迂闊だった。しくじった。
今の状況はこの二言に限る。だが、頭ではそう分かって居たが、肝心の身体は殴られた衝撃で全くと良いほど動かなかった。助けを呼ぶにも回りは敵ばかりで、ナイフも通用しないし、銃弾の掠った太腿は出血でジーンズを汚している。最悪だ。まだ、そう思う余裕はある。だが、これからどうなるか知れない。何故ならすでに、時の流れはゆっくり、と流れ始めている。こうなったから五分ほどしか経っていないにも関わらず、大分長い時間こうして、殴られているかのように頬は熱く痛んでいた。隙を見て逃げ出そうにも、この五人を出し抜くには相当の技術が必要そうだし。こうなるくらいなら、こっちから先に先手を打って始末しておくべきだった。ていうか仕事サボって大人しく彼と居ればよかった。約束の二時間も大分過ぎてるし、このままではまたシズちゃんに咎められる、などと、能天気な考えが頭を過ぎって、俺は顔を顰めた。すっかり、あの幼い"平和島静雄"に害されている。怪我するな、なんてませた事言われたのに、こんな怪我までしてさ、彼の思うツボじゃないか。その事実が何故だが腑に落ちなくて、可笑しな対抗意識さえ湧き上がる始末だ。絶対無事に帰ってやる、なんてこの状況で馬鹿みたいだけど。俺は彼の為に無事に帰らなきゃいけない気がして、握り締めたナイフのグリップに力を込めた。口に溜まった血液を吐き出して、拭うように、手の甲で唇を覆う。そして、倒れた俺を見下し、立ちはだかる男を睨み上げ、その足を目掛けて、ナイフを突き刺した。
奇声に近い悲鳴が、連れ込まれた路地から大通りに聞こえるほどの音で響き渡る。其れがチャンスとばかりに、俺は痛む足を酷使して、その場を飛び出した。俺の計算から行けば3つほど、狭い路地を抜ければ大通りに出れる。其処まで逃げ切れれば、もう拳銃をぶっ放される事はないだろう、と鉛のように重い両足を引きずって、全力疾走した。遠ざかる男達の怒号が聞こえる。多分俺を口汚く罵ってる事だろうが、先程刺した男が喚いてる所為で殆ど聞こえない。まあ、どうでもいいし俺が知った事ではないからいいけど。俺を殺そうなんて、100万年早いって事だよ。俺を殺せる可能性があるのは一人しか居ない。憎き、平和島静雄。ていうか、俺は死なないし。死ぬのはシズちゃんだし。あーシズちゃんまじ死ねよ。死ね、死ね。
「、死ね。」
無意識に、その言葉を吐き出す。と同時に、花火のようにパン、と周囲に響く音に、俺は飛んでいた意識を手元に戻した。そうして、数秒も空かずに再び、俺の耳を劈くように、高らかな音が鼓膜を揺らす。嫌な予感はした。ぶわり、と一瞬にして背中にひやりと、汗が滲むのが分かって、俺は足を止めないまま、そっと後を振り返る。すると、追いかけてきた男の銃口が此方を向いていた。距離は大体、30メートルもあるか分からない。もう二発は撃ってあるが、五発は残っているだろうと言うところだ。さすがに、それはやばい。この距離で当たらないとも限らないし、今度当たれば確実に致命傷になる。それだけは避けたくて、俺はからからと渇いた咽喉に唾を飲み下して、無我夢中で走った。もたつく足がうまく動かない。これが動揺してると言うことなのだろうが、今はそんな事考える余裕も無くなった。
結局、ただ死にたくないな、なんて、人間じみた事を思うだけ。
は、は、と唇から漏れる呼吸は最早乱れきって居て、発作的で過呼吸に近い。そして、其れに、更に追い討ちを掛けるように、銃声がまた二発。風を切るように、弾が自分を通り過ぎて行くような感覚が、正直怖かった。助けてくれ、とは思わない。だって誰も助けに来てくれるとは思えないし、そんな人間居る訳も無い。所詮人間なんて自分の命が優先である。勿論俺もそうだ。俺自身が死ぬくらいなら他人を差し出す事なんて容易く出来る。だから、僅かな望みに掛ける事なんて俺の選択肢の中には存在しなかった。
だけど、そんな状況下に置かれた俺の頭の中に、ぽかり、と浮かぶ一つの顔。普通ならば(かなり幅が広いが)愛する人間の顔か、そうでなければ、少なくとも家族である妹たちの顔か。少なからず、思い当たる節は在るというに。寄りに寄って何で。何で、君なんだよ。
「…、は、ッシズ、ちゃん、ッ…」
口を突いて出た言葉の先は何も無い。ただ呼んだだけ。(しかも此処には存在しない人間の名前を)正にその通りである。音でしかない其れは、乱れた呼吸に混じって吐き出され、暗闇の路地へ溶ける様に消えていった。最後の言葉にしては余りにもお粗末な言葉だな、などと暢気に思ったが、他に思いつかないのだから、仕方ない。死ぬかも知れないと悟った時なんてこんな物なのかと、拍子抜けした。
それより、もう走るのも疲れてしまっている。大人しく腕でも何でも打たれた方が、無事に帰れる気さえしてくるし。足取りは距離を取るに連れて益々重くなって、外気で冷えた血液がジーンズ越しに、足を冷やしていた。もう立ち止まってしまおうか、なんて思う。それだけで比較的軽かった歩調も、少しずつ踏み出す一歩が遅くなり、追ってきた男の声も心なしか大きく聞こえたよう な気がする。嗚呼、もうこうなったらどうにでもなれ、だ。ナイフはまだ手元にあるし、もしかしたら運よく、撃たれずに返り討ちに出来るかも。まあ、確率的には皆無に等しいが。撃たれてる割には妥当な答えだろう。そう思いながら、地面を蹴飛ばしていた足を徐々に止め、まだ立ち止まらずに、握り締めたままのナイフに力を込める。掌の皮膚に食い込むグリップが、皮膚の体温に馴染むのを感じながら、間合いを計るように、ゆっくり、と足を止めた。喧騒の中、そっと目を閉じて、いち、に、と数え、耳を澄ませる。その間にも目蓋に浮かんでくる誰かさんの顔は歪む事なく、俺に、死ねよ、と笑っていて、何故だか笑みが零れた。










人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -