呼んだままで。正直うんざりだ。やっとの思いで新羅の家まで連れてきたかと思えば、何しに来たのと、新羅に嫌そうな顔はされるわ、で、本当にいいことなんて何一つねえ。そんな事最初から分かってたつもりだが、こいつの嫌われようには呆れ返ったもんだ。それに追い討ちを掛けるように、新羅の診断は俺にも分かるようなもんで。溜息しかでねえ。こいつが酔ってる事くらい、こいつが池袋で喚き倒して居た時から知っている。其れを改めて言われるとなるとかなりイラっとしたが、何とか手を出さずに済んだ事を褒めて欲しいくらいだ。正しく言えば臨也を此処に運ぶまでに体力を奪われてしまったと言うのが正直な話なのだが。この際それは水に流しておこう。俺を見上げた新羅は心底興味なさそうに、臨也に水を手渡すと、で、どうするの、と問う。まるで厄介な俺たちを早くどうにかしたいような口ぶりだ。まあ、その通りなのだろうが。どうもするも、俺はこいつを此処に置きに来ただけだ。後は新羅に任せるしかない。煮るなり焼くなり、解剖するなり殺すなり、好きにしろ。そう言うと、新羅はいや、いらないから、持って帰って。と笑う。正しい反応だ。俺もこいつはいらねえ。やっぱり門田に預けて来るべきだったか、と考え、ソファでへばる臨也に視線を向けると、眠たそうな目と目が合った。しずちゃん、とまた思い出したように俺を呼ぶ臨也。なんだよ、と返事をすれば、臨也はそのまま俺の腰に張り付いた。
「今日は随分好かれてるみたいだね、静雄」
どうせだから、そのまま連れて帰れば。猫だと思って。新羅の言葉に一瞬満更でもなかったのは多分気の迷いだ。ノミ蟲がいつもと違うから血迷ったんだ。絶対に。ワンテンポ遅れて、いらねえよ、と突っ込むとじゃあ、京平行きだね。と新羅は電話を取る。その指が連なった番号に触れるのを、俺は思わず止めてしまってから、後悔した。腰には臨也の息が当たり、手には新羅の携帯。もう逃げれねえじゃねえか、俺。どう考えても逃げれねえ。僅かに怪訝な顔をした新羅が、静雄、と呼ぶ声に返事をするのも忘れるほど、俺は後悔しまくって、しまくって、そしてすぐに開き直った。こいつは持って帰ってやる。こうなったら。ほぼヤケクソに、臨也の首根っこを掴んで、逃げるように玄関に向かうと、もう一度新羅に声を掛けられ振り返る。なんだよ。と返事をすると、置いてってもいいよ、と新羅は困ったように笑った。こいつもヤケクソだと分かってるのだろう。その上での俺にラストチャンスを与えた。じゃあ置いていく。そういえば新羅は臨也を引き受けただろうが、俺はそのラストチャンスを使うことはなく、いらねえよ。そう言って口端を持ち上げ、振り返る。新羅は少し驚いたような表情をしてるようにも見えたが、それ以上何も言わなかった。言えなかったのかも知れないが、其ればかりは新羅にしかわかんねえ。じゃあな、と引きずるように臨也を担ぎ、ドアを閉める。ばたん、と閉まったドアの前、俺はこの酔っ払いをどうしてやろうか、とエレベーターのボタンを押した。






溶けゆく流星群に願い事、一つ二つ









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