「……ごめんね、シズちゃん、おまたせ」
少しだけ泣きそうな、蕩けるような笑顔で笑った臨也の顔を汚す鼻血を掌で拭い、泥を払う。何と言っていいのか分からなくて、何かを口にする前に、そっと額に口付けた。正直キスなんてすっ飛ばしてしまいたかったけれど、臨也が少し怯えていた(ように見えた)ので、ぐっ、と堪えて体温が肌に馴染むのを待つ。俺よりもかなり白い皮膚。閉じ込めるように、腕で臨也の細い腰を抱き込んで、俺は漸く来たこの日に思いを馳せた。
人間と言う物は、何処で、何が変わるか分からない。(俺はバケモノと言われてはいるが)一応人間である、俺にもそれは該当するらしい。折原臨也と言う捻くれた人間に恋をするなんて。それこそ、バケモノだからこそ出来たのかも、などと思ったが、其処はお互いさまである。俺達は殺し合いの喧嘩をしながら、キスをしたり、デート(帰りに一緒に帰るだけだが)したり、それなりに付き合ってる、っぽい事をしてきたのだから。しかし、付き合ってるとしても、問題はあった。俺らのような関係になると、大した事ではあまり、動じない。でも、さすがに性欲に関しては、俺にも我慢の限界があるらしい。高校生なんてもんは、性の塊だ。エロ本だって読むし、AVだって見る。俺は女にはそれほど興味はなかったが、臨也は別。当たり前と言えば当たり前だろう。少なくと俺は臨也が好きで、臨也と付き合ってる。そして、付き合ってるとなればキスだってしたいし、その、ほら。あれだ。セックス、だってしたいと思うのは当然だろ?気持ちよくなりたいとか、そういうのは関係なく。(完全にないと言えば嘘になるけど)臨也の全てが知りたいと俺はそう思っていた。まあ、結果的にそう思ってたのは俺だけだったのかも、知れないが。
高2の夏。臨也と初めてキスをした。(というか俺にとってこれがファーストキスになる)確か、俺んちのクーラーが壊れて臨也のマンションに世話になりに行った時だったか。その時の事は興奮しすぎて、あまり覚えていないのだが、嬉しかった事は確かだ。漸く、付き合ってる、と。恋人らしい証をもらえたような気がして。けれど、臨也はそれ以上は無理だと言う。俺どうのこうのと言うよりは、行為自体が怖いのだと。だから待って欲しいのだと。そう言われると、さすがに俺もがっつく訳にも行かなくなる。ましてや、尻軽なこいつがこんな、悄らしい事を言うなんて事になれば、待ってやるか、と思わざるを得ない。この時の俺に、拒否権なんて無い事は分かってもらえるだろう。(それも童貞の俺となれば尚更)
しかしながら、此処からが俺の苦悩の連続である。この1年と5ヶ月ちょっと、俺がどれだけこの日を待ち侘びたか。きっと誰にも理解して貰えない。尻軽なあいつと付き合ってる事実はあるが、あいつの事だ。ずっとそういう噂は絶えなかった。ヤバイ奴らと付き合って身体売って情報を得てるだとか。遊びで女騙してるだとか。俺は一切信じてはいなかったが、噂を聞けばやっぱり苛付いた。俺がこうして、あいつがいいと言ってくれるのを待ってると言うのに、臨也には絶える事無く別の人間の影がある。だからと言って、俺の力で捻じ伏せて、無理矢理抱く事は出来なくて。あいつと、喧嘩する回数も増えたが、我慢し続けた。そうして、俺はこの日を迎えていた。
卒業式当日。式に出る事も無く何時もの日課のように殺し合いの喧嘩を繰り返して、ボロボロになった身体を引きずって、新羅の所によることも無く臨也のマンションに転がり込む。(臨也に誘き出されたと言ったほうがいいけれど)追い詰めた臨也の汚れた顔を再び殴ってやろう、と細い腰に乗り上げて、作った拳を振りかぶる。その瞬間、臨也は言った。ごめんね、と。おまたせ、と。

潤んだ赤茶色の瞳に俺が映る。それまで込み上げた怒りだとか苛立ちだとか、全てが一瞬にして消え去って、吸い込まれるように、その泣きそうな顔中に唇を付けた。ちゅ、ちゅ、と小鳥が囀るような音が、無音の部屋に響き、僅かに震えた臨也の指先が俺の頬を滑る。シズちゃん、シズちゃん。縋るような声色が熱い息に混じって聞こえて、俺は細い身体を掻き抱いた。大丈夫だ、なんて、今までこいつに掛けたような事もないような言葉を吐き出しながら、鼻血が滲む鼻先を拭って、べろり、と舌先で舐める。感じる鉄の味が舌に溶け、消えて無くなると、臨也は少しだけ顔を上げて、待たせてごめんね、と笑った。貼り付けたような作り笑い。本気で怯えてるくせに、この口だけは達者で本当に困ったものだ。 はあ、と溜息を吐き出して、抱いた腕で臨也の頭を包み込む。独特のシャンプーの匂いを含んだ髪をくしゃり、くしゃり、と撫でて、あんまり待たせんな、と呟くと、臨也はもう待たせないよ、と言った。けれど、これでは行為自体、何時間掛かっても出来そうにない。俺は童貞で、こいつも多分見た目と違ってそれほど経験はない。(ように見えるだけかは知らないが)こんな状態のこいつを抱く気、など俺は毛頭ないのだ。再び零れ落ちる溜息に、臨也の肩が揺れる。今日は一緒に風呂入ってこいつを宥めて、寝てやろう。もう高校は卒業した。これから有り余るほど時間があるし、もう1年5ヶ月も待った。これからどれ位待とうと俺の中では一緒だし、俺がこいつを好きだと言う気持ちも変わらない。ゆっくり、とこいつのペースでこいつに合わせたって、何の問題もないのだ。だから、今日はこれ位で許してやる。けどな、その時になったら覚悟しとけよ。言葉には出さずに、押し付けた唇にその思いを込め、そっと臨也から身体を離す。そして泥だらけの額をこつり、と臨也の額にくっつけ、伝わる熱に静かに目を閉じた。
この時、臨也がどんな顔をしていたのか、そうして、結局俺の童貞はいつ捨てられるのか、其れすらも今の俺には分からない。






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