※軽い死ネタ。




あいつの匂いがする。そう思って振り返ると、強く吹いた風が全てを攫っていった。前髪が顔に掛かるのも気にせずに、目を細める。その目の前にはあいつが居なくて、俺は眉間に皺を寄せ、舌打ちをした。ち、と小さな音が響く事無く消えていき、静雄、と呼ばれた声に向き直る。数メートル先のトムさんの背中に、返事をして、またゆっくり、と歩き出すと、またあいつの匂いがした。確かに、あいつは居たのに。確かに、あいつの匂いがするのに。見えない姿に込み上げる苛立ちをぶつける様に頭を掻き毟って、トムさんの隣に並ぶ。どうかしたか、と俺を見上げるトムさんに、何でもないっす、と首を振りポケットから煙草を取り出した。火を付けながら歩む、先には避けるように道が出来る。いつもなら、そうしてる内に、あいつは目の前に現われて、シズちゃん、と少しだけ高い声を上げて笑うんだ。あーあ、見つかっちゃった、と楽しそうに笑って、俺が標識を引き千切ってる間に、遠く走り出す。その背中を追いかけるのが、何となく好きだった。臨也、と声を上げて、追いかけるのが好きだった。靡くコート掴んで、あいつを腕の中に閉じ込めるのが好きだった。それなのに、一向にあいつの声はしなくて、紫煙を吐き出した先は、ぼんやり、と曇るだけ。何でだよ、何でこねえんだよ。いつもなら、呼ばなくても、俺の目の前に現われるくせに。こんな時に限って、何で、何でだよ、なあ、臨也。募る苛立ちをぶつけるように、立ち止まって、奥歯をぎりり、と噛み締めながら掌を握り込む。そして、また、風が吹くのを肌で感じた。
風に乗って全身を包むあいつの匂いに、顔を上げた俺を再びトムさんが呼ぶ。その瞬間、トムさんの声に混ざって聞こえた声。視線の先のコート姿の男が一人、走り去って行くのが見えた。間違いない。見間違えるはずも無い。あの姿は絶対にあいつだ。臨也、と小さく唇を噛むように呟き、トムさんに、すいません、と頭を下げる。それから、俺は弾けるように地面を蹴り出す。消えないように。見失わないように。その背中を追いかけて、必死に、池袋の街を走り抜けた。臨也、臨也。何度も何度も呼んで、どれ位走り続けたか解らない距離を駆け抜けて。目まぐるしく変わる風景を目で追いかけている暇もないまま、男は漸くゆっくり、と俺の前で立ち止まった。振り返る事無く、俺を呼ぶ声に足を止めてその姿に、臨也、ともう一度だけ呼んでみせる。自分でも恥ずかしくなるような、掠れたみっともない声。上がった息にこいつは笑うだろう、と思ったが案の定、臨也は、軽い笑いを零して、俺に向き直った。ねえ、シズちゃん。そう笑った顔は何時もと同じ顔で、俺は安堵の息を漏らして、あいつの細い身体に歩み寄る。何で今まで来なかった、そうぶつけると、臨也は知ってるくせに、とだけ言って笑顔を隠すように顔を俯けた。見えなくなった表情。どうしてもその表情が見たくなって、細い手首を引き寄せて、顔を上げさせた。
「シズちゃん、」
今にも振り出しそうな雨を堪えるように眉間に皺が寄せられる。ねえ、と言葉を発する前に唇を塞ぎ、貪るように唇を奪うと、臨也は、それでも俺の好きな不細工な笑顔で笑って、ばかだね、と一言だけ落とした。ちゅ、と触れ合うソレが離れると冷たい空気が唇を冷やす。その理由を俺は知っている。こいつが堪えた雨が、俺に移ったように目の前が曇り始めると、今度は俺が雨を堪えるように笑った。ねえ、シズちゃん。再び耳元で囁かれる声。なんだ、と返す前に、こそこそ、とくすぐったい高音が鼓膜を揺らす。確かに、臨也の声で聞こえる。だが、ぽつり、と降り出した雨の中、抱き締めていた筈の華奢な身体はもう俺の腕の中にはなくて、一瞬にして消え去っていった。残った言葉と唇の感触だけが残酷なほどに、俺の中をぐちゃぐちゃに抉り、傷を作る。ループするように永遠と響く雨音のような声に、俺は竦んだ足を踏み出せないまま、その場で立ち尽くしていた。

あいつの匂いがする。そう思って振り返ると、強く吹いた風が全てを攫っていった。前髪が顔に掛かるのも気にせずに、目を細める。その目の前にはあいつが居なくて、俺は眉間に皺を寄せ、舌打ちをした。あいつはもう、きっと此処には居ないし、これから先もう二度と会うことは無いと解っている。分かっていても、探してしまうんだ。あのコートが風に靡いて、何も無かったようにあいつはまた俺の目の前に現われるのではないかと、思ってしまうんだ。だから、俺は今日も池袋の街を歩く。紫煙を吐き出し、曇った先に、あいつの姿が、現れることだけを願って。また雨が降ればいい、と思った。






眠る目蓋









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