これで、きっと、多分、確証は無いけれど、俺は一生シズちゃんの感触を忘れない。あわよくば、オカズにだって出来るし、大丈夫。半ば言い聞かせるように触れていた指先に残る温もりを閉じ込めるように拳を作り、俯けていた、顔をゆっくりと上げた。何と言ってはぐらかしてやろうかと、考えながら口角を上げて、いつも通り微笑んでみせる。シズちゃんは馬鹿だから、これ位で騙されてくれる。有り難い事なのか、それとも、悲しむべきなのか、俺にはもう判断は出来ないけれど。とりあえず、今の状況からすると、俺にとっては有り難い事だ、という事にしておこう。

しかし、そう思ってる矢先、シズちゃんはこの俺ですら度肝を抜かれる程、勘がよくなったりするのだ。野生の勘ってやつなのかどうなのか知らないが、こんな時に限って、と言う時は何時もそう。今も例外では無く。沈み始めた夕日にきらり、と輝く瞳は俺のぎこちない笑顔を映し出しているが、何処か真剣みを帯びている。正直恐怖さえ覚えそうなくらいだ。なに、どうしたの、なんて逸らかしてみたところで、彼は無言のまま、掴んだ俺の手を握り込んで、ゆるり、と俺の傷口を撫でる。数センチ先に、先程まで触れていた唇が揺れ、臨也、と囁くように優しい声色が俺の鼓膜をそっと揺さぶった。シズちゃん以外の人間ならば簡単に、やめてよ、と突き放す事が出来ただろうが、相手は彼だ。少なくとも俺が想いを寄せている相手を突き放す事など、俺には出来ない。かと、言ってシズちゃん、と声を発する事さえ出来なくて、熱の上がる全身を強張らせながら肩を竦めて、ぎゅっと目を閉じた。
「……おい…お前よお、俺のこと好きだろ、」
思わず、は?と漏れる声。持ち上げた目蓋に、唇や鼻先が付きそうなほど近くにある彼の瞳と目が合う。すると、途端に爆発するように顔が真っ赤に染まり、耳まで熱くなるのが分かった。たどたどしい日本語で、そんなの、あるわけ無いじゃん、と言うだけで精一杯。だって、事実だから。俺はシズちゃんが好きだ。大好きだ。でもはっきりと其れを言葉に出したことはないし、態度にも出した事は無い。はずなのに、本人に言われたとなれば、また話は変わってくる。まさか、何で、バレる訳なんて無い。そう自分自身に言い聞かせたところで、彼は、包み込むように俺の傷を撫でては愛しそうに目を細め、捨て台詞に、バレてるぞ、とニヤけた顔を惜しげもなく目の前に広げた。なんだこれ。そんなこと考えてる暇も無く、目の前がぐらぐらして、何だか今にも倒れそうなくらい気が遠くなる。
寧ろ、倒れてしまえていたら、いっそ楽だったかも、知れない。けれどそんな都合のいい話、あるわけも無い。
「……っ、俺は、っシズちゃんのことなんか、好き、じゃ、好きなんかじゃ、…な、い…よ?」
「ふーん。それなら別にそれでいい。俺も一応教師だしな。てめえが俺を好きだとめんどくせえ事になりそうだしな」
そう吐き捨てたれた言葉に、ちりり、と心臓が痛む。別に傷付いてなんかない。無いけれど、普通、目の前で言うかよ。保険医の癖に。心のケアとかそういうのするもんでしょ、普通さ。まあ、彼に普通という言葉が通用するとは(普段の行いを見ても)思えないが。それでも教師が言う言葉では無いよ。などと咎める事が出来たならよかった。だが、俺は其れすらも許されるような立場ではない。シズちゃんが言う事は正しいから。教師と生徒なんて無理でしょ。俺が意図してなくたってバレたら、シズちゃんはセクハラって事になるし。それに俺も彼も男だしね。バレたら一貫の終わり。シズちゃんだけが何かしらの諫めや戒めを受ける事になる。そんなのはお断りだ。俺のせいで、なんて俺には荷が重過ぎるしね。これでいいんだ。これで。うん。そうだ。最高の結末じゃないか。シズちゃんも、俺も。何事も無かったようにまた元に戻れるんだから。
自分自身に説き聞かせるように理由を並べて、貼り付けた笑顔のまま、俺に触れるシズちゃんの指先を払い除ける。なるべく冷静を装って、唇を噛んでから、くるくると自由自在に動く椅子から腰を上げた。ぎぃぃ、と軋む音が保険室内に響き渡る。それから彼を見下ろして、金色の髪に指を通すと、また来るね、と微笑んで見せた。
「…ったくよ、お前こういうときだけヘタクソだな、」
嘘が。そう付け加えられた言葉と同時に、シズちゃんはふわり、と俺の腕を引いて抱き込む。意外としっかりとした胸元に、ぶは、と顔を埋められ、よしよし、とあやす様に髪の毛に指先が絡んだ。もはや押し付けられていると言った方が正しいが、不思議と嫌ではないし、温もりが心地よい。せっかく決意した意思も揺らいでしまいそうな程に。シズちゃんの体温は温かくて、何故だか泣きたくなった。
「…素直になりゃあ受け止めてやる、だから、卒業するまでに言えるようになって来い、」
それからシズちゃんは、女遊びをするなとか、もう怪我してくんなとか。あらゆる要求をしてから、漸く俺の身体を離した。なんだよ、何様だよまじで。ああ、ムカつくな。ムカつくよ。教師の癖に。何処まで偉そうなんだよ。シズちゃんの馬鹿。馬鹿、馬鹿…。思いつく限りの悪態を心の中で吐きながら、ぶらり、と力を失った掌を握り締めて、彼の胸元に付く。そこまで来れば突き放す事なんて、簡単なはずなのに。言葉とは裏腹に、俺はシズちゃんの腕口の解れた白衣に腕を回した。

まだ。まだ、その言葉は言えそうに無い。けれど、その内絶対言ってやるから。もう少しだけそのままで、優しい嘘に騙されて。






細胞ごと支配する










人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -