大学生臨也と一浪静雄。




「臨也」
大学の玄関から校門まで約50メートル。とぼり、とぼり、と暮れ始めて、青とオレンジのコントラストを深めた空を見上げながらゆっくり、と歩む。寒空の下で、さらり、と俺の肌を撫でていく凍えるような風に肩を竦めた直後、その声は突然に俺の目の前から聞こえた。返事とか反射的な反応をする前に、もう一度、同じ声が返事を煽るように、二人と居ない珍しいその名前を呼ぶ。聞き間違いじゃない。今度は、そう確信してそっと、声の方向に目をやれば、見覚えのある顔が寒そうに鼻先や耳殻をピンク色に染めて、立っていた。何で、此処に居るの。そう聞く前に逸る足取りは彼の前へと吸い寄せられるように走り出して、ただいま、と何故か口を突いて出る。それから、漸く、何で居るの、と首を傾げると、暇だったから、とポケットの中に突っ込まれていた掌を差し出された。その手を戸惑う事無く握り締めれば、彼は何も言わずに、俺の手を引いて歩き出す。その上わざわざ俺の持ってた教科書が入ってる重いバックまで奪ってね。何しに来たんだか。いつもはこの道だって、俺一人なのに、闇を深め始めた帰り道には、真っ白に染まった吐息が俺とシズちゃん、二人の唇から吐き出されて、静かに消えて行った。
「ていうか、シズちゃん。ほんと何で居んの?予備校は?」
サボったの?そう言って首を傾げると、シズちゃんは、今日バイトだろうが、と当たり前みたいに言う。知るか、そう言ってやりたいところだが、そうだった、と納得せざるを得ないのは、俺と彼のスケジュールはしっかりと、二人で買った卓上カレンダーに書き記されているからである。(しかも俺が書いた)だから納得してしまえは其れまでだ。案の定それから、会話は途切れてしまっていた。ちらほら、と舞い上がっては降り落ちる真っ白い雪の結晶が積もる事無く、コンクリートを濡らす。たまに頬に当たるのをひやり、と感じながら、俺は少しだけ前を歩くシズちゃんの横顔を見た。相変わらずかっこいい、とか、迎えに来てくれるなんて珍しいな、とか。朝、迎えに来るなんて言ってなかったのに、とか。いろんな事に思考を巡らせながら、ぎゅ、とシズちゃんの掌に包まれた指先に力を入れる。あったかくて、おっきな掌。別に置いて行かれるとかそんな事思ったわけじゃないのに、無性にぎゅってしたくなって、足早に歩くシズちゃんに並ぼうと、少しだけ歩みを速めた。待って、って言えばきっとシズちゃんは待ってくれるだろう。けれど、言葉の前に身体が勝手に動いて、シズちゃんの腕に抱き着けば、シズちゃんは表情一つ変えずに暑苦しいと言った。その割には、振り解こうとはしない。シズちゃんはいつもそうだ。俺がした事を拒否しない。しないで居てくれる。だから、俺は安心して、シズちゃんの背中を追いかける事が出来たんだ。そう思うと込み上げる安心感に、ふふ、と思わず笑みが零れる。気持ち悪いとか言われたけど、知らない。幸せだから聞こえないフリしてやろう。などと思って、今度は俺がシズちゃんの腕を引っ張って、二人で借りたマンションに続く、商店街のアーケードを潜り抜けた。八百屋さん、お肉屋さん、ドラッグストア、雑貨屋さん、喫茶店。何処からともなく、漂ってくるいい匂いにすんすん、と鼻を鳴らすと、シズちゃんは腹減ったな、と少しだけ笑うから。俺もうん、と頷いて、本日のメニューを発表した。カレーです。今日はカレーになりました。何故なら今とんでもなくいい匂いがしてる。この匂いに敵う人間が居るなら、紹介して欲しい。確実にシズちゃんよりバケモノな事は確かである。現に、シズちゃんも、俺のカレーに納得したようだった。
「つうか、材料あったか?」
「ない。から今買ってくんじゃん」
そうか、と頷いたシズちゃんと一緒に立ち寄った八百屋さん。何時もはスーパーで済ませてしまうけど、反対側まで行くほど俺の腹も、シズちゃんの腹も持ちそうに無いので、今日は此処で済ませようと店頭に並べられた野菜たちを見下ろす。全て、食べて食べて、と言っているように見える俺は最早病気に近いくらい空腹のようだ。そう言えば学食は嫌だからってお昼食べなかったもんなあ、なんて暢気に考えながら、袋詰めされたジャガイモを手に取る。野菜好きの俺としては、北海道産以外のジャガイモは納得行かないものがあるが、しょうがない。これで我慢してやろうと、今度はにんじんや玉ねぎを手に取り、物色した。これ買ったらシズちゃんのお肉買いに行かないとな。あ、あと、ついでにティッシュも買ってこ。ダウニーも少なくなってたような気がするけど、今日は止めておこう。でもシズちゃん居るときかって置きたいんだよなあ。あれ結構かさばるし、重いし。この際10本くらい買っておこうかな。などと、次から次へと移り変わって行く思考を止めたのが、シズちゃんの声だった。ん、と返事をしながら、ジャガイモを持たせた彼を振り返る。いつの間にかにんじんや玉ねぎまで持っている彼に少しだけ笑いそうになるのを堪えて、何、と問えば、彼は少しだけ、唇の開閉を繰り返して、そっと言葉を吐き出した。

「あのよお。もし、大学入学して、それで卒業出来たら俺と、結婚しろ」

何それ。ていうか、何その、コンビニでアイスと牛乳買って来いって俺に命令する時と同じ言い方。君何言ってるか分かってる?その前に一浪してるんだよ?そんなの入学してから良いなよ。そもそも、結婚ってなんだよ。俺達男同士だし。結婚できないし。馬鹿じゃないの?いや、馬鹿だよ、君は馬鹿だ。だから大学だって落っこちるんだよ。予備校で男女の違いから勉強してきなよ、寧ろして来い。お願いします、お願いだから、してきて下さい。俺に、俺に、期待させるような事、二度と言わないように。ね? そう、言いたいのに、冗談でしょって、笑って、笑い飛ばして、冗談にしてあげたかったのに、俺にはそれすらも出来なくて、そんな余裕少しもなくて、ただ、手にしていた林檎をきゅ、と握り締める。ドラマか何かみたいに、落とさなかっただけマシでは在ったが、体温で少しずつ冷たさを失っていくそれが、俺の掌の中でころり、と転がされる。すると、シズちゃんは、いいな、と俺の意見は全く無視して、俺から真ん丸いそれを奪い去って、颯爽と会計を済ませに行った。ぼんやり、とその背中を眺めては居たものの、俺の脳内は半分ショートしたような物だ。大した事は考えられないが、その中で思ったのはやっぱり、彼はいい旦那さんになりそうだな、とかそんな事ばかりで。俺は彼のどうしようもなく、ロマンチックの欠片もないこのプロポーズを甘んじて受けるべきだと思っていた。






とろける夜を一生分









×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -