"君のオムライスが一番好きだ"の続き




しとりしとり。ベッド左方に張られた窓ガラスにそっと打ち付けられる雨が静かに流れては、次の雫が地上60メートル下へと落下していった。雨か。ぼんやり、とそんな事を思って、未だに冴えない頭の中で、コンクリートに打ち付けられる雨の独特の匂いを想像する。あの匂いは好きだ。と言うかそもそも俺は雨が好きだった。天気よりよっぽどいい。日焼けしなくて済むし、シズちゃんと相合傘したって、疑問を持たれる事もない。おそろいの長靴だって履けるし、シズちゃんがベランダで育ててる野菜たちが喜ぶと彼が笑ってくれる。雨で鬱々とする人間や洗濯物が干せないと嫌がる人間も居るらしいけど。俺に雨なんかじゃ気分は変わらないし、何より家には乾燥機付き全自動洗濯機がある。シズちゃんがお日様に当てて干せって五月蝿いから天気が良いときは外に干すけど。それでも空が泣いてる日は俺にとっては幸せな日だった。雨最高、と思わず小さく呟く。すぐに我に返って恥ずかしくなるのだけど、それすらも何故だか笑えてきて、無意識に動いた唇を小さく掌で塞いだ。寝惚けた回路を覚ますべく、ぐしぐし、と霞んだ前方をクリアにするように目を擦する。そうして擦り上げている内に、僅かに活性化してきた思考回路で不意に気付いた。俺はなんで何時ものようにふかふかのベッドに横たわっているのだろう、と。
「……あれ、俺、」
昨日。其処まで呟いて、記憶を呼び起こすように眉間に力を込める。そんな事せずとも浮かび上がる昨日の出来事を回想するように、再び目蓋を閉じた。

正臣君の背中に向かって、ひらりひらり、と振っていた掌をドアがばたり、と閉まると同時に下げると、後ろから、オイ、と声を掛けられる。ひくり、と僅かに竦んだ肩に、シズちゃんがまだ濡れたままの髪を押し付けて抱きついてくるものだから、思わずくしゃり、と頭を撫でてやった。犬みたい、と笑うと彼はうるせえ、と何時ものように減らず口を叩いて、それでも俺の腰を強く抱く。かわいいなあ、もう。どうしようもなく込み上げる、愛しさに、すりすり、とシズちゃんの髪に頬を擦り付けて、くるり、と身体の向きを返る。その瞬間降ってくる唇に、ふふ、と笑えば、シズちゃんは、「紀田は?」なんて今更な事を聞いて来るから、其れすらも無視して、ちゅ、と唇を重ねた。
「…シズちゃん、桃あるけど、食べる?」
ん、とキスの合間に即答されると思わず笑みが零れる。シズちゃんの口の中で噴出しそうになるのを必死に堪えるのが大変で、唇を結ぶと、彼は少しだけ不機嫌そうに眉を寄せた。ああ、拗ねた。可愛い。そう思いながら、引き寄せた頭を肩に掛けたバスタオルで拭いてあげ、彼をリビングに促す。入ってすぐ、目に付くようにテーブルに置いておいた、ごろん、と大き目の桃。原型のまま、甘い匂いを振り撒く其れを見た、途端、シズちゃんの機嫌が良くなるのが分かって、ちょろいな、と肩を竦めたのは内緒の話だ。
それから、シズちゃんに桃を剥いてあげて、21時。その後、俺が見たいと言ったホラー映画を見て22時。その映画を、見終わって、って。俺の中には見終わった記憶は存在していなくて、主人公の二人がどうなったのか分からず仕舞いだった。という事は、あの映画見てる最中に寝落ちか、と結論付けたところで、眠るように閉じた目蓋を再び持ち上げた。ってことは、だ。俺は自分の足で此処にきた訳ではないって事が分かった。それに、俺は一回寝たら当分は起きない。(と、シズちゃんが言ってた)そう考えると、俺の中の選択肢は一つに絞られる事になる。まあ、考えずとも大体は想像付くんだけど。優しい優しい、俺の彼氏さんな訳だよ。俺を此処まで運んできて、そして、俺を抱き締めてくれる。そんな奴、俺の傍には一人しかいないから。
目の前にある、俺の物ではない白い掌にゆっくり、と指先を添えて軽く握り込む。握り返される事は無いが、優しい温もりで迎えてくれる其れに、目を細めた。ああ、シズちゃんの顔が見たいな。なんて、もう暫らく彼の顔を見ていないような言い草だけれど、実際は眠っている間の数時間しかない。それでも、シズちゃんは深刻になりつつあるので、枕代わりに下敷きにしていた彼の腕に頭をぐりぐり、と押し付けて、そっと、寝返りを打った。これくらいじゃシズちゃんは起きない。普段、仕事に見送る時だって、一度で起きた事などただの一回も無いのだから。今日に限って起きるなんてこと絶対にありえないことなのだ。
案の定、シズちゃんは間抜けな顔して俺の前で寝顔を晒す。半開きの唇から小さく吐息が漏れて、思わず鼻を摘みたくなる衝動を堪えるが大変だった。布団の下で悪い右手を押さえつけて、太腿の間に挟み込む。ひやり、と冷えている両手にぎゅ、と眉間に皺が寄るものの、これで悪さが出来ないだろう、と勝ち誇ったところで、シズちゃんが、うう、と唸るものだから、ハッ、と息を飲んだ。しかし、彼の睡魔は彼の同様にバケモノ並みだ。下手したら24時間寝る事だって出来る代物なのは確認済みなので、止めた息を静かに吐き出す。そうして、再び訪れる静寂に、やたらと敏感になった耳を澄ませて、数ミリの窓を隔てて打ち付ける雨音を聞いた。俺の息も、シズちゃんの息も、全て心地よい雨の泣き声に掻き消されて、世界が俺とシズちゃんの二人ぼっちになったみたいだ、なんて思う。きっとシズちゃんに言ったら、馬鹿じゃねえか、と笑われるだろうけど。でも俺はシズちゃんと二人ぼっちなら、「本望だよ」と囁いて、少しだけ冷たくなった高い鼻先にキスをした。ちゅ、と唇が触れ合うと、すぐに、溢れんばかりの抱擁が俺の身体を包む。思わず、わ、と漏れた声にも、うるせえ、と賺さず牽制が入り、ああ、失敗した、と咄嗟に思った。こいつ、起きてやがったな。絶対そうだ。そうに違いない。でなければ、シズちゃんがこんなに、意識がはっきりしてるわけが無い。そう思って、息も出来ないくらい彼の胸に押し付けられた顔を少しだけ上げて、さっきまで口付けをしてた鼻先を封印していた右手で抓み上げた。
「シズちゃん、何時から起きてたの、白状しないと、一生抓んでるよ」
多分ちっとも痛くないのは分かる。そもそも痛くないように抓んでるし。けれど、締め付けられた鼻の皮膚が徐々に赤くなっていくのを見ながら、鼻声で「お前が起きる前から」と正直に告白したシズちゃんを見てたら何だか、気が抜けた。ふはは、と笑って、騙した罰だと、鼻先を抓んだまま、唇に口付ける。(勿論、息は出来るようにしてね)すると、シズちゃんも同じ様に鼻声のまま、笑って、俺達はそのままベッドの上で寝起きにしては激し過ぎるくらいの、プロレスごっこに進展するのであった。

二人ぼっちは笑う。雨の泣き声はもう聞こえない。






しとりしとり、と空が泣くのに









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